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ホワイトカラーの生産性の真実を知ってへぇーと思ったこと|『日本のホワイトカラーの生産性ななぜ低いのか』を読んでみて

最近仕事が忙しすぎると、ちょっとぼやいてみた。でも読書は別腹なので、読んで1冊読んでみました。今回読んだ本は『日本のホワイトカラーの生産性ななぜ低いのか』という本です。

日本のホワイトカラーは生産性が低いと言われます。実際は、生産性は高かったのだけど、時代の変化とともについていかずに相対的に低くなったという感じでしょうかね。そんな歴史的な背景も絡めてホワイトカラーの生産性が低い理由が理解できる1冊だと思います。

かなり固い内容でおもしろくないかもだけど、もしよろしければ続きをどうぞ。かなりネタバレでフワッと書こうとしたけど、それだと自分が思い出せないのでネタバレタグを付けて書きます。ご了承をおねがいします。

現場のブルーカラーとホワイトカラーの仕事は違う

本書によるとブルーカラーとホワイトカラーの仕事は性質が全く異なるというのだ。ブルーカラーは生産の仕事なので、モノづくりなら、一定以上の品質のものを一定レベル以上の品質で作りだす必要がある。

それならば、材料投入から加工に対して、なるべくばらつきなく一定水準の品質を確保するように、機械により自動化されるのが良いとなる。自動化といってもトヨタ生産方式では、自働化と評されるように、自動で勝手にすすむのではなくて、機械でも人間の知恵をもつかのようにすることなのだとか。異常があると、止まってくれるのも自働化の一つと言えよう。

ホワイトカラーにもブルーカラー的なものがある。例えば、コールセンターである。コールセンターは一定数の問い合わせ(主にクレームが多いが)を受け付けて処理をして品質向上や顧客満足につなげるが、これもデータをとりつつ進めることでサービスの向上が計らられるのだ。これも改善の余地がある。

しかし、本書でいうところのホワイトカラーは非定型な業務が多いのが事実であって、また変なことだが、その非定型のことは生産性に直結しない非定型があるのだ。例えば会議をして物事を決める。そのあとで会議録を作る。そして次の会議を決める。また、稟議を回す。稟議書を書くが途中でチェックが入り戻される、またしばらくいくと、次のところで引っかかっても度される。まさにスタンプリレーである。

最近は、紙はなくなり電子化になってきたけど、これもエクセルのバケツリレーが行われている。ファイルが飛び交っておなじように根回しが必要だったりするのだ。

2000年以降のホワイトカラーの生産性向上で日本は差が付いた

日本は、良い意味でも悪い実でもボトムアップが主流だった。トヨタ生産方式は日本企業によく合う生産方法で、現場からの改善が企業を強くすると信じられていて、それが成功した。90年代まではであるけども。

そのためか、日本の企業は部署をたくさん分けて、後工程をお客様化することで、現場の改善の積み重ねが全体の改善につながると信じていた。

しかし、海外は違った。そもそもその考え方はなくて、上から命令のような形ですすんでいった。当時、効率の良かった方がボトムアップだったので、そのあたりで海外は後れを取った。だけど、海外も日本の改善の考え方は見習わなければと製造現場に日本のノウハウを取り入れていって発達していた。

ボトムアップの効率が良かった背景に、現代ほど情報の伝わる速度は速くなく、一部にとどまっていあ。それが変わってくるのが2000年代である。その頃に大きく発達したのがIT技術である。当時はやりだしたのはERPといって、企業活動のすべてをコンピュータで記録するもの。今でいうとSAPとかORACLEとか有名であろう。これは現場の数字が経営の見る数字に一気通貫につながるので、数字をみるのには都合が良いのだ。

これは日本以外の国、例えばアメリカなどに非常に都合がよかった。ERPを入れることで企業の全体の動きがどの部門からも手にとるようにわかったからだ。

もともと海外は企業の人の定着は日本と比べて低いのでコンピュータでやり方が均質した方が引き継ぎも楽で良いのだ。

一方日本には受け入れられなかった。日本の特徴は年功序列で終身雇用だったので、人の定着率は抜群だった。しかし、そこに長居するからこそ独自のやり方が定着し、それを変えることは難しかった。

年功序列で終身雇用はポストの問題もあった。長く働いた人はそれなりに昇進させる必要があったのだ。だから、日本ではよくわからない役職ポストが増え、部署も細分化していった。

こうなってくると、日本ではERPなど入らない。入ったとしても経理だけとか営業だけなど一部しか入らない状態なのだ。基本は部署間でぶつ切りなのである。

日本で生産性を上げるには日本型BPRをするべき(BPR2.0)

BPRとはbusiness Process Re-Engineeringである。業務プロセスを再構築ということだ。しかし、海外はトップダウンで社長の一声で入れられた。

しかし、日本は年功序列と終身雇用の影響がある。
この二つはもうなくなったといえるが、その弊害となる部門で囲い込む性質のものはいまだ顕在なのだ。
そのため、日本では、日本に特化した日本型BPRを進める必要があるというのだ、それが、日本型BPR2.0と著者は名付けている。

そのBPRの手法は以下の⑦つによって定義づけている。

最初に①自社の全体最適支店の経営支店が時代遅れになっている。ということを認識し、このままだと企業は倒産するという危機意識をもつのだ。
そして、企業の進むべき指針となる②北極星を定め、それに向かって③組織、④システム、⑤プロセス・ルール、⑥人、⑦データの5位一体で変革していくのだ。

2000年代に入って、BPRも日本に入ってきたけど、当時の経営者は④のシステムのことだけを考えてしまい、推し進められなかった。

今こそ、③組織、④システム、⑤プロセス・ルール、⑥人、⑦データの5位一体で進めるところに来ているようなのだ。

【ポラリス:北極星を目指して】全体最適は、部分「不」最適を容認する土壌が必要

全体最適になるには、部分不最適を受け入れる土壌が必要になるのだ。
昔からの部分最適は改善の考え方で、部門の最適化の積み上げが全体最適になるという考え方だ。一致団結してみんなで良くなろうという考え方だ。しかし、それではうまくいかないことが証明されている。みんなうまくいく形で全体がうまくいくなんてないのだ。

部分最適に対するのは全体最適である。全体最適は聞こえが良いが、実際はもっと残酷である。全体を最適化するなら部分部分でみると今よりも不便になるセクションもでてくるのだ。

これは少し考えるとわかることなのだが、部署で頑張って最適にしたことは、そのアウトプットは次の部署のインプットになり、そこにかかる工数など知ったことないのだ。だから全体を見ると、部署内では改善されているものも全体でみると、迷惑千万なこともあるのである。

その迷惑千万だったことを認めて不便な前に戻し、もしかしたら、部署そのものをなくすという選択にもなる可能性があるのだ。長年企業のためにやってきたことがそうなってしまうこともあるので、なかなかの軋轢を生むのだ。

そのために必要なのはポラリス:北極星なのだ。組織の目標である。組織の目標は1つの会社とかの比較的大きな単位になる。その会社が大きくなるためには、自分たちの部署の効率が落ちても最適になるならその道を選ぶという選択もできる土壌が必要になる。

3行日記:今週は忙しかったけれど充実していました

今週はとても忙しかった。あまり忙しいという言葉を使いたくないけど、でもその忙しさは充実していたと思う。ということは楽しかったということかな。でも土日は別のことをする。そうするとバランスが取れてストレス発散にもなるのだ。寝ることだけが休むのではなく、違う脳の動かし方をすると良さそうだ。

1年前:銀行の窓口振り込みは本人確認大変なようです

去年の今は子供の学費の入金とか結構大変でした。振り込み一つとってもいろいろ書類を書かないといけなくて、お金をもっていけばすんなりというわけではないです。今思うと、それはそれでたいへんだけど、5分10分と時間がかかってもいいとも思えます。その間、銀行の方とのコミュニケーションでいろいろと発見もありますしね。

そんなに急ぐことはないと思うので、そんなやり取りも人生の中で生きているという思い出になるというか肥しになるというか。

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