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「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第八章 大団円(その5)
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鮪吉くんの部屋の本棚には、古い図鑑が20冊以上ならんでいた。
はじめて分犬守の屋敷を訪れた日、狛音がインベーダーゲームで遊んでいるあいだ、僕は本棚から取り出した恐竜の図鑑を読んでいた。
図鑑によると、恐竜は1億5000万年にわたって地上を支配していたそうだ。その時代、哺乳類は恐竜が寝静まった夜に息をひそめるように生活していたという。
6500万年前、恐竜は絶滅した。絶滅した原因として、隕
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第八章 大団円(その4)
「長い間、お世話になりました」
「光村くん、本当に車で送っていかなくていいのか?」
病みあがりの久作さんの手は、みくるの肩におかれていた。みくるはギュッとぬいぐるみを抱いている。
犬守家総出で玄関先まで見送りにきてくれた。庭のほうから蝉の声が聞こえてくるが、夕方の風は心なしかやわらかく感じられた。
もうじき夏休みは終わりだった。8月の間をすごした犬守家を、僕はついにあとにするのだ。
「駅ま
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第八章 大団円(その3)
食堂で冷やしうどんを食べていた。半熟卵がのっており、麺はつるつるでおいしかった。どことなく花山うどんに似ていた。
店内に直売コーナーがあったので、「これ、こないだ駅前で食べたうどんと同じやつ?」と狛音に訊こうと思ったが、食堂に彼女のすがたは見当たらなかった。昼に顔を見せないのは2回目だ。
朝食の帰り、狛音と廊下を歩いていると、円香さんに声をかけられた。
「これからお医者さんが来ることになった
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第八章 大団円(その2)
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昼前ごろ、机で残暑見舞いを書いていると、狛音がひさしぶりに部屋を訪ねてきた。
みくると仲良くなってから寄りつかなくなっていたが、彼女はノックの返事も待たずにドアをあけると、当たり前のようにベッドのふちに腰をおろした。
「きのうはなかなか寝つけなかったよ」
「……うん」
プードルの公方様は偽物の血筋だと、きのう工房さんから教えられたが、狛音はその話をどう受けとめたのだろう? なんと言って
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第八章 大団円(その1)
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久作さんの手紙をたずさえて、狛音と分犬守の屋敷をたずねた。道すがら狛音は口数が少なく、瓦屋根の門の前に立つとため息をついた。
「いらっしゃい」
藤色の着物姿のゆみ子さんが格子戸をあけ、僕らを招き入れた。
ツナキチが玄関まで出迎えにきてくれたが、クンクンと鼻を鳴らすと座敷にもどり、いつものテーブルの下でからだを丸めた。
なにかを嗅ぎとったのだろうか。僕と再会したよろこびのあまり、うれショ
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第七章 犬彦の秘密(その4)
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狛音とみくるは本当の姉妹のように仲良くなった。狛音をとられてひとりっ子にもどった僕は、さみしい思いをしていた。
あれから狛音はみくると2人で部屋にこもりがちになったが、久作さんは触らぬ神に祟りなしといった感じだった。
〝大葬の儀礼〟のときも視線を合わせず、父娘のあいだには終始すきま風が吹いていた。黒白幕で覆われた屋敷にさらに暗い影を落とした。
広間いっぱいに並べられた座布団に黒ずくめの男
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第七章 犬彦の秘密(その3)
ベッドに寝転んで天井をながめていた。視界に入る3面の壁はベージュ色だったが、天井にはきれいなモスグリーンの壁紙が貼ってあった。
分犬守の屋敷とちがって染みひとつなかったが、天井とエアコンのすき間に、分犬守と同じように蜘蛛の巣が張ってあるのを見つけた。
屋敷じゅうが〝大葬の儀礼〟の準備に忙しそうだったので、僕の部屋まで掃除の手がまわらないのだろう。
ベージュの壁に目をむけると、甘いミルクティーが
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第七章 犬彦の秘密(その2)
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久作さんは、綱プーの容体のことで気もそぞろなのか、それとも偽の長男のことなどはなから興味がなかったのか、広い屋敷からみくるの姿が消えても気づいていないようだった。
みくるはあれからずっとホテルにいた。円香さんはホテルと屋敷を行き来していたが、きのう僕の部屋を訪ねてきた。みくるを前の夫に引き合わせてほしいと頼まれた。
「前の夫に預かってもらうことになったの。わたしはこれからしばらく屋敷から
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第七章 犬彦の秘密(その1)
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「君はだれ?」
「……みくる」
ツナキチを迎えにいく駕籠に潜りこんだ少年は、体育座りをした膝のあいだに頭を埋め、僕の問いかけにそう答えた。
「犬彦くんじゃないんだね?」
「声でわかんじゃん。女の子だよ」
狛音があきれたように言った。
たしかに、犬彦くんは小学6年生のころには声変わりしていたと、彼女に聞かされていた。
壁越しや廊下で耳にした甲高い声は女の子のもので、ツイッターの写
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第六章 犬公方の呪い(その2)
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ゆみ子さんが大事な用があるというので、人間椅子は綱プーの看病を虫江さんにまかせ、分犬守の屋敷をたずねた。
綱吉廟の剥製とツナキチを見比べたかったので、僕も同行させてもらった。
玄関の前に立つと、僕らの気配を察したのか、なかからツナキチの吠える声がした。
「あら、暢さんもいらしたのね」
格子戸をあけたゆみ子さんは若草色の着物をきていた。いつも着物姿で上品ぶっているが、帯の下に一物も二物も
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第六章 犬公方の呪い(その1)
〝将軍の間〟の御簾はおろされていた。なかで綱プーは久作さんたちに見守られ、金襴のペットベッドに臥せっていた。
首に天草四郎を思わせる純白のカラーを巻いており、こちらからは綱プーの表情はうかがえない。
「公方様の容体は悪いんですか?」
狛音とならんでベッドの前に正座し、僕はたずねた。
「公方様は呪をかけられ、重い瘡を患っている」
うなだれる久作さんの横にいた工房さんが説明してくれた。なにを言
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第五章 東京(その4)
数日後、僕はまた館林駅のホームに立っていた。ホームに射しこんだ陽射しがじりじりと肌を焼き、館林にもどってきたことを実感させた。
ホームの屋根の影に入り、狛音に〈いま着いたところ〉とLINEを送ると、お腹が鳴った。ちょうど12時前だった。彼女とどこで待ち合わせしよう?
ユニクロで買ったチノパンのポケットにスマホを仕舞うと、ホームの「花山うどん」の看板が目に入った。「味をつたえて100年」「館林名
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第五章 東京(その3)
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犬守家は綱プーの体調のことで朝からてんてこ舞いだった。
久作さんは急きょ会社を休み、獣医さんと〝将軍の間〟にこもりきりで、円香さんや人間椅子も一緒なのか見かけない。虫江さんは僕の朝食を忘れているようだ。
食堂にひとりぽつんと座っていた。屋敷全体が僕になど構っていられないといった雰囲気で、小走りのお手伝いさんに声をかけ、ようやくクロワッサンとオレンジジュースを出してもらった。
お手伝いさんに
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第五章 東京(その2)
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風呂あがり、部屋にもどってきた僕は電灯の下で、浴衣の片そでを脱いでわきの様子をチェックしていた。
高校生なのにツルツルでいまだに生える気配もなかった。恥ずかしくてSiriにも相談できず、ずっとコンプレックスだった。
「暢くんって、脱毛してるの?」
声がしてふりむくと、狛音がサンドイッチの載ったお盆をもって、部屋のなかに立っていた。
「なに勝手に入ってんの! ノックくらいしてよ」
みる
「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第五章 東京(その1)
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狛音は食堂にすがたを見せなかった。彼女はいつも朝が遅いが、昼も顔を見せないのは初めてだった。
部屋にも姿はなく、僕に黙ってどこかに出かけてしまったようだ。彼女の行きそうな場所は母親の病院くらいだが。
狛音はまだ怒っているのだろうか。きのう綱プーの夕食づくりを手伝わず、納豆ばかり食べていた彼女を、食糞する小次郎と一緒だと言ったのは、さすがに言いすぎだったかもしれない。
ああ見えて、彼女も女の