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「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第五章 東京(その4)


数日後、僕はまた館林駅のホームに立っていた。ホームに射しこんだ陽射しがじりじりと肌を焼き、館林にもどってきたことを実感させた。

ホームの屋根の影に入り、狛音に〈いま着いたところ〉とLINEを送ると、お腹が鳴った。ちょうど12時前だった。彼女とどこで待ち合わせしよう?

ユニクロで買ったチノパンのポケットにスマホを仕舞うと、ホームの「花山うどん」の看板が目に入った。「味をつたえて100年」「館林名物」「駅前」といった文字がおどっていた。

「これ、とらやの水ようかん。またお世話になるから」

東口から並木通りを歩いて1分ほどのところにある花山うどんで、狛音と落ち合った。母に持っていくよう頼まれた菓子折りをテーブル越しに手渡した。

店内にはトロフィーや賞状がいくつも飾ってあり、表には相変わらず行列がつづいていた。席に案内されるまで外で20分ほど待たされた。

「あっちい。暢くんのせいで焼けちゃったよ」

狛音がメニュー表で顔をあおぎながら言った。1週間ぶりに会う彼女は精悍せいかんさを増したように見えた。和装の女性店員がくると、狛音は「分福茶釜の冷やし釜玉うどん」を注文した。

「俺も同じやつで」

水を飲みほすと、僕の推理を彼女に話した。

「犬彦のゴトーコー?」

「そう、誤投稿。工房さんのツイッター見せてよ。たぶん、それが犬彦くんの裏アカなんだ」

「終わったら、指紋ふいてね」

しぶしぶ狛音はテーブルにスマホを置いた。工房さんのアカウントを開いてくれていたが、〝箱男〟という匿名の安心感からか鍵はかかっていなかった。IDの〝@inukoubou58〟が目にとまり、

「犬彦くんのIDってなんだっけ?」

「ちょっと待って。えーと、〝@inukubou58〟」

いったんスマホを取り返してから、彼女が教えてくれた。〝箱男〟の〝@inukoubou58〟と犬彦くんの〝@inukubou58〟、2つのアカウントのIDは酷似していた。

「〝@inukubou58〟って、どんな意味だと思う?〝58〟ってなんの数字だろう?」

「そりゃ簡単だよ。いまの公方様が綱吉公の58世ってこと」

工房さんはツイッターをやっていないと言っていたので、やはり〝@inukoubou58〟は犬彦くんの裏アカウントのようだった。
〝犬公方〟と〝58〟は関係しているが、〝伊怒工房〟と〝58〟はなんの関係もない。裏アカのIDは本アカをもじってつくられたのは明らかだ。

狛音からスマホを受けとり、裏アカのツイートを読んだ。投稿はずいぶん前に途絶えていたが、そこには中学での壮絶ないじめがつづられていた。

箱男 @inukoubou58・2017年9月25日
まさに箱男だ。今日も監禁され、トイレにも行かせてくれなかった。おしっこはKが持ってきた犬用トイレで、みんなの見ている前でやらされた。女子が悲鳴をあげるなか、屈辱と恥ずかしさで泣いてしまった。

箱男 @inukoubou58・2017年9月15日
昼休みは夢丸の首輪にリードをつけられ、掃除ロッカーにつながれて監禁された。掃除ロッカーは犬小屋なのだ。20分が2時間にも感じられ、震えがとまらなかった。扉が開いて光が射すと体をねじって頭を抱えたが、Kたちはただニタニタと笑っていた。安部公房の小説に似たような描写があった気がする。

本アカに〈前もつぶやいたけど、この「先祖」ってやっぱ俺みたいだな……〉という一文があったが、このツイートのことを指していたのだとわかった。

明るくて人気者だった〝犬守犬彦〟のアカウントには書けなかったのだろう。匿名の裏アカで切々といじめを記録していたのだ。

胸が苦しくなり、スマホを持つ手がふるえた。店のざわめきが波のように引いていき、手のひらでまっ白な画面が光っていた。
砂浜に打ちあげられた錆びた不発弾のように、白い画面のなかで〈いじめ〉という文字が異様に浮きあがって見えた。

犬彦くんの打ったその3文字が目に入ると、ある種の義務感のようなものがわき起こり、きちんと現実と向きあおうと思った。他人事じゃない。僕自身の問題でもあるのだから。

箱男 @inukoubou58・2017年9月7日
「お前んち、将軍犬の家来なんだろ?」「変な首輪して犬に飼われてるんなら、お前も犬と一緒だな」とKに言われ、教室の床で給食を食べさせられた。先生はいつも見て見ぬふり。内心うちの家をバカにしているのだろう。

箱男 @inukoubou58・2017年9月4日
プールの授業のとき、はずした首輪を盗まれた。つぎの休憩時間、Kが笑いながら首輪を教室の窓から投げ捨てた。窓の下の道路には車がひっきりなしに走っている。高所恐怖症にもかかわらず、無我夢中で2階の窓から歩道へ飛びおりた。首輪は無事だった。運よく足も折れていなかった。

箱男 @inukoubou58・2017年9月4日
いじめのきっかけは夢丸の首輪だった。わが家の長男は数え年で14になると、首輪をつけることになっている。先祖が初代の公方様に命を助けられたのが14歳だからだ。学校につけて行くと、Kたちに首輪のことを訊かれた。首輪の由来と公方様のしきたりのことを話すとバカにされた。

しばらく放心状態でスマホを握っていた。高校での自分のいじめと重ね合わせ、息をするのも苦しくなった。
犬彦くんはいじめが原因で不登校になり、別人のように変わってしまった。どんな気持ちで毎日を送っていたのか痛いほどわかった。

8月31日のツイートには、〈夏休みも今日で最後。学校に行きたくない……。いきたくないいきたくないいきたくないいきたくないいきたくないいきたくないいきたくないいきたくない〉とあった。

2学期のことが頭をよぎり、僕は吐きそうになった。いっそ巨大彗星すいせいが衝突して、8月で世界が終わってしまえばいいのに。

「犬彦、かわいそう……」

いつのまにか僕の手からすべり落ちていたスマホを拾って、狛音が犬彦くんのツイートに読みふけっていた。
犬彦くんは裏アカでも狛音をフォローしていたわけで、彼女には知ってほしかったのかもしれない。

「あたしが気づいてたら、ちゃんと見てあげてたら、助けてあげられたのに」

狛音は眉尻をさげ、ポロポロと涙をこぼしながら言った。小学生のころも、そして再会したあの日も、僕は彼女に助けられていた。

狸のかたちの器に盛られたうどんが運ばれてくると、狛音はそっと涙をぬぐった。
僕らのあいだにはバックライトの消えたスマホが置いてあった。つやのある黒い画面は名前のない位牌いはいのようだ。

お通夜のようにうつむいて黙々と食べる僕らを、となりのテーブルの二人連れのおばさんがちらちら見ていた。はた目には別れ話をしたあとのカップルにでも見えたかもしれない。

「このあと家にくるよね?」

おばさんたちが席を立ったあと、狛音が訊いた。

「もちろん、そのつもりだけど」

と答えたきり、時間がとまる。そばを通りかかった店員がグラスに水をそそぎ、からになった器をさげた。店員が去ると、

「公方様の病気が悪化してね」

狛音は思いつめたような声で切り出した。

「夏バテじゃなかったの?」

「……ちがったみたい」

狛音は深刻な顔をしていた。もしかしたら、死につながるような病気なのかもしれない。綱プーが死ぬなんて、そんなのいやだ……。狛音は鼻にかかった声で、

「公方様つらそうなのに、暢くんの靴下ずっとくわえてるの。はやく会ってあげて」

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