二月日記
#1
年が明けて、早数ヶ月。
noteに心情を書き綴っては、悩んだ。
自分はなにを大切にし、生きたいのか。
過去の記憶との折り合いのつけ方。
手放したい人間関係や環境はなんなのか。
だれと会話するわけでもなく、
只々、自分の心と対話し続けた。
ハッとさせてくれたのは、
本、音楽、映画、YouTube、過去の記憶だった。
今のわたしにスッと入ってくる。
理解しなければとかではなく、腑に落ちる感覚。
YouTubeではおもしろい人を発見した。
真理とも思える考えにも出会った。
自分の感覚は間違ってなかったんだと確信した。
#2
時間差でハッとしたのは、ある人の言葉があった。
私を想ってくれていたからこそ伝えてくれた言葉。
あの言葉の意味、半年を過ぎた今ようやくわかったの。
わたしはあなたといると、自然と笑顔になってしまう。
ほんとうに喜んでいるのだと自分でもわかってしまう。
どうして、こんなにも喜んでしまうかな。
考えた時もあったけど、あんまりわからない。
考える暇もなく、喜んでしまうから。
6年経った今も変わらない気持ちである。
魂が喜んでいるのだと思う。
記憶の中、記憶を思い返す今も、
いつも想うと笑顔になってしまう。
ほんとうに出会えてよかった。
存在や言葉が今も昔もお守りになっている。
時が経って、わかった。
時が過ぎなければわからなかったのかもしれない。
今もきっと自由を謳歌しているのだろう。
彼の生に魅せられ、これからもさまざまな人たちが
あの人の隣で笑い合うのだろう。
#3
過去を回顧する中で、
掬えなかったものをひとつずつ拾い集めた。
深層意識が気になって、もっと繋がりたいと思った。
年明け、自分の心と対話を繰り返すなかで、
より深く濃い対話がしたいと、新しいタロットを買った。
それは未来を占うより、気づき、今に焦点を当てていると書かれていたので、メッセージとして引いていた。
使っていくうちに馴染んで、
毎日引くのが楽しみに、やがて日課になった。
はじめは警告に近い「〜に気づきなさい」が多かった。
しかしノートに書き続け、対話を重ねていくうちに、
「あなたはもう大丈夫です」に変化していった。
闇と光、陰と陽、女性性と男性性、精神と物質。
そんな概念がこのタロットには示されている。
自己の内、相反する両者が共存した時、眼前に広がる。
二つの間。二つの中心に存在する「私」。
不思議と自分の中心に繋がった。
人間のあるべき姿。もう一度、思い出さなければならない。
次第に忘れ去られていった、かつての人間たち。
歴史は過ちを繰り返し、知だけが積み重なった。
幾千年経とうと変わらない。
いつの日か見えなくなった向こう側。二元論、その狭間。
「いつの間に高くなりすぎた。
今世で乗り越えれられるの?
来世でいいや。またいつかね。」
「どうせお前には越えられないよ」
耳元で囁く。時に責める。だれかの声。
本音と諦めの往復。手持ちは片道切符のみ。
「どっちだ」で選んで、ふたつのハズレ。
葛藤の先に見えぬ未来。なかったことにする。
なかったことにして、抑え込む。
感じ切ることをしない。周りに馴染むに必死。
そうしてやってくる未来はどうだった?
いつも似たエンドロール、これで幾度目か。
腐りきった心が悲鳴にも似た声を上げ続ける。
早く気づけと投げかけられる。また別の声で。
やはり心の現象が現実となって現れるのだ。
現実は心の鏡でしかない。現実は心の投影。
心が疲弊していたら、現実も疲弊する出来事が起きる。
だからまずは、起きた出来事に対して、自分はどう感じ、どのように反応したのか。それだけをただ静かに見続ける。
見守り続けているうちに、そう感じるのは、
過去の出来事に由来する思考の癖なのだとわかる。
その癖が抜けないのは、自分ではない誰かの人生を生きようとしていた。または人生のコントローラーを自分で握る覚悟が完全にできていなかったからだと気づく。
覚悟ができてないために、
試される出来事ばかりが起きていたことにも気づく。
禊。うまくいかないを切る。そうして新しいが生まれる。
破壊なくして創造はない。
闇が多いのは、後に来る大きな光を知るため。
光を知るだけでは辿り着けない。
闇を体験するからこそ、光に気づける。
闇と光を完全に理解した先にしか訪れない統合。
統合できた人たちだけが行ける楽園。
統合できた人が精神と物質(現実)、
両方の豊かさを手にするのだろう。
二元論で分断できるほど世界は狭くないのだ。
自分は自分でいいのだと心から思えたら、
だれかに認めてもらうために生きることはなくなる。
もうすでに認められているから、
いちばん認めてほしい相手(自分)に。
#4
ときどきの気持ちを、日記ではなくnoteに。人目に触れる場に残しても尚、自分を生きることにどこか慄いている。
決めた、覚悟した。はずだった。そう、はずだったのだ。
でも全然覚悟なんてしていなかった。
見せかけの、上塗りの、思考、頭でした覚悟だった。
掘れば掘るほどに、気後れする私に出会うのだ。
そんな私に気づくうちに、それすらも愛おしく思えてきた。
「ああ、今私怖がっているんだな」
そう今、心が感じている。
早く行かなきゃと頭が言っている。
頭の声は無視した。いまは必要ない。
心が感じていることをただ感じきった。
するとなにが起こったか。
別に失敗してもいいやと思えてくるのだ。
いや、そりゃもちろん成功したい。
でもなんといえばいいのだろう。
失敗したら失敗した時に考えよう。
「こういうルートを通らなければ、私は成功しない」
そうした思い込み、完璧主義はやめようと腹落ちしたのだ。
まだ来ない未来の不安を今に感じ、
物事を進めて上手くいくはずなんてなかったのだ。
私はいつも心の片隅に不安を抱えたまま、
なにもかも進めようとしていた。
気になる他人の目と声。
いつも不安を投げてくる私の頭の声。
目に見えないなにかに怯え、常に過緊張だった。
たぶんそれが頭の声だったのだろう。
頭の声しか聞けていなかったのだ。
心の声に耳を傾けていると、直に穏やかになっていく。
2月はずっと心の声に耳を傾けていた。
すると、今ある環境が愛おしくなった。
ありがとうが自然に湧き出てきた。
外部で喧騒が起ころうとも、自他の境界が曖昧だった
あの頃の私にはもう戻れない。
曖昧でいる方が気持ち悪く感じる。
まだここにいたいと望んでいない。
心の声を聴いて、いつでも中心に戻るよう努める。
現実的なことを淡々とこなしていく。
願いは、自分が思い描いていない方法で叶う。
淡々としている内に、見えない間に。
それは運命やはからい。そんな言葉で表現される。
きっとそれらはある。信頼していい。
自分の中心に戻って、自分を信頼する。
なにが起きても中心に戻れば大丈夫なのだと気づく。
その上で今自分にできることを愚直にやっていく。
現実をあきらめて、明らかにする。
自分のできる/できないを理解する。
あとはもうおまかせする。
その先になにが起きるのかはだれにもわからない。
でももう闇しか知らない私ではない。
なんとかなるし、なんとかする。
大丈夫だし、あてもないけど、
これからが楽しみですらある。
なにも解決していないけど、とりあえず今は海に行きたい。
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