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珍島の土産物

司馬遼太郎は朝鮮半島と日本との関係で、日本は秀吉の朝鮮出兵と太平洋戦争の二度の禍根を遺した、と述べている。なかでも外交復権のため取り持った朝鮮通信使の日韓関係に果たした役割こそ、自らの日韓関係の外交復権と合致し重なり、モーセの十戒にも匹敵するような珍島割れの奇跡を起こしたのに他ならない。足利幕府の南北朝時代から、自伝を取り混ぜながら日韓史を省みたい。新羅飛鳥時代の仏教伝播に触れる他は、南北朝時代以前は割愛としたい。チョーヨンピルの釜山港に帰ったら、天童よしみの珍島物語が花咲いたという何とも奇跡のようなお話だが、日韓民族融和の覚醒を試みるべく、著述してみようと思うので最後までお付き合い願いたい。

古代日本には『記紀』として称される『古事記』『日本書紀』が存在することはよく知られているところである。『古事記』が大和朝廷によって編纂された天地開闢を語る古代の物語であるのに対し、『日本書紀』は漢文体で記された官製選書の歴史書である。それ故に、万葉仮名の漢字利用に甲類・乙類の区別があり、最近の韓国人の日本古代研究者の研究によって、百済系・新羅系の系統に分類され、日本古代史研究は日韓の共同作業によって解明が進んでいる。さらには、『任那』ミナマという国が、マが真を示し、ナが奈良の奈の音に当たることも興味深い。実に古代日本の最古の歴史書の源流においても、その謎には日本と朝鮮半島の交流の歴史抜きには語れない。

私の海外への消息の転機は、二度あり、平成を隔てて、昭和と令和に渡って、明暗を塗り分けた。ひとつは名士の弁理士を父に持つ、母校の大学の先輩で、外交官から転職した、スミダという在日コリアンの名前と紛らわしい弁護士が経営する赤坂の法律事務所でアルバイトをしていた時のことだった。

それは、その先輩の国際法律会計事務所という存在それ自体が、法律学と会計学の知識を醸造、熟成させるための、自分の遥か未来において遡及されるべき運命的な巡り合わせを兼ね備えたものである点において、昭和の悪夢が、令和に正夢になろうと、昭和に抹消された法学部生の自分が、令和に法学部卒業生として復活を遂げようとしている証なのだ。まさにその証こそ、昭和の時代夢見たプロボノ弁護士が、令和の時代にボランティアの手話となってカムバックした。イコンを求めたロシア正教会を旅した船で同船した鈴木宗男の国会議員の娘と、ぼくが購入した手話の著者が同姓同名で、繰り返すが今ボランティアの手話をしていることは、神様の思し召しの奇跡に他ならない。今世界では戦争がおきているが、平和な世界を願って、ぼくも手話を学ぶことで、いけばなを生けることで、ウクライナ戦争で疲弊しているウクライナも、ロシアも、世界中の敵も、味方も、男性も、女性も、健常者も、障害者も皆愛し合い、慰め合い、許し合う、そんな社会に貢献したい。愛情を互いに触れ合うことのできる生命体としての感動を忘れずにいたい。

冒頭にトップ・シークレットを明かさなければいけないが、懇意にしていただいた弁護士のアシスタントの雪竹彩さんのお兄様は、早稲田の先輩でパントマイムをしていたのに他ならず、今こうして三十年の歳月を経て手話を必死になって覚えようとしている自分もまたパントマイムの真似事をしようとしている姿と重なるのだった。言うまでもないが、人は誰でも、人生の旅路の途中で、あるいは途中でない場合でも、場合によっては生まれた時からも、何某かの障害を、障害というのは国や自治体によって認定される障害だけが障害ではなく、病や不治の病、得意、不得意、列挙するまでもなく、ハンディという障害を負うものだと、どんな障害であろうとも、自分の障害を前向きに、積極的に捉えるよう、障害を負っていることで、人の優しさに、温もりに、許し合いに気付かされることを示唆されていたことに、ドラマチックに組み込まれた早稲田大学と共に歩んだ一期一会の道を、驚きを持って気づいたのだった。

青春時代に東京中央郵便局から、興味本位に後進国の在日大使館へ発送した、借用したワードプロセッサーで作成した産業諜報員を装った英文文書について、その知的財産権を巡り、また同じく興味本位で陥った同性愛を弾劾されたのだった。

高校生の時、フョードル・ドストエフスキーの『罪と罰』が面白く、主人公の法学部生ラスコリーニコフに感化され、自分が興味を持った刑法の大学の講義で触れられた、死刑しか該当しない外患罪を犯したのではと、酒池肉林に耽った悪天子は天罰の、「電気も貫通する鉄拳」を喰らい、警察署に出頭し、統合失調症を罹患した四十年前の昭和の終わりの出来事である。

同時に、その破天荒な公安当局への懺悔こそ、ソクラテスが無実の罪をきせられて、死刑に処され永遠に名を残したように、自分もまた名もなき裁判を経て、来千年紀へ、来万年記へと橋渡しをする、前代未聞の時空旅券のパスポートを携えることを許可してくれたのかも知れない。自分の超時空パスポートこそ、後で触れる、諸言語というものが、得てして歴史的に発生してくることに対して、天文学や暦学を駆使した、訓民正音のハングルが、前代未聞に人為的に創出された異質な言語である点において関連性があるのではと思って、一高校生の平和大使のファンタジーではなく、一初老の平和大使として責任ある叙述を試みようと、この機会に触れてみようと思った。

そうは言うものの、インドから帰国し、お釈迦様のように悟りでも開いたのではと懇談した法律事務所で、パートナーの弁護士から『ネバー・エンデイング・ストーリー』という本を贈呈されたことが、今となっては自分が作家を志望した大きな所以と言える。

あれから四十年の時を経て、華道池坊の千恵先生に拾われ、ご厚誼を賜ることになり、井上先生に東京中央郵便局からJPタワーへと再開発された会場で西国百観音にお詣りをして、正に罰が当たったワープロという筆記具こそ、ぼくの唯一無二の伴侶であることに気づき、禊を済ませた。

言わば、青春時代の在日大使館への英文文書とは、海外との消息において未遂に終わったと言っても良い。しかし、安易な私立文系受験を経て、米国留学で韓国系アメリカ人に世話になった。彼の話す韓国語が、韓国という国が陽の目を見る前のことだったので、予想外であり、自分には青年期の淡い友情に受け取れたが、実は人生において、重要な意味を成したのだった。

留学したリベラル・アーツ・カレッジの教員PhD(博士号)取得率95%以上と優秀な数値を占めるものの、私立文系受験が安易であったならば、その教員が保持していた博士号(PhD)を目標に、教養人たる君子となるか思案していた。

しかしながら、米国留学を終えて、突如暗転し、死刑判決を受けて大統領になった金大中が都内のホテルで拉致された如く、北朝鮮に拉致され行方不明になった横田めぐみが恐怖を味わったように、生身の自分が東大病院に強制移送された、もっとも30年の時を経て、姪が大学見学のため、加賀藩大名の前田氏が姫を迎え入れた東大の赤門を訪れた、その夜明けに精巧なバイオ・ロボティクスの夢を見た、正に悪夢と正夢の昭和と令和で明暗を塗り分けた。その時、赤門の地震に対する注意書きに注意を払ったのとシンクロしたのか、東日本大震災に匹敵する能登半島大震災が起きたのだった。30年前は、人生の大事な壮年期を精神科通院によって時間的喪失の犠牲を余儀なくされた。

それでも、鯉登りのように、大学受験という山を登ってきた証に、東大の大学病院の大学食堂の鰻を食べて号泣したのは事実だった。ならばもう一度山を登る鯉幟として、韓国長編歴史小説『景福宮の秘密コード』の中で、聾者の女官が、ハングルのピクトグラムの形態模写を通じて、口承伝達に成功すると同時に、そのハングルのピクトグラムが、陰陽五行説を示唆している、何か、現代宇宙科学、現代物理学の先駆けとして、普遍性と多様性、それに一貫性のいずれも兼ね備えた、世宗大王が当時の天文学や暦学を駆使した訓民正音を解剖、解明、再生してみたい。それは、経済的に、体力的に、喫煙環境的に、外交的フィールドが、地政学的にスライドを余儀なくされ、自ずと異国を対象とするのは、東アジアの中でも、朝鮮半島、韓国に落ち着いてきたこともある。

同じ華夷秩序を構成する中でも、統一ベトナムの北ベトナムが、ソ連や中国の支援を受けて統一されたように、台湾問題においても、大陸中国の意向が、台湾の選挙の動向を無視する形で軍事衝突の触発の危険性を招き、やはり社会主義勢力がその権勢を示す一方で、朝鮮半島とという日本からそう遠くはない至近距離の地政学的には、フィリピンから援助を受けていた最貧国が、G20に名を連ねるまでに急成長し先進国入りを果たした韓国と、軍事大国の金王朝として君臨する北朝鮮は、2000年の節目に金大中大統領と金正日総書記のキムキム会談による太陽政策による融和や、文在寅大統領と金正恩総書記の会談などが試みられたが、韓国では保守政権が続き、米中対立、米ロ対立が鮮明化し、また韓国財閥の世界的進出といった、世界地図を象徴した国際政治学が凝縮されているその動向に、米国や日本とタグを組み、韓国こそ自由主義陣営が、朝鮮半島の統一に、主導権の鍵を握るべく、その未来志向を託して、韓国語を究めてみることも薮さかではないと言えるだろう。いや、現時点で、中国経済が減速しているものの、依然その繁栄を誇るドイモイ政策に象徴される「社会主義をベースとした修正資本主義社会」を是とすべきなのか、我々自由主義陣営が、「福祉型の大きな政府」が果たして機能するのか、未だ判明しない。いずれにせよ、漢字文化の先進性が自明の理である。

勉強とは、人生の頂へとのぼる山登りのようなものである。コリアコードを解読することが、何か世界平和の一助になるのではと思い、韓国語学習に励み、母校早稲田で、政治的徒党として政治的思想矯正を図ることに、大隈侯が右足を犠牲にしたのと同様、怪我の功名を負いながらも成功した。言わば、国家天下のために男子が犠牲を厭わないことは本望である。それゆえか、自分は、世宗が極めた訓民正音のハングル創出こそ、幕末、物理学が、オランダから輸入され、『究理学』という訳語で紹介されたように、物事のことわりを極める学問として、森羅万象の自然の摂理の謎を解こうという、世宗の後輩に続こうというのだ。しかも、韓国系アメリカ人が専攻していた数学に、航海図を広げたような、今、後進による参考書によって魅了され、母校の大学の先輩の物理学専攻に憧れ、さらには公認会計士で慶應経済の加藤先輩に続くべく、数学や物理学を極め、今度こそ教養人たる君子になろうと決意した。

それは、核の惨禍を繰り返さず、真の核科学技術の処方箋の有用性を施すべく、それは「文明」という英訳が'civilization'に他ならないからのだから、軍事の民生転用こそが、文明の成立過程の王道であり、核の民生利用のために、特に言えることは、朝の國である将来の統一朝鮮の非核化に、経済安全保障という諸懸案をクリアできれば、平和の距火である核融合の陽こそ灯すべく、核融合科学を研究する目的で物理学を学ぶと同時に、韓国語能力試験6級、ハングル検定1級を頑張ってみても、残りの人生を無駄にせず、充実させるために 遅くはないと、不変不動の真理を探究する学道、即ち、自分が処女作本に書き記した、核融合科学の探究こそ、たとえ過去の精神科受診が医療過誤だったとしても、自分の進路を取るべき人生である。専ら審美性が高貴なゆえに、一過性である花を扱う、ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリなどの犠牲者の御霊に対してもの仏前供花に通じることからも、大変骨の折れる作業である、華道を千恵先生から学ぶことを通じて、自分の進むべき道の視野や視界が開眼した。核を巡る諸問題が、生死と裏腹な以上、核に関わる者の仏前供花の必須性を覚悟して華道に臨まなければいけない。

言わば、ハングルは『古代の東洋究理学』、物理学は『現代の西洋究理学』という類似性が指摘できるといって良いだろう。未知の現象世界を探究、解明する点においては、歴史的に蓄積される法学と異なり、医学、経済学と同様、物理学についてもそのことが言える。

それもコロナ禍の令和に入り、韓国系アメリカ人との出会いから、三十余年の歳月を経て、再び文鉉伊という、玄界灘からネーミングを得たような、持って生まれた運命が日韓の架け橋となるような韓国人の親友ができ、拙宅に招待することができた。貴氏は、高校生の時、漢文の先生を志したという。機しくも、自分も漢文に励み満点の領域に達していた。このことは、2003年にロシアに渡航した際、谷中幸雄翁から二宮尊徳を諭されたことからも、朝の國から聖典を賜ったと言って良いであろう。この時点で、早稲田大学政治経済学部合格番号一〇〇五四という数字は、百点満点で漢文の四書五経に励むよう、悪天子から止至善の天子へと解脱する理が備わっていたのだ。以降、五十四歳で処女作本を上梓するまで、濁々たる気に塗れた人生を過ごすことになる。しかし、五十五歳の誕生日を迎え、早稲田大学政治経済学部合格番号一〇〇五四が示す、四書五経に励み、止至善の天子となることに気づいた自分は、既に人生の目標が明明徳になっていた。後は新民に向かって成就するのみでなのである。

実際、文鉉伊が家に遊びに来てくれて実感したのは、「早稲田」のカードは死んでいると思い込んでいたが、ロシア正教会で授かったイコンが見守っていてくれたのか、東方礼儀の国と、おもてなしの日の出づる国の天子の巡り遭わせは、お互いの人格を高め向上心に努めて、あたかも「珍島割れ」の序章の如く、モーセの十戒の奇跡が起きたかのように復活を遂げた。韓国の大陸の色濃い浪漫溢れる直線的な愛情と、島国日本の腕曲的な控えめな抒情的愛情表現を織り交ぜた、国籍や民族や人種の壁を超越した古典に讃えられる普遍的な人類愛を紡ぐことを試みようとしているのだ。

ハングルネオン界隈のバブル経済に鬱つを抜かした赤坂以来、自分のバイタル指数とシンクロするかのように、コロナ禍が明けた令和六年には、春闘でも軒並み賃金の脅威的な上昇を見せ、物価と賃金の好循環によって、あたかも高度経済成長の再創出するかのように、日経平均株価が史上最高値を上回る一方で、終身雇用が保証された中流階級から、自分というのは、禁煙の風潮が強まることで、喫煙者として、また日本経済の担い手が、非正規雇用が主流になるが、年金生活者の生活費は、法令によるマクロスライド制で抑制され、バブル期再襲来かアン・ルイスの楽曲に目醒め、株取引や確定拠出年金iDeCoでこそ米国株高で大幅な運用益を得ているものの、事実上、最下層へと辺鄙な階層へと追いやられたが、文の熱意に尻に火が付き、近未来を先駆ける、人間拡張科学、ヒューマン・オーグメンテーション・サイエンスの統合科学としての本国韓国と接点を持つことになった。

私は、在特会による在日コリアンに対する人権侵害にも、法学部出身の輩として火が付き、中心部の豊かさを捻出する、優位を占める西洋文明覇権に対する、収奪と負荷、外部化の周辺部に追いやられる、グローバルサウスの闘士の一員となるため、2013年御嶽山の噴火が止まない夏、在日本韓国YMCAに駆け込み、以降、韓国人、在日コリアン、韓国語に学識のある日本人らに韓国語を習うことになった。在日コリアンらが、国籍の壁に、参政権や社会権などで制限を受け、差別され、ある意味障害を抱えている現状を目の当たりにして、障害者のひとりである自分は、在日コリアンらと利害を共有することが可能であることが判明し、一致点を見出したのだった。勿論、新大久保コリアタウンの韓国語教室に通ったり、大阪の生野コリアタウンに訪れたりもした。

それでも、西洋文明の原始である西洋古典学、古典ギリシャ語、ラテン語の探究も怠っていない一方で、東洋文明の枢軸部を占めた、仏教思想や、高麗白磁、朝鮮青磁といった、朝鮮陶磁器など、古代印度、中国先進文明が、朝鮮半島を経由して伝播した。

安土桃山時代、秀吉の朝鮮出兵で、世に知られるようになった、日本の交易の中継拠点の宗氏が掌握する対馬藩の中国語、朝鮮語に長け、外交手腕を発揮した儒学者、雨森芳洲の存在を認知し、自分も一念奮起して、大韓民国の黎明期が胎動し出すかのような、対馬諸島を遥か海の彼方に眺めながら、玄界灘の曙を越えて海路で韓国に渡り、韓国語学習を開始していた。

既に渡韓は、仁川国際空港開港以前の1997年以来、通算七回に及び、ソウル、釜山、慶州、海印寺の歴訪を試みた。だからこそ、朝鮮半島から遺産が伝播したその歴史・政治・文化を紐解くことで、日本の古代、中世、近世、近代、現代史の通史の理解と、朝鮮半島について造詣を、双子の東アジア先進国として、日韓関係の良識との有機的連携を図り、歴史的導出としたい。世の中の辛辣を舐めてみないと自分の進路など明確にならないものであり、一方で少年期に受けた衝撃が、そのひとの運命を決定づけてしまうものである。

そんな今日、卓越したサムスン電子や、LG電子などが謳歌する、韓国経済も例外に漏れず、新古典主義経済学派が潮流となり、今日では先進国と同様、一部のリバタリアンの有産階級と、大勢の無産階級とに分断、格差社会が形成されている。しかしながら、私の生まれて初めての韓国、というか朝鮮半島の接点は、幼いときの短波ラジオから聞こえてくる、南北朝鮮がまだ朴正煕、金日成独裁政権のプロパガンダの地下放送だった。その荒々しい男性の声量は、不気味で不快にさせ嫌悪感を抱かせるのは否めなかった。

しかし、大韓民国の民主化、新興国入りを経て、韓流ブームに始まった、日本における韓国語学習ブームの波に乗って、自分もまた、ハングルもさることながら、教材に録音されている、控えめな美しい女性の声に魅了されたのは意外であり、洗練されたKPOPの楽曲の耽美な音色に酔い知れたのだった。そんな中、専ら韓国語の先生の視覚からの美貌を追い、自分の受講も続かず中断が余儀なくされた。が、今日、令和六年三月十四日ホワイト・デーにシオ先生に出会ったのだった。

シオ先生のプロフィールにモス・バーガーでアルバイト経験有りとなっていて、自分も高校生の時、モス・バーガーでアルバイト経験があり親近感が湧いた。シオ先生が音声のみの授業というのは、その音声だけの授業と、最初の自分の韓国語学習の時の美しい女性の録音音声が重なり腑に落ちたのだった。同じ職場がモス・バーガーなら、ぼくの昔のモス・バーガーの同僚に木下優子さんという女性がいて、木下なら朴優子になる。ならば、郵・パックになり、笑い話にもなりそうだが、自分の海外とのもう一つの消息、未遂ではなく実行犯は、新大久保の韓国語の先生が、小包の送り方はと唆した、韓国の友達に何度も送った、お菓子やラーメンを詰めた郵・パックがもう一度の転機に他ならないのだった。作品というものは、抑圧民との共感により生まれてくるものである。ぼくの海外との消息は、意外にも東方礼儀の国と讃えられる大韓民国に媒介されたことにより、凶ではなく大吉と出て、あたかも珍島割れの奇跡を起こし、自分ながらに驚いたのだった。

それは、自ら犯した未遂の在日大使館への英文文書が陰なら、韓国の友達への郵・パックは陽で、過ちと思われた同性愛が、同性婚の合憲判決の報道が相次ぐと共に、何か昨日までの自分と、今日からの自分が入れ替わったような、生活には恵まれなくても、運命の女神が微笑んでくれそうな、陰陽説を象徴する大韓民国の太極旗のような物語が幕明けするのではと、専門性が求められる時代だからこそ、羅針盤となるような、病院に総合診療科があるように、法哲学や西洋ローマ法制史学にハマった法学部出身の輩として、何か文理科学を融合させるような鳥瞰図を示し、統合文学のような話が試みられないかと思って、日韓の空の下に愛の架け橋を育もうと、朝鮮戦争の悲劇について祈りを歌った北朝鮮の歌曲を、日本のフォーク・シンガーがカバーした、イムジン河を今一度思い起こすことで、統一朝鮮半島という未来に向かって、日本社会も、性、障害、国籍などの壁を超えて、真の共生社会を実現するべく、日韓蜜月時代が、何か外交復権を目的に華々しく取り交わされた朝鮮通信使使以来、幾多の長い戦禍や闇の歴史を超えて、暗闇から夜明けを迎えたかのように、今韓流ブームに光り輝く日韓関係の花が咲く、韓国人、在日コリアン、在外韓胞が形成してきた共同体であるコミュニテイが、光からも闇からも、国際社会に逞しく根深く根をおろしてきた勇姿に敬意を表したい。

俗にブルジョワ階級と呼ばれる人々によって形成されるフランス語をエリック・プリユ先生に教わってから十年、かつて学んだプロレタリアート階級を構成した韓国語は、今檜舞台のど真ん中になった。人生一度きりの失恋で受けた致命傷こそ人生の本命である手話を学ぶべく大転換して、令和六年五月より、聴覚障害者やその支援の方々と、ノアの方舟に救われたような、人生で初めての笑々泣々、喜怒哀楽を分かち合う仲間と桃源郷のような世界に迎え入れられた。コリアタウン千葉においてこそ、尊い無償の愛でもってソウルという魂が響き合う、お互いの心を許し合う奇跡が降り注ぐことで、身をもって聖賢の奇跡に触れ、等しく幸福を担保するためにも、味方として役に立ち力となるためにも、身をもって聖賢の人間の道に再生、体現しようと闘志を燃やしたい。障害を抱えることはハンデイではなく、人の温もりや優しさに触れることに気づく奇跡に他ならない。

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1990年平成2年アメリカ・ミシガン州・リベラルアーツカレッジ留学から帰国した自分は、外交官になる志を叶えるため、1993年平成5年早稲田大学法学部卒業後、サウジアラビア王国政府、クウェート政府が出資、外交任務も兼ね備えるアラビア石油株式会社入社。経理部出納課に配属され、日本興業銀行本店、三菱銀行本店他、東京丸の内、大手町を中心とした銀行回りの仕事をする。当時、静謐な高校生の平和大使のような、反核思想を拭えないでいた。

ヒロシマ・ナガサキに投下された原子爆弾が、東京理科大学の西村氏によると、ハリー・S・トルーマン大統領が音頭をとった、映画化もされたロバート=オッペンハイマーによって主導されたマンハッタン計画が、E=MC×Cというエネルギーは、質量かける光速の二乗に等しいという、アインシュタインの相対性理論から導かれた現象として、原子爆弾の原理を表している。原子爆弾の材料には、ウラニウムで作られ、起爆した瞬間にウラニウムの質量が、減少した数値に光速(秒速30万km)の二乗をかけた、エネルギー量が発生するという原子爆弾の爆発という惨禍を、経理部隣の財務管理グループとは名ばかりのアフリカ・コンゴから原子力発電の燃料となるウラニウムを調達・企画する部署と立ち合うことで、やむを得ず、チェルノブイリ原発事故から醒めやらない、原子力事業に精力的な会社側と乖離をきたし、統合失調症の労災を患い離職。

以降、療養生活を送りながら、外交官志望の夢を果たすため、海外アジア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア5大陸34カ国渡航。祈りの国・インド、ネパール、おとぎの街ケベック、常夏の海・アカプルコ、コート・ダ・ジュール、最果ての北極・アラスカ、敬虔の国・チュニジア、パキスタン、親日の国・ベトナム、懐かしの国・カンボジア、南半球の国・オーストラリア、郷愁の国・サハリン・樺太という地球旅に感動し、世界平和を志向する、世界市民連帯を確認する旅となる。2003年東京・高田馬場で、エコール・エフエルを主宰する、エリック・プリユ先生に、早稲田大学で学ぶ目的だった、国際連合の副公用語でもあるフランス語を師事し、DELFB1のディプロムを獲得する。

2014年在日コリアンらに対するヘイト・スピーチに法学部生として、在日コリアン人権擁護・人権啓発アドボカシーに、国際人権活動家として芽生えた正義心から火がつき、韓流ブームに刺激を受けながら、韓国語学習を開始する。三菱商事子会社で、ファイナンシャル・テクノロジーの、株式会社トランザクション・メディア・ネットワークスで、精神障害者、発達障害者他、障害者向けの農業の仕事をしながら、日本語学科の大学に進み、N1合格の傍ら日系企業に勤務した文鉉伊との親交を深める。

東日本大震災による福島第一原発事故の経験を経ることで、労災によって離職した原因となった核分裂技術が、東京理科大学の西村氏によると、ウラニウムのように沢山の陽子と中性子で構成される原子に中間子をぶつけて核分裂を起こす。原子炉は、核分裂を少しづつ持続可能に制御しながら、エネルギーを取り出す。爆発的に核分裂させると原子爆弾になる。いずれにせよ放射性物質を放出し、人体に甚大な健康被害の悪影響を及ぼす。 そうした副作用を克服しようと、21世紀に入ってから有望視されるようになったITER(ラテン語:道)国際核融合炉開発に代表される、核融合科学技術は、太陽の中心部で高温高圧で行われている水素爆弾と同じ現象を、核融合炉を創出することで、人工太陽を作ろうという科学技術である。今現在では、原子炉の制御が難しく、高温なので溶媒の材質が容易くなく、溶媒の中に電磁石を作動させて密封を試みている。そのために東京理科大学理工学部物理学科名誉教授尾立晋博士の常温核融合の論文が、ノーベル物理学賞が期待される。湯川秀樹博士の2種類の中間子の研究で、ショート・レンジは通常の核融合に関係するが、ロング・レンジの中間子は、常温核融合に関係することが理論上明らかになった。 SDGsと謳われる時代に、世界的に人口減少社会に向かう中、未来の文明社会が今後縮小するのか、それとも拡張を続けるのか議論のあるところだが、いずれにせよ地球環境問題の切り札となる、核テロセキュリティなどを構築した上で、核融合の実現の理解が働いたことで、アラビア石油の怪我の功名を後世に家訓として留めようと、次世代に育成が期待される文理融合型リベラル・アーツの知識人として、将来の核科学の有効性の処方箋を記すため、令和5年2023年核科学の哲学・神学を本に纏めて、パレード・ブックス社より出版し、現在に至る。還暦を後5年足らずで迎えるのに思うことは、極楽浄土へ導いて下さるのに、誰しもをも、神様は見守って下さっているということである。

昭和の受験生の時、プロボノ弁護士を志した夢を抹消された悲劇を、平成の韓国語アドボカシーという試練を自らの障害を自覚することで、令和の時代に、封印していた手話に目醒め、プロボノ手話通訳士の目標を中心とした、障害アドボカシーや、人権・外国人アドボカシーを、また動物愛護の観点からの動植物アドボカシーを、インクルーシブ・ライフ・コミュニケーション・アドボカシーに総括して、復刻を遂げるべく、第二の人生の船出の旅立ちに、須藤千恵先生から賜った恩に報いるべく、池坊の道に精進を重ねると共に、ボランティア活動を通して、日本手話、国際手話に関心を持つことができる幸運に恵まれています。点字学習にも関心があります。健聴者、健視者ですが、統合失調症の精神に疾患を抱え、いつ重度障害になきにしもあらず、手話を通じて、点字学習を通じて、盲者も聾者も含めた様々な障害者全般が、理解のある健常者の扶助と共に、交流を通じてお互いの障害の理解を深め、誰しもが生き甲斐を発揮できる、マイノリティ全般、即ち包括的共生社会インクルーシブ・ダイバーシティの実現に関心を払っています。

それは、京都朝鮮学校などの裁判の判例で、人権マイノリティの境遇を強いられた在日コリアンらのアドボカシーを通じて、永住外国人の参政権、社会権を始めとした外国人の人権の尊重に理解が働いたこと。LGBTといった性的マイノリティについては、それが同権の尊重において価値に値するが、性的錯誤までの権利をどう扱うのか。生態系弱者生命体である動物愛護については、人間は民法上法的エンティティーになっても、チンパンジーは法的エンティティーに該当しないように、近年刑法の器物損壊罪に代わる、動物愛護法が施行されたが、人間は腹が空けば、中国人らは、犬でも猫でも食用にする習慣がある現実を認めた上で、麻薬犬、盲導犬、警察犬、その他害虫のネズミを駆除する猫の家畜の存在。

障害者の権利もまた然り、論点は多岐に渡ること。何か法的主体Entityを構成する存在が100%から欠けてしまう時、肢体不自由、視覚障害、聴覚障害、精神障害、発達障害などのハンディを伴うことで、法的経済的社会的に甚大な不利益を被る恐れがあるのだから、民法の後見制度のような、法的主体の瑕疵を補う法制度が出動できるように、その被法的主体の十分な権利保護が図れるようにすることが重要である。いずれにせよ、マイノリティの問題の背景には、旧来社会が画一的価値観を強いた歪が顕となり、ダイバーシティと言われる多様性の存在を認めることが不可欠である。障害アドボカシー、障害者の福祉、人権擁護、人権啓発についてまだまだ不勉強なので学びたい。


1969年昭和44年兵庫県西宮市生まれ。父の仕事の都合上、東京都練馬区石神井、山梨県甲府市、茨城県土浦市、茨城県稲敷郡阿見町、大阪府枚方市、千葉県松戸市など転居を重ねる。帰国子女を中心に集う茗溪学園中学校高等学校を、三井財閥系銀行員からジョージタウン大学大学院を経て、世界銀行、外務省駐バーレーン書記官として活躍した吉永慶太、帰国子女生としてUWC、京都大学、慶應義塾大学大学院に進んだ高野厚らと親交を深める傍ら、当時としては珍しい、学校に導入されたパーソナル・コンピューターに関心を示し、ベーシックと言う原始的な機械語を認知するが、防衛医科大学に進んだ先輩のプログラミングのセンスの良さに感銘を覚えると共に、自分の数学の相性の無さに挫折する。

以降、米国留学時アップル社がまだベンチャー企業にすぎなかった頃、富裕層らがマッキントッシュを手にし、タイからの留学生が自分はコンピュータ・サイエンスを専攻すると豪語していることに驚いた。帰国後、会社に導入されているIBMのコンピュータを動かすため、直属の上司からMSDOSを覚えろと命令されたが、その意味が飲み込めないでいた。しかし、会社を離職し、障害を抱えている今、大凡人類が操る言語とは、外国語、障害者、サイバーが構成する三要素が相乗効果を挙げていることに理解が働き、特に、歴史問題が滞る中国人や、韓国人らの外国人の人権や、様々な障害者への配慮を始めとした、昭和の基礎演算のコンピュータから、あたかもサイバーにも生命が吹き込まれようとするが如く、令和の生成AI人工知能などへと目覚ましく発達、昇華を遂げていることから、リアルもサイバーも横断した、外国語、障害者言語、サイバー言語の三要素の包摂的バーバル・ノンバーバル統合理解型リトラシーを後生の課題としたい。

それは、あたかもサイバー自身になるが如く、誰しもがサイバーの助けの必要とする、ある意味での障がい者として必要不可欠なのであり、令和六年土屋先生の池坊巡回講習を目前にして、高校の同期の土屋君がシステム・エンジニアとして活躍していたことも知り、自分は常にコンピュータに関心を抱いていたのだと、吉本興業プログラミング部Python入門の本で勉強を始めた。株価データから始めて、気象データ、衛星データ、医学データの解析などにも取り組んでみたい。障害を抱えていても、毛利衛宇宙飛行士に続く、国立科学博物館館長の全盲の視覚障害者の浅川智恵子が、点字翻訳で開花し、東京大学大学院、カーネギーメロン大学を経て、IBM最高職位フェローを勤めたように、後進となるよう見習うべく、今後の目標に掲げたい。

茗溪学園中学校卒業で退学、転校した千葉県の県立高校も中退。単身香港に渡り、中国大陸を流浪。上海より鑑真号で神戸港に帰国。

虎の子は、崖から突き落とされるように、下剋上を戦い、独学により一浪の末、1988年昭和63年早稲田大学政治経済学部合格番号’一〇〇五四’は、GAFAを筆頭に、中心の豊かさに富を捻出する、収奪と負荷の転嫁、外部化を厭わない、キリストを十字架にかけ、神の賎民として社会的に排斥された選民思想に固執するユダヤ人は、高利貸しによって生業を凌ぎ、ユダヤ・エリート階層と共に、ユダヤ資本を形成し成長した搾取資本を守るのに、無辜の人民の殺戮も辞さない、たとえ先の大戦のホロコーストで犠牲を強いられたとしても、米国やイスラエルなどの強硬勢力を玉砕することこそ正義に叶う。

アダムとイブが林檎を食べたら、肢体を纏うようになったとするキリスト教史観こそ、人類の蓄財とその蓄財を巡る戦争の通史だと言える。つまり隠すことから蓄財が始まり、蓄財することから戦争が拡大したのに他ならない。私は、仏教史観にこそ、草花を愛するように、生きとし生けるものを慈しむことで、エロスこそ人類平和愛を導くのに、貢献、解放するものと信じているから芸術創作行動をしている。 裸婦像についての見解は、聖説、俗説混在しているが、猥褻ではなく、過去にはブルジョワ階級などから、センセーショナルだとして、倫理的に忌避された歴史もあるが、天地創造を象徴する子孫を産む、また人間讃美の広い意味での女性も男性も、裸像が神聖視されるからこそ芸術であることを、表現の自由において訴えることを意図することで、中国、ロシア、北朝鮮など覇権主義社会によって、当たり前にある訳ではない「自由」が脅かされる時代だからこそ、日本国憲法が謳う基本的人権の尊厳、民主主義、平和主義の自由社会の理念の砦となるべく政治的一市民の志士として闘い、「自由」を謳歌して生きていきたい。

ロシア、白ロシア(ベラ・ルーシ)、ウクライナの三国で国連のソビエト連邦の三票の投票権を構成していた小ロシアとしての緊密性が歴史的に不可分であることと、インド太平洋などというアメリカのご都合主義的安全保障の枠組みが、ロシアと中国を孤立化させ、歴史的親和性を無視した国際政治の合従連衡は、危険であるばかりか、国際安全保障を第三次世界大戦の破綻に招く。 戦後、ハイパーインフレーション、国際収支の赤字、減税国債の発行、公共事業、財政投融資の拡大等々、巨額の財政赤字や累積する借入金の返済に見舞われた。経済政策では、ハイエク、フリードマンら、財政健全化に誘導するため、財政出動に消極的な新古典派主義が潮流となり、バブル経済黎明期より、マーガレット・サッチャー、ドナルド・レーガンらが台頭、中曽根康弘は、国鉄民営化、電電公社民営化、タバコ塩専売公社民営化を、小泉純一郎は郵政民営化を政策に打ち出した。第二次安倍晋三内閣が発足すると、2015年橋下徹による維新の会が誕生、リバタリアンの新保守本流が、日本全土を覆い、弱者は全て切り捨てとなった。 「政府を小さく小さくする政策」を推し進めた結果、公正主義や、所得再分配機能が劣化、良識を兼ね備えた苦学生が報われるという美談が姿を消し、あたかも知識さえも資本市場で剥奪され、資本家と、本来権力を批判すべき知識人とが結託した歪で陳腐な独占構造は、弱きを助け、強きを挫くのではなく、日本社会のいや、世界共通とも言える、弱肉強食の一強多弱の寡占状態が露呈し、寄らば大樹の木となり、甘い汁に猿山の如く群がる醜姿こそ、今日の世相を曝け出している。

環境破壊や経済格差を引き起こす、獰猛なGAFAを代表格とする独占主義が暴挙する今だからこそ、国際連合や赤十字社などによって、公正な秩序と資本主義が果たすべき、マイケル・サンデルら親中派が唱える「公共善、Pro Bono Publica」の導入こそ、保守であっても「福祉型の大きな政府」の実現が喫緊の課題である。 逼迫する社会保障費の捻出に全世代負担型を強化するため、子育て支援金を全社会保険料に上乗せするなどの政策を支持する。そのことは維新のように、不要なものは削る、共産のように手厚くするものは盛る、メリハリが重要であり、立憲のようにヤジだけ飛ばしているようでは埒があかない。公明や国民など風見鶏は問題外である。マスメディアが煽る、過剰なまでの欧米同化は絵に描いた餅であり、守旧を温めるのに、華夷秩序を構成する科挙の必須科目を課した古代中国唐代よりを始め、朝鮮、日本、琉球、越南と呼ばれたベトナム他、マレーシア、シンガポールなどの華僑圏と親睦を図りアジア平和外交を自覚することこそ肝要である。

更に自らの武家の士族としての出生を正すのに、仏教思想の虚無性に立ち止まることも必要であると同時に、政治を前に進めるためにも、忠孝を重んじる儒家思想を積極的に採り入れ、朱熹による朱子学から陽明学に発展した四書五経が繁栄した百点満点の理を磨き、濁々とした気を取り除く天子たるべく修己修錬に励んでいます。

米中経済冷戦が、米中軍事冷戦にエスカレートしようとする今、自分の人生において前例がないほど、濃厚な親睦関係を結んだ文鉉伊との厚誼を、更に親展させるためにも、かつて宗氏が中継貿易で繁栄した対馬藩で、江戸中期に外交手腕を発揮した、中国語、朝鮮語に長けた令和の儒家雨森芳洲を目標としたい。

留学時代、抜群の教員のPhD(哲学博士号)取得率95%という数値に感銘を受け、自分も後進になろうと夢見たが、Dr取得の道を志半ばに病を患い、悪夢となって門外漢となったことを反省し、米国リベラル・アーツ・カレッジで、アイビーリーグの一角を占めるブラウン大学大学院博士候補生のインド人女性と、教員として肩を並べたことは、法学部生として当時からロー・スクール大学院制を敷く判例法体系下の米国のもと、Juris Doctor(法務博士)と等しく博士のヒエラルキーとして扱われた経験に誇りを持ちたい。

五十にして天命を知り華道に親しみ、稽古に精進を重ね、精神的涵養を高め、聖賢の教えを以て、天下泰平の深層真理を探究、解明してみたい。そのためには、誰しもが人生の旅路の途中で、何らかの障害を負うのであり、真理を探究するのに、天下国家のため身を挺することも厭わないことが男子の本懐である。

少年時代、少女に寄せた恋心は、青年期となり生命の象徴である女体の神秘性に駆られた。やがて、動的な女体の放蕩から、栄華盛衰となり、諸行無常となり、輪廻転生となり、quiet「静かな、安息の」、ラテン語の語源、鎮魂歌レクイエムとして、中国、朝鮮半島から伝播した陰陽説に由来する立花は、一過性しかない儚い花の生命が、無限の生命の連環を象徴することに他ならないからこそ高貴である、草花の静的な挿花の趣へと変遷してきた。この世の性が男と女の二対で構成される以上、生殖器である花々への関心を高め審美眼を養いたい。

池坊人として、荊棘(けいきょく)を拓いた先輩方の恩恵の後塵を博し、花友と共に切磋琢磨し、よく衆理を兼ね備え万事に応ずる徳の光明を赫奕(かくえき)にし、温和慈愛、恭敬樽節を以てご縁を紡ぎ、新民尽くすなり。彩豊かな潤いあるいけばなを佛前供花として、普く祈りが捧げられるように、花となるべく、山となるべくいけて華道に精進を重ねて参ります。

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