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「忘れるもんだから。」

「歴史は繰り返す」って言葉がある。

ただ、最近は繰り返すというより、

「歴史は同じような韻を踏む。」と表現している言葉をよく見る。

現代はその言葉通りに歴史と同じような韻を踏んでいるから、

政治・経済・社会を含めたこれから先の俺たちの生活は、

良い未来と予測している人は少ない。

(ただ、チャンスがないとは言っていない。)


なぜ、良いことも悪いことも歴史は韻を踏んでしまうのか?

俺は単純に、人間が

「忘れる」

という性能を持っているからだと思っている。


あれだけ痛い目をみたのに、また同じ失敗を繰り返す。

楽しかったことは覚えているけど、詳しい内容は忘れる。

いつも家の鍵をどこに置いたのか忘れるから、置く場所を気をつけようと思っていても結局忘れる。笑

等々、俺も本当にこんな経験をよくしている。笑

俺だけじゃなく、多くの人がこんな経験をしたことがあるんじゃないかな。

ほんと、忘れるとイライラして自己嫌悪に陥るし、同じ轍を踏んだときの自分の愚かさに絶望する。

もっと言うと、忘れたことが原因で自分だけじゃなく周りの人間に迷惑が掛かったときなんて申し訳なさすぎて死にたくなる。



でも、それが人間なんじゃないかなと最近は思っている。

忘れるという性能があるからしょうがないだろうと半ば諦めている。

そして、忘れることは全部が全部、悪いことじゃないとも思っている。


どういうことかと言うと、イライラしたり嫌なことが起こっても、

忘れることができるって、気持ちの切り替えが上手いってことだ。

失敗して、落ち込んで、くよくよしたって、

勝つまで続けるしかない、やるしかないんだから、

「何もしない」時間はマジで無駄だと思っている。


だから、何かに失敗してもそれが例え同じ轍を踏むようなことであったとしても、

忘れることができると、次の挑戦に対してスピード感をもって取り組むことができるんだ。



最近読んだ、町田康さんの「人生パンク道場」に

もし過去にあったすべてのことを忘れることができず、その生々とした感情をずっと忘れないでいたらどうなるか。
私たちは狂ってしまうだろう。少なくとも普通の日常生活を送ることはできない。忘れることによってやがて悲しみは癒える。

って書いてあったけど、本当にそうだと思うんだよね。

俺はまだ25年しか生きていないけど、人生に、自分に、心底絶望したことがある。

でも、良いことばかりじゃないが今生きてこれているのは、

忘れることができているからだと思う。

マジであの絶望をずっと忘れずに生活なんてしたら狂ってしまう。笑

ただ、思い出せるってことは完全に忘れてはいないってことだけどね。


その本の続きで、

どうしても忘れてしまうなら、なるべく忘れないように記憶して、なるべく同じ過ちを繰り返さないようにしたらいい。

って書いてあった通り、

どうしても忘れることが嫌なら、なるべく忘れないように気をつければいいんだ。

楽しみは楽しみとして、悲しみは悲しみとして、瞬間瞬間を大切にすればいいんだ。


人間は忘れるもんだから同じ過ちを繰り返してしまうけど、人間は忘れるもんだから切り替えることができるんだ。


忘れたことに絶望することはあるけど、忘れることで癒える傷もあるんだ。


人間は忘れるもんだから、今を大切に生きていこう。


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