弄られドゥール・ドゥキャス

著書なし。

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記事一覧

生の棘

黄色い線の内側に お下がりください 一番線に 死者がまいります というアナウンス 新宿で流したらどうなるんでしょう 東口から西口が見えるくらいに 西口から東口が見え…

中央線

3時すぎの中央線で一番遠いところまで行くのは、どこに着くかわかっているからだ。 ゆりかごにも、母の胎内にも似ていると言われれば納得してきまうような、そんなふうな電…

負けるために起き上がるのだ

今日のあとにまた別の今日が来ることを みんなが知ってしまったから 毎日服を選ぶ手間ができくさった やったら捕まることだらけの日本で やらなきゃ捕まることといえば 服…

ムジール『ぼくの遺稿集』森田弘訳 晶文社

(*)ムジールの名前は本によって「ムシル」であったり「ムージル」であったりと表記揺れが激しいのでここでは書名以外「ムジール」に統一する 絶版になった本を薦めるの…

藍染めのズボンを母に

母はジーンズをズボンと呼ぶ そして勝手に洗濯をして せっかくの藍染を台無しにする iPhoneなんかよりもチェーンソーなんかよりも 母の回す洗濯機のほうがよほど残酷だ ジ…

ひとくちめで終わる

ひどい暑さの夏だったから 風鈴も釣り忍も用済みになってしまって 近所の鉢植えの朝顔さえ悪意に微笑んでいるように見えた わたしはこの夏ですっかり即物的になってしま…

過去ぶつ

三歳の頃、父母と妹と祖母と曽祖母で越後湯沢へ行ったのがビデオに残っていた。ビデオを見たのは6歳のころで、わたしはそれまで祖母や曽祖母と旅行に行ったことなどないと…

正岡子規によせて

わたしには奇妙な持病があって それはまた別の持病が呼んだ持病なのだが ときおり、左顔面から胸にかけて半身が痛むのだ 痛いのだからただ痛いと書けばいいのだが そうする…

カーネギーみたいに

「公爵夫人は八時に家を出た」このような文章で小説は埋められている。 ヴァレリーはこう残し 散文のつまらなさの極致を示した ハイスミスのような スマートな散文は散…

砂嵐が消えた日に

労働を描いた文学がないことに憤るのは ばからしいことだ ほんとうの世界はいまだに テレビの向こうにあるのだから こちらがわ偽物の世界の労働も偽物なのだ アットホーム…

甘えの構造

ものを書くことがとても恥ずかしいことだと思うことと、高貴なことだと思うことは遠いように見えて、じつは憧れという感情の両極なのだと気づくまでにずいぶんと時間がかか…

図鑑という墓場

皇帝ペンギンが存在し 民衆ペンギンが存在しないことに 疑問を抱かないひとには 失語症も吃音も理解できないだろう 民衆の存在しない皇帝が一体なにを統べているのか い…

隠しごと

生まれてこなかった子どもたちを慰めるために、どれほどの量のメロンソーダがいるのか計量することはできない。まじめに計算することを放棄することで大人たちの正気は保た…

松茸論

ある交通事故にそれが起きなかった可能性が書き込まれていたとわかれば、松茸が毒茸として振る舞わないことの欺瞞がわかるはずだ。人を惹きつけるものは犯罪的なのだ。まる…

ゆびをかぞえる

幼稚な願いだとわかっていても、海を見ると漁師になりたくなる。自分の手を見ると、漁で作ったまめもなければ、網ですりきれた古傷もなく、ボールペンのように4本の指がた…

窓のことを

ほんとうは釣り人のことを待ち人と呼びたいが ことばがそれを許してくれない そうしないと体がばらばらにくずれてしまうのだろう 今日も指で蟹を作れるのは 歯医者を炭鉱夫…

生の棘

黄色い線の内側に
お下がりください
一番線に
死者がまいります
というアナウンス

新宿で流したらどうなるんでしょう
東口から西口が見えるくらいに
西口から東口が見えるくらいに
人はちりぢりになっていなくなるんでしょうか

そのあとは一番線に死者の群れ。
参るという言葉どおりに
なんとなく申し訳なさそうにしている

参る、とは、行く、来るの謙譲語なのだから
参りますというなら電車はなべ

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中央線

3時すぎの中央線で一番遠いところまで行くのは、どこに着くかわかっているからだ。
ゆりかごにも、母の胎内にも似ていると言われれば納得してきまうような、そんなふうな電車の動き。ぼくは眠くなってくる。眠りに落ちる瞬間をかすめとるためにぼくの詩はあるのだが、なんであのいい加減の時間を書き留めるのにこんなに時間がかかるのだろう。
目を閉じたとき暗闇でなく、ふたごのきょうだいの目が見えたら成功なのだけど。あの

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負けるために起き上がるのだ

今日のあとにまた別の今日が来ることを
みんなが知ってしまったから
毎日服を選ぶ手間ができくさった
やったら捕まることだらけの日本で
やらなきゃ捕まることといえば
服を着ることくらい

ああ面倒くさいタートルネック
お前のどっちが前なんだ
ああ面倒くさいパーティードレス
誰の気分も煽らないでくれ
ああ面倒くさいリクルートスーツ
私服通勤がウリなんだろ貴社は
ああ面倒くさい囚人服もユニクロも
罰なら裸

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ムジール『ぼくの遺稿集』森田弘訳 晶文社

(*)ムジールの名前は本によって「ムシル」であったり「ムージル」であったりと表記揺れが激しいのでここでは書名以外「ムジール」に統一する

絶版になった本を薦めるのは妙な気分だ。知り合いに、その人の知らない故人の話を滔々としているような気がする。焚き火を囲ってならそういうことをしたいような気もするが、あいにくインターネットにそんな場所はない。今回紹介する本は絶版で、あまり古本屋で見かけることはないけ

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藍染めのズボンを母に

母はジーンズをズボンと呼ぶ
そして勝手に洗濯をして
せっかくの藍染を台無しにする
iPhoneなんかよりもチェーンソーなんかよりも
母の回す洗濯機のほうがよほど残酷だ

ジーンズを履くときにズボンと音がするような気がして
そこからズボンと名がついたのではないかと思っている
辞書を引けば語源なんて簡単に調べられるけれど
自分だけのあてどもない語源を持つことは贅沢だ

受験英語を忘れることもひとつの贅

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ひとくちめで終わる

ひどい暑さの夏だったから
風鈴も釣り忍も用済みになってしまって
近所の鉢植えの朝顔さえ悪意に微笑んでいるように見えた

わたしはこの夏ですっかり即物的になってしまった
風鈴も釣り忍も用済みになってしまって
いずれわたしの辞書から言葉ごと消えてしまうだろう

もうすっかり秋だからこんなことを書けるのだ
それを卑怯と罵られても
仕方のない気はするが
親に借りてもらった部屋を吹き抜ける秋の風が
目に

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過去ぶつ

三歳の頃、父母と妹と祖母と曽祖母で越後湯沢へ行ったのがビデオに残っていた。ビデオを見たのは6歳のころで、わたしはそれまで祖母や曽祖母と旅行に行ったことなどないと思っていた。人伝に幼い頃の自分の話を聞き、そういうこともあったのだなと思うのと、ビデオに残っている記録を介して過去を突きつけられるのは、まるで質の異なる体験だ。語るということと、見るということとはわたしたちが思うよりずっと隔たっている。しか

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正岡子規によせて

わたしには奇妙な持病があって
それはまた別の持病が呼んだ持病なのだが
ときおり、左顔面から胸にかけて半身が痛むのだ
痛いのだからただ痛いと書けばいいのだが
そうするとどうも嘘をついている気がして
修辞に逃げたくなる
痛みの部分をマーカーすれば
神経の走り方がそのままわかるような
そんな気がしてくるほど痛みは神経をきれいになぞる
痛みとも疼きとも言えない感覚について
言葉よりも歪んだわたしの顔が

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カーネギーみたいに

「公爵夫人は八時に家を出た」このような文章で小説は埋められている。
ヴァレリーはこう残し
散文のつまらなさの極致を示した

ハイスミスのような
スマートな散文は散文的に思え
ロブグリエの実験小説はそれ以下の落書きに見える
そのような磁力がヴァレリーの一言にはあるが
喜怒哀楽なんていい加減な枠組みに
自分の気持ちを納めたくないなら
感情の由来となったできごとを思い出せ
「公爵夫人は八時に家を出た

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砂嵐が消えた日に

労働を描いた文学がないことに憤るのは
ばからしいことだ
ほんとうの世界はいまだに
テレビの向こうにあるのだから
こちらがわ偽物の世界の労働も偽物なのだ
アットホームな職場ですという求人広告は
嘘をついていない
求人広告に載っている
BBQ大会の社員たちの引きつった笑いは
テレビ的だから

テレビに愛憎入り混じった感覚を抱くのは
ほんとうの意味で正気である証だ
じじつわたしたちはアットホームな職場

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甘えの構造

ものを書くことがとても恥ずかしいことだと思うことと、高貴なことだと思うことは遠いように見えて、じつは憧れという感情の両極なのだと気づくまでにずいぶんと時間がかかってしまった。畳の部屋で書き物机を前にして悩んでいるふりをしているところを遺影にしたいような気がする。そんな程度にはまだぼくは青臭い。
愛嬌のあるふりをしてひとを欺いて、親に借りてもらった部屋のリノリウムの上で、申し訳なさに今日ももんどり打

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図鑑という墓場

皇帝ペンギンが存在し
民衆ペンギンが存在しないことに
疑問を抱かないひとには
失語症も吃音も理解できないだろう

民衆の存在しない皇帝が一体なにを統べているのか
いちどでも立ち止まって考えてみれば
からだがどもっていく
矛盾の前に
からだがどもっていく
ゴリラ・ゴリラという学名は
痙攣ではなく吃りなのだ
口で転がしたくなる名前には
吃音の種がまかれている
世界中のいきものを集めた図鑑を音読して

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隠しごと

生まれてこなかった子どもたちを慰めるために、どれほどの量のメロンソーダがいるのか計量することはできない。まじめに計算することを放棄することで大人たちの正気は保たれているから。
すべての命の価値は平等だと教えられたわたしたちだからこそ、両親を驚かせるほど「死ね」を口にする。それは、ペペロンチーノという言葉に去勢されフリルを着た男を思い浮かべることもしない親たちへの、精一杯の復讐なのかもしれない。

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松茸論

ある交通事故にそれが起きなかった可能性が書き込まれていたとわかれば、松茸が毒茸として振る舞わないことの欺瞞がわかるはずだ。人を惹きつけるものは犯罪的なのだ。まるで起きなかった事故のように、あるいは起こったことに気づかなかった事故のように、無意識にひとを消費に駆り立てる新宿と松茸の犯罪性。なんの種類の毒茸にも似ていない、蠱惑的で地味な女のような、そんな詐欺茸を、香りだけで選ぶ、そうした無知へわたしは

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ゆびをかぞえる

幼稚な願いだとわかっていても、海を見ると漁師になりたくなる。自分の手を見ると、漁で作ったまめもなければ、網ですりきれた古傷もなく、ボールペンのように4本の指がたよりなく並んでいるだけで、そのことに後ろめたさを覚えるぼくはまだ健全だと思いたい。
言葉に固められることを拒んでいるみたいに波は立ちつづけ、風は見られることを恥ずかしがって海へ逃げていく。こうして現在形で語れることに安心を覚えるのは、現在形

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窓のことを

ほんとうは釣り人のことを待ち人と呼びたいが
ことばがそれを許してくれない
そうしないと体がばらばらにくずれてしまうのだろう
今日も指で蟹を作れるのは
歯医者を炭鉱夫と同じ仕事とみなせないからだ
傲岸不遜なほどに定義にこだわることばが
わたしの体をしつけてしまっている退屈だ
指では蟹を作れるのに
ことばで蟹をつくれないことのずれに
ずっと気分を悪くしている
日曜日の定義をひっくり返した革命がいつかあ

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