カーネギーみたいに

「公爵夫人は八時に家を出た」このような文章で小説は埋められている。
ヴァレリーはこう残し
散文のつまらなさの極致を示した

ハイスミスのような
スマートな散文は散文的に思え
ロブグリエの実験小説はそれ以下の落書きに見える
そのような磁力がヴァレリーの一言にはあるが
喜怒哀楽なんていい加減な枠組みに
自分の気持ちを納めたくないなら
感情の由来となったできごとを思い出せ
「公爵夫人は八時に家を出た」
このような事実のもつれあいが
感情の源泉だと知れば
いま哀しいのはただ少し話しすぎたせいだと気がつける

「光あれ」
この一言のおかげでどれだけの不幸が生まれたか
自分の感受性すら守れないわたしは
せめてもの自衛として
電気料金を滞納しつづけている

#詩

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