正岡子規によせて
わたしには奇妙な持病があって
それはまた別の持病が呼んだ持病なのだが
ときおり、左顔面から胸にかけて半身が痛むのだ
痛いのだからただ痛いと書けばいいのだが
そうするとどうも嘘をついている気がして
修辞に逃げたくなる
痛みの部分をマーカーすれば
神経の走り方がそのままわかるような
そんな気がしてくるほど痛みは神経をきれいになぞる
痛みとも疼きとも言えない感覚について
言葉よりも歪んだわたしの顔が
ナースに多くを伝えるようだ
さっきもナースステーションで痛み止めをもらった
好きな季語はたくさんあるが
自分の俳句を並べてみると食い気で作ったものばかり目立つ
人並みにしか花の名前を知らないことに
プライドさえ持っているかのように
花の句は見当たらない
今年も正岡子規の命日を少し過ぎた
子規の命日を糸瓜忌と呼ぶのだが
たわしにするくらいしか使い途のない植物が
俳句のある一面を端的に表しているような気がする
いなびかりにはにおいがあるというが
におう季語とそうでない季語があるのだ
謙遜を美徳とする日本人の美意識の底に
季語が流れているとしたら
なんて貪婪な謙遜なのだろうと
破綻した言葉で驚いてしまう
痛みのことを書こうと思ったのは
子規と自分を繋いでいる
糸を切りたくなかったからだろう
脊椎カリエスに侵された子規の晩年は
痛みとの戦いだったようだ
「死ぬことは少しも怖くない。苦痛が只怖いのだ」
そう言えることがきっと詩のほんとうの強さだ
子規はそういう意味で数少ない本物の詩人だった
一番好きな子規の作品はなにかと尋ねられれば
わたしは子規の墓碑銘と答えるだろう
「正岡常規 又ノ名ハ処之助又ノ名ハ升又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋主人又ノ名ハ竹ノ里人伊予松山ニ生レ東京根岸ニ住ス 父隼太松山藩御馬廻加番タリ 卒ス 母大原氏ニ養ハル 日本新聞社員タリ 明治三十□年□月□日没ス 享年三十□ 月給四十円」
わたしも墓碑に月賦くらい掘りたいものだが
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