甘えの構造

ものを書くことがとても恥ずかしいことだと思うことと、高貴なことだと思うことは遠いように見えて、じつは憧れという感情の両極なのだと気づくまでにずいぶんと時間がかかってしまった。畳の部屋で書き物机を前にして悩んでいるふりをしているところを遺影にしたいような気がする。そんな程度にはまだぼくは青臭い。
愛嬌のあるふりをしてひとを欺いて、親に借りてもらった部屋のリノリウムの上で、申し訳なさに今日ももんどり打っている。昔が当然のように遠のかず、むしろ鮮やかなまま意味を変えつづけ自縄自縛に苦しむのをテレビのザッピングに例えるのは、ものを書こうとするものとしては怠慢なのではないだろうか。比喩に逃げることを怠慢と思うのもまた怠慢だ。逃げ道のない文章は苦しい。比喩ぐらいせめて窮屈な思考の逃げ道であってほしい。
カメラのファインダーで世界を切り取ることへ、いまだ恥じらいを感じるのは父がぼくにカメラをいじらせてくれなかったからだろう。父が父権的に振る舞うのはカメラのことだけで、それもフィルム代が勿体ないからという金銭的な理由からだった。それでもいまだにカメラを使うことにひどい抵抗を覚えるのは、父権によって印字された禁止だからだろう。
ぼくがこうしてものを書くのは、アップすれば読まれることを知っているから。他人を巻き込む、児戯のような書き方しかできないのはぼくがまだ幼い証拠だ。カフカは読まれることを嫌い遺稿の焼却を望んだのはカフカが大人である証拠。実存実存とうるさい大学生をバカにする資格なんて、どこにもない。時折ぼくから漏れ出てしまう過去形がぼくの書くものを規定してしまうような気がして、怖くて過去形を使えない。世界を切り取るにはぼくは幼すぎる。まだごっこ遊びを続けていたいんだ。遺影にネクタイを締めたぼくを選ぶのはどうかよしてほしい。済んだことを書くから過去形使うのではないんだ。切り取ったことを書くから過去形を使うんだ。現実を切り取って編集してそれらしく仕上げる、写真のような営みを、ぼくは父から禁止されている。死んだ父との締約だ。
中学に上がると父はひどい鬱病にかかり、無力になった。ザムザのように。ザムザが変身したのは正確には虫ではなく、ungeziferという、日本語に置き換えられないドイツ語で、受験英語に染まりきったぼくらは辞書の第一義ばかり覚えようとするけれど、いくつ定義があろうとも言葉は丸呑みして覚えなくてはならない、ungeziferは害獣に近い意味だ。異言語間ではすべての言葉どうしは近似値にすぎない。
今思えば父はungeziferになったのではなく文字通りの神になったのだと思う。
そこにいるだけの真空みたいな役割を家族の間で引き受けていたから、失語に近い症状をみせたのだ。喋る神だったらぼくは徹底的に涜神の徒になっていただろうけど、正しく父は神だったから、神学生みたいに敬虔に過ごしたよ。あのときはまるで修道僧のように生きていた気がする。高校の終わりに父は死んだ。
それからぼくは狂ったように音楽を漁り小説を読むようになった。履歴書の趣味欄には読書・音楽鑑賞なんてお手本みたいなことを書けるようになったけど、そうするとあのころのぼくの切実さがすべて消え去ってしまう気がして、今でも美容室でも履歴書でも趣味のことは嘘をつく。作品に触れるのはすべて一方的な窃視だからね。趣味欄に「覗き」なんて書けるかい?写真に映ったひとは覗かれていることに気づけない。ぼくにとってはすべての音楽も本も家族写真だったのかもしれない。ほとんど捨ててしまったんだ。
書き手になろうだのとは思いもしなかった。
運命のいたずらなんて嘘くさい言葉だ。初めから決まっていることにいたずらなんてできない。ぼくが俳句を始めたのを、運命のいたずらなんてクサい言葉で表現されたら、そのときは覚えた季語を無理に忘れる手術を受けるだろう。
バタイユは、シュレーバーの妄想を借用して『太陽肛門』を書きあげた。中井久夫って精神科医は、統合失調症の人の話を書くとき、筆が統合失調症の人のように進むと言っていた。つまりは文体なんて借り物なんだ。そのことに気づいたのは俳句の型のおかげで、俳人は文体を共有しているから、俳句そのものは覚えられても作者名はほとんど覚えられなかった。すべての俳句が、同じ人が作ったみたいに思えるんだ。
大晦日に帰省したとき、母が出してきた林檎を、これは秋の季語なのにと思った自分を、なんてスノッブなやつなんだと思った。きっとそのときから季語を見るたび吐き気を覚えるべきだったんだ。
この文体も誰かのものの借り物なんだろうけれど、五七五なんて目に見える文体で書くより、喉奥が冷える嫌な感じがする。それがこの頃心地よくて、だから季語が嫌になって、家にある歳時記を売り飛ばしたくなっている。
家族写真のような、覚悟のない写真は撮るな。それが父との新しい締約だ。
だからぼくは、ぼくの血液を冷やさない五七五の短さに怠慢しか感じなくなってしまって、全ての季語を呪うようになった。

#詩 #エッセイ #随筆

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