頭と心をフル回転!伝えたいことを自分の言葉で語る喜び
前回に引き続き、
「なぜ、私は書くのか」
というテーマで書いていきたいと思います。
文章を書く理由を色々と考えていきたいのですが、
「文章を書くことで頭の中が整理されるから」
という理由は欠かせないかな、と思います。
「アウトプットすることが大事だよ」というのは、
おそらく耳にタコができるほど聞いているのではないかと。
「本を読み終えた」ことと、
「本の内容を伝えられる」ことでは、
雲泥の差があります。
「あの本を読み終えたよ!」と言われたから、
「その本、まだ読んでいないんだよね。どんな内容だった?」
と聞いていたら、
「えーと…どんな内容だったっけ??」
と返されることがたまにあります。
僕自身も本を読むのが下手で、
「とりあえず最初から最後まで読み通す」という読み方では
正直まるっきり覚えていない人です。
普通に読んだら
「本を読み終えたけれど、内容を全く覚えていない」
というタイプなんです。
だから、
「この本を読み終えたよ!」とは
言わないようにしています(´▽`;)ゞ
「この本を読み終えたよ」と言うときは
本の内容をきちんと理解したと感じたときだけ。
では、どうなれば「理解した」と言えるのか?
それは、
「このように伝えたら、きっとわかりやすいだろう」
というような文章を作れたときなんですよね。
文章にしなくてもいいかな、とは思ったんですが、
文章にしないで頭の中だけで考えたものを人に話そうとすると、
案外見落としが見つかるんです。
なぜそういうことが起こるのかというと、
「思考の行き来」が足りないから。
頭の中で考えるだけでなく、文章であれば、
「あれ?これで本当に理解してもらえる?」
と自分自身に問いかけながら書いていけるので、
例え話を加えたり、
表現を変えたり、
話の順番を変えたり、
話を深堀りしたり、
といったことを行えるんですよね。
「この例え話はわかりやすいと思ったけれど、
文章にしてみたら、全然ダメだわ」とか、
「こういう理論が作れそうかな、と思ったけれど、
文章にしてみたら、穴ばかりで
理論として成り立っていないわ」
みたいなこともあったりします。
だから、僕にとって
「文章を書く」というのは、
「頭と心をフル回転させる時間」でもあるんですよね。
で、僕の場合は、
「誰かに向けた文章」でないと、
まともに文章を書くことはできません。
「誰かに向けた文章」だから
頭と心をフル回転させて
ちゃんとした文章を書こうと思うけれど、
「自分のための文章」となると、
途端に頭が回らなくなります。
だから、まともに文章を書けなくなるんです。
なんで「誰かに向けた文章」であれば書けるのかというと、
「きっとこういう疑問出るよな」とか、
「こう書いたら、こうやって思われそうだな」とか、
そういう風にいろんな反応を想像できるからです。
逆に、自分に向けた文章だと、
何書いたらいいのか
よくわからなくなっちゃうんですよね。
だから、僕は
「誰かに向けた文章」しか書きません。
というよりも、書けません。
自分のために書くとしたら、日記のように
事実をつらつら書くことだけでしょうね。
ちょっと話が脱線しましたが、
僕が文章を(誰かに向けて)書くのは
「頭と心をフル回転させ、理解を深めるため」
と言えます。
そして、自分のために文章を書けないからこそ、
「その文章を"誰かに"読んでもらうため」
でもあります。
あとは、補足でいうと、
文章の構成を作らずに、
自分が思うがままに文章を書いていると、
「自分はこんなことを考えていたのか」とか、
「自分はこんな発想を持っていたのか」とか、
そういった驚きや、発見があることがあります。
その話については、
以下の記事でも書いています。
今日、通話をしていたら、たまたま
「文章を書くのが楽しくない」
と言われました。
その理由は、
「クライアントから求められている文章」を
書かなければいけないから、だそうです。
クライアントから求められている文章を書くとなると、
構成をカッチリと決め、淡々とした文章を書いていくため、
自分の想いを挟み込む場所がありません。
また、
「いかに読者に伝わるか」で文章を書くと、
ダメ出しが出たりするので、
読者よりもクライアント重視の文章になってしまいます。
「こうやって伝えたい!」と思ったとしても、
伝えたい書き方で書けないのであれば、
「文章を書くのが楽しくない」
と思っても仕方ないかなと。
僕は
「文章を書くのが好きなんですよね~」と言っているんですが、
「こういう文章を書いてね」と言われると、
途端に書く気が失せます。
つまり、
「自分が思うがままに書ける文章」が好きなのであって、
「書かされる文章」を書くのは嫌なんですよね。
そもそも、僕にとって文章というのは、
「伝えたいことがあるから書く」のであって、
「伝えたいことも書けないのに書く」というのは、
やっぱり違うんですよね。
そういう文章を書かなければいけない状況であれば、
「だったら文章を書かなくていいかな」と、思ってしまいます。
そうやって考えると、
「文章を書くことが好き」なのではなく、
「自分が伝えたいように伝えられる文章を書くことが好き」
なんだな、と。
「いや、伝えたいことではなく、読み手が読みたいことを書きなよ」
と人によっては思うかもしれません。
「読み手が読みたいと思うこと書く」
これはものすごく大切なことですよね。
ただ、僕にとっては、
自分が本当に伝えたいことをないがしろにしてまで、
読み手のニーズに応えるつもりはありません。
伝えたいことでなければ、
文章にエネルギーが乗らないし、
その書き方は「クライアント重視」の書き方と
そこまで変わりませんから。
「伝えたいことを伝える」
そういう文章を書くことは、自分自身と向き合い、
自分の考えや感情を深く掘り下げる作業でもあります。
だからこそ、
自分の言葉で語ることに意味があると思うのです。
もちろん、読み手のことを考えずに
ただ自分の言いたいことを書き連ねればいいというわけではありません。
しかし、自分の伝えたいことを軸に、
それをどうすれば読み手にわかりやすく、
興味深く伝えられるかを考えることが、
文章を書く上での醍醐味だと思うんですよね。
そして、
実際に、読み手に伝えたい意図が伝われば
非常に嬉しく思います。
文章を書くというのは、書いている最中は
「自分自身とのコミュニケーション」であり、
「想像上の読み手とのコミュニケーション」、
そして、出来上がった文章というのは、
「自分が書いた文章と実際の読み手とのコミュニケーション」
なのではないでしょうか?
コミュニケーションだからこそ
「自分が伝えたいこと」を「自分の言葉」で語ることって
大切だと思うんです。
自分の言葉で語らないコミュニケーションをする人は
話していて違和感がありますから。
そうならないためにも、
「自分の言葉で語れる文章」を書いていきたいと、
個人的には思うのです。
なんて、
「書かされる文章」なんて書きたくない、という言い訳を
つらつら書いたのでしたとさ。
今回の
「なぜ、私は書くのか」をまとめると、
「頭と心をフル回転させ、理解を深め、新たな発想を得るため」
であり、
「伝えたいことをわかりやすく、興味深く伝えるため」
であり、
「その文章を"誰かに"読んでもらうため」
である、と言えるのではないかと。
これらがあるからこそ、
「文章を書くのが楽しい」
と思うことができるのだろうな、と。
今回書いていて、そんなことを思いました。
こういう文章を書いていると、
新たな自分に出会えた気分になって
楽しくなってくるんですよね٩(ˊᗜˋ*)و”
ですが、
やはり、自分だけにメリットがあるだけの文章は欠陥品。
やはり読んでくれた方に
何かしらの価値を感じてもらうこと、
「得るものがあった」と思ってもらうこと。
そういう文章に仕上げていきたいものですね。
それでは、最後までお読みいただき、
ありがとうございました!
藤原華さんのコンテストに参加しているんですが、
記事を貼り付けるとあちらに通知がいくでしょうから、
さすがに何度も通知がいくのは申し訳ないなぁ…と。
なので、今回はリンクは貼り付けず、
ハッシュタグだけ置いておきます。
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