見出し画像

「英語が話せるのにもったいない」と仰る方へ 〜「職業≠夢」fromトルコの教え〜

離島移住で一番周りに言われたこと

「英語が話せるのにもったいない」

私は英語が使える職業自体にそれほど価値は感じていません。

なぜなら、職業は夢ではないから。


「英語が話せるのにもったいない」

英語話せますか?と尋ねられると、

私は「話せる」と答える。

そのため、今回、「さぬき広島」への移住で一番周りから言われていることは

「英語が話せるのに、もったいない」
「英語が話せるのに、田舎なんか選ばんでも」

である。

親・親戚、友人、ましてや行政の担当者にまでこんなことを言われてしまった。

事実、私の親類には、英語話者がほとんどいない。英語嫌いな両親は私に向かって

「突然変異」

と言ったことまである。

もちろん上には上がいることを痛感している。
そんな人たちの足元にも及ばないが、
ただ今の私は世間的には割と「ペラペラ」の部類であるらしい。

確かに、トルコ留学中はルームメイトとは英語で話していたし、すべてを英語で完結させる大学院の授業も、率先して発言するような「ペラペラ」な部類の学生だった。

必要なら使う。必要ないなら使わない。

さて、そんな私が居る「さぬき広島」は人口200名弱、その9割近くを高齢者が占める。
いわゆる限界集落であり、野暮な言葉で言えば「ド田舎」である。

しかもパートタイムの市の臨時職員で、いつかは島で独立したいなんていう大ボラを吹いているのだ。

きっと多くの人はこう思っているだろう?

「もっと英語を使える職業があるだろうに」

ただ、そもそも今の私は仕事で英語を使うこと自体に、それほど興味がない。
英語が好きで、それを生きがいにできる奴が羨ましいくらいだ。

自分のやりたいことに、英語が必要なら使う。
必要ないなら使わない。

これ以上でも、これ以下でもない。

これまでも、

留学するには英語が必要、
論文を読むには英語が必要、
おしゃべりをもっと楽しみたいから英語が必要

なだけだった。

なんなら、失礼承知だが、この世界が日本語で統一されてしまえばもっと楽なのになぁなんて思うこともある。
旧約聖書の「バベルの塔」の一節で、神が人々の共通言語を複数に分化させたという場面があるが、それくらい言葉の壁は分厚いのだ。

また時々自分が英語を話せることを殊更に自慢してくる奴がいるが、そういう奴の英語力はアメリカの中学生にも及ばない。
私も含め、英語話者を謳う大半の非ネイティブの英語力は所詮その程度なのだ。

ましてイギリスの大学院を卒業した私の先輩ですら

「みんなが言ってることの、8割はわからなかった」

というレベルなのである。

そのうえ昨今の自動翻訳の力は凄まじい。もうビジネス英語はgoogleが肩代わりしてくれるかもしれない。

「日本」という軸足

私の英語に対する認識は上記のとおりである。
つまり、それほど重要視していない

偉そうにモノを言いやがってと感じる方もいると思うが、私だって全く話せない状態から、死に物狂いで英語学習に勤しんだ時期がある。
だから、英語学習の苦しみは理解しているつもりだ。

さて、改めて話を島暮らしに戻すが、なぜ英語どころか高齢者の日本語にすら苦労する離島にいるのか? 

それはトルコ、クロアチアで「日本人」であることを痛感させられたからだ。

トルコ人は本当親切だった。
何かと声をかけて助けてくれるし、挙げ句の果てに道に迷って地図を広げていたら、一緒に迷ってくれたこともある。

トルコ人曰く、トルコ人が親切なのは

「だって、トルコ人だからね」

私は日本人だからって、何ができるだろう?

トルコではそこら中に国旗が飾られ、自分が外国人であることを常に痛感させられる。


クロアチアでは、あるバーでユーゴスラビア紛争に参加した元民兵と三日間飲み明かした。

そして、一度だけ私は彼に詰問された。

「お前は自分の街や国が火の海になって、家族全員を皆殺しにされた苦しみが理解できるか?」

無論、理解できるなんて言えるはずもない。
ただ私の母国も過去には戦火に巻き込まれ、他国を戦火に陥れた国なのだ。

私は日本人として、日本に立ち返るべきではないのか?

この経験は、日本の大学院で、広島原爆と観光について研究をする原体験となった。


真ん中のおじさんが元民兵。左は地元のジャーナリスト。


つまり、海外で日本人であることを自覚させられた私にとって、

軸足を日本に置いていると自覚できること

は、英語を使うことなんかよりも遥かに重要なのだ。

1つ断っておくが、私は愛国主義者でもなければ、保守的な政治思想を持っているわけではない。

ただ単に、まぎれもない事実として、私の国籍はパスポートが示すように「日本」にある。


職業は夢ではない

日本人である私は、自分の夢を尋ねられたら、

「日本で旅人を受け入れながら、自分も旅人として旅に出たい」

と語ろうと思う。

なぜなら、留学中、トルコの友人はこんなことを私に言ってきたからだ。

「お前の夢は何だ?」
「うーん。研究者か新聞記者とか、せっかくなら英語を使えたらいいかもね」
「職業なんか聞いていない。お前が人生で何をしたいのかを聞いている。職業はその方法だ」

職業は夢ではない。

彼が教えてくれたのである。

そして今、私が日本人として私の夢を追うには、
「英語が使える」環境を探したり、
研究者や新聞記者という「職業」を目指すよりかは、
どうやら島の方にチャンスが転がっている気がしている。

例えば

島のおじいさん・おばあさんに唐辛子の栽培を教えてもらい、加工・販売する。 

上手くいけば、海外旅行先で
「日本で作った唐辛子、食べてみてくれや」
と言えるかもしれない。

唐辛子はトルコに行こうが、チュニジアに行こうが、ブラジルに行こうが、世界中のあちこちで本当にどこでも食べられている。

唐辛子からタバスコを作るのなら、一度くらいはアメリカ、メキシコ、イタリアなんかに、視察にも行ってみたい。
そのときはバシバシ英語を使ってやろう。

そうした可能性が島にはある。そして、私はこの島に住んで、海外旅行にもバンバン行くつもりだ。

つまり、私にとっては、

さぬき広島という小さな島も、立派な「日本」なのだ。
軸足を置いて、夢を追いたい「日本」なのである。


そして、きっと島の暮らしも、いつかは「英語を使う」ことになる。今すぐにではないだけだ。

だからこそ、夢を追うために、目先の英語に目が眩んでいる場合ではない。


英語や職業に縛られて夢を追えなくなることこそ、英語が話せるのにもったいない

と思うのは私だけだろうか?

だからこそ、最後に私から問いたい。

「私の目指す生き方は、英語が話せるのにもったいないですか?」

ーーー

私の恩師は語学学習について

「話せることを目標にしてはいけない。なぜ英語を話す必要があるのかを深く考えることの方が、話せることよりも重要である」

と仰っていました。方法を目標にするな、と。

たぶんこれは英語学習に限る話ではないと私は思います。

「できるようになること」を目指すのも大切ですが、そればかりを続けていると「できること」の範囲でしか物事を捉えられなくなる気がします。

ときには「やりたいこと」を熟考して、それに対して、今自分が「できること」「できないこと」を見定めていくことも重要だと私は思います。

「できないこと」を「できること」に変えていくのは、辛く苦しい。しかし、やりがいはあるはずです。

私が大ボラを吹くのは、自分の現状を精査し、
自分の「できないこと」を冷静に探すためでもあります。

夢を語ることは、自分を見つめ直すきっかけでもあるのです。

ーー

というわけで、今回はえらく長くなりました。

お付き合いいただきありがとうございました!

もしよろしければ、こちらもどうぞ!
自身の夢を別の視点から記述しています。


この記事が参加している募集

自己紹介

いただいたサポート分、宿のお客様に缶コーヒーおごります!