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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 後編 19

 雲が流れて、月が顔を出した。

 再び、玉砂利が白波のように輝き出す。

 表に出た2人は、その波の上を歩いていく。

「そうそう、お前にこれを渡そうと思ってね」

 聞師は、懐から布切れを取り出し、それを開けた。

 彼の手の中には、月の光に照らし出された鑿があった。

「寺の仏師に頼み込んで譲ってもらったのだよ。彼らに言わせると、木彫りの仏像など造らないから、合うような道具はないそうだが。これなら、いままでより、よく彫れるだろ」

 そう言うと、彼は弟成にそれを渡した。

 弟成は、鑿を受け取ると月に翳した。

 それは、輝いていた。

 なるほど、これなら良く彫れそうだ。

「でも、こんなもの、頂けません」

 弟成は、それを聞師に差し返した。

「なぜ?」

「だって、こんな高価なものを奴である私が頂く訳には。それに、見つかったら取り上げられるに決まっています」

「見つからないようにすれば良いだけだ。それに、夜中にこそこそ寺の中に入ってこなくとも、昼間に堂々と南門を潜って入って来なさい」

「そんなことをしたら、ここを追い出されます」

「なぜ?」

「私が……、奴だからです」

 聞師は、弟成の月に照らされた顔を見た。

 その顔は悔しそうだ ―― 聞師には、そう見えた。

「弟成、お前にあれが見えるか?」

 聞師は、月を指差した。

 確かに、弟成にもはっきりと見える。

 美しく照り輝いている。

「はい、見えます。月です」

「では、月は何色だ?」

「月は……黄色ですが」

「本当にそうか、私には青白く見えるぞ?」

 弟成は、もう一度月を見上げる。

 ―― そうだろうか、俺には黄色く見える?

 彼は、返答に困った。

「それで良いのだよ。月が黄色く見えるのは、お前が黄色だと心で見ているからだよ」

 心で見ている ―― 弟成には意味が分からなかった。

「いいか、弟成。この世の全ては実態がないのだ。あの月も、この寺も、そして、私も、お前も。だが、私たちは月に照らされているし、寺の中にいる。私は、お前と話をしているし、お前も私を見ている。これはな、全てお前の心の中で起こっていることなのだよ。月も、寺も、私も、全てお前の心の中にあるのだ。そして、お前自身も心の中にいるのだ」

 頭がこんがらがってしまう。

「全ては、お前の心が作り出している世界だ。だから、心の持ちようで、この世界は良い方にも、悪い方にも転がっていくのだ。奴婢だからと言って、自分を卑下するな。それは、己の心が作り出した虚構に過ぎない。心を強く持て。そして、それを解き放て。そうすれば、己の歩むべき道が、正しい道が見えてくるはずだ」

 ―― 正しい道!

 彼には、その言葉だけがはっきりと分かった。

 正しい道を踏み外さないこと ―― それが、兄、三成との約束だった。

「弟成、お前の目の前にはどんな道がある?」

 弟成は、真っ直ぐ前を見据えた。

 そこには、白く輝いた玉砂利が続いていた。

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