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#文サお茶代
もしも僕が「あのお方」だったら
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最初、「もしも僕が南洲翁だったら」という題にする予定だった。傲岸不遜にも程がある。世が世なら右翼の方に軽く嗜められることもあるのかもしれない。ただ僕は、「お茶代」の「もしもわたしが◯◯だったら」という課題を目にした時、思わず翁のことを想起せずにはいられなかった。
なぜあの時あの状況で、立ち上がらなくてはならなかったのか。西南戦争へ至る翁の思考を完璧に説明できる人
「天国」とは、「地獄」とは——宗教戦争の敗者・日本
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おのれのうちに潜むロマン主義的傾向と向きあい続け、いい加減疲れたので息抜きにこれを書いてみる。
漱石のように早死する恐れは自覚されて然るべきなのだろう。おのが使命感と関心を一致させた上で全力を尽くし、その結果くたばるのならば本望ではあるけれど。たまには岡潔のいう「情緒」とやらに思いを馳せ、神経を休ませてやるのもいい。「遊び」はホイジンガによれば、「厳粛さ」と
J-Popまもるくんの萌芽——「守るべきもの・守られるべきもの」序説
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「俺がお前を守るから」。これまでのJ-Popにおいて、少しずつ形を変えながら繰り返し歌われてきた、男女の親密性についての価値観が伺われる表現だ。その親密性の正体について考えるならばおのずと、「何から守るのか」という問いが生まれてくるに違いない。本論考は「敵」が残した歌詞という足跡からその容貌・正体へ近づいていく、探偵の試みである。
分析の方法論 人々の集合的な
火野佑亮トリセツ 自分の障害を面白がる
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視られることが大事
一月、東京へ行ってきた。色々な方々と様々な話をして、時にアドバイスをもらったりもした。その結果浮かび上がってきたのは、自分は他者と比べ、何かが決定的に欠けているという事実だった。
人は他者の眼差しを介することでしか己を発見できない。これは世の常だ。自分が知りえぬ自分、つまり無意識としての自分がいるという前提をひとまず置いておき、自己同一
クリスマス・正月の想い出
子供の頃、我が家では毎年クリスマスにツリーを出していた。しかし食事は少し豪華なものにするという程度で、チキンやケーキを食したりすることはなかった。家族にプレゼントを買ってもらえるのは誕生日とクリスマスだけだったので、楽しみにしていたことは覚えている。
大晦日の晩、リビングのテレビからはいつも「紅白歌合戦」が流れていた。後に「ガキ使」を知ってからはそれを疎ましく思い、一人別の部屋のテレビで観て
seisan(自作小説)
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seisan ひと月前にうけた誘いを快諾、先日参加してきた同窓会にて、かつて憧れていた女性に再会した。
それは決して望んだものではなかった。かつての思い出を、どうして今さら掘りおこさねばならないのか。美しき思い出は決して、綺麗なものばかりではない。そこには往々にして、愛さざるを得ない、恥ずべき汚濁が含まれている。
戦争のような日々の末に中学受験を終
わたしが映画として見たキリンジ『アルカディア』(脳内で)
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本文 女はオブジェのように、寒空の下、立ち尽くしていた。右手には「海へ」と書かれた紙、左手はサルトル。どのくらいの時間が経っただろう、そこに一台の車が止まり、二人組の男たちが降りてきた。珍しいことに日本人だ。
「乗りますか?」と運転席に座っていた男が尋ねてきた。
「ええ。海までいいですか?」
「僕らもそっ
新年やりたいことリスト
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YouTubeのチャンネル登録者数300人達成 まずはこちら「火野佑亮の文化人チャンネル」の登録者数を300人にしたい。どのぐらい増やせるのか、その加減はさっぱり分からないが、とりあえずこの数字を目標としておく。
書評系の動画を中心に投稿していこうと考えている。近いうちに坂口安吾「堕落論」を紹介する予定
クリスマスになると聴きたくなる曲——amazarashi「クリスマス」
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虚偽りの社会で会話は可能か クリスマス Christmas という英語は、キリスト Christ のミサ Mass を意味するのだという。この祭りが日本において広く受け入れられるのは昭和初期、大正天皇祭として25日が休日とされてからである。
評論家の佐藤健志は、このイエスの降誕祭の戦後における変化につい