夜を味わう
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我々日本人は、近代の眩しさに盲いたが故に、夜を夜とも見なさないようになった。昨年十一月に平等院を訪れたが、その庭園にはいたる所にライトアップ用の照明器具が張り巡らされており、見るに堪えなかった。 技術は闇とともに、そのうちに仄かに香る、「あわい」さえも放逐したのだ。我々はあの先人の遺物、文化の死骸、博物館の展示物を再解釈・再創造することをすっかり諦めている。
夜を侵す照明の共犯者は、狭義の建築である。俗に言う日本建築は、このうちに含まれない。それは内と外を隔てる建築というよりも、人と自然の間を緩やかに調停する仮の宿である。
黒川雅之は日本の家屋を柱の集まりと捉え、そこに「微」「並」「気」「間」「秘」「素」「仮」「破」の八つの美意識を見る(「八つの日本の美意識」)。
日本家屋の壁は壁ではない。柱が「並」び立つことでそこに覆われる感覚が生じる。また、障子は差し込む光の量を調整する。そのようにして内と外、光と陰の連続性が保たれるのである。
あの大谷崎は厠について、「やはりあゝ云う場所は、もや/\とした薄暗がりの光線で包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けじめを朦朧とぼかして置いた方がよい」と書いている(「陰翳礼讃」)。また、漆器の見え方が周囲の明るさによってまったく変わってくるとも述べている。
過剰な光はわずかな異物さえも見逃さず、人工の環境を作りあげる。すべては二元論的に、明確に区別される。少なくとも「総べてのものを詩化してしまう我等の祖先」の美意識からすれば、そのように神経に触るような態度から、詩は生まれてこないのだろう。
光と闇の「間」にこそ美は「秘」められている。18世紀イギリスの富裕層たちはグランド・ツアーを通して、崇高としての自然を発見した。一方我々の先人たちは、それよりはるか昔から、自然(かむながら)にただよう「気」を動物的直観を介して感じ、愛でてきたのである。たそがれ時に人ならざるものが現れるとされた民俗は、日本文化における信仰、美意識、そして倫理の繋がりを示している。
あの王朝文学をうみだした平安貴族たちは、嗅覚からかなりの割合で周囲の情報を受け取っていた。もっぱら視覚優位の時代である近代に生きる我々とは、全く異なる身体性と環境を有していた。我々は光を求めることで、「あわい」を感じる身体を衰えさせたのかもしれない。
アブラハムの宗教の上に成り立つ西洋文化は、光と闇を明確に分断し、後者を征服しようとする。ロマン主義が持ち上げる闇はそれに対する反動であろう。そのような二元論的態度に対し、日本人は汎神論的と言えるのかもしれない。
汎神論の世界観において、一の中には多が含まれている。一即多といえばインド人の発想であり、日本的とは言い難いとする立場もあるが、僕はこれに疑問を呈する。記紀神話ではしばしば、ある神が次々に子どもの神々を生む。その子供の神の名が、親の神の働きをも説明しているのである。
黒川氏は日本人の美意識を手放しに称賛するが、僕はどうもそこまで楽観的になれない。「微細な部分から考えようとする日本人の空間の理解の仕方」は、確かに他者や細部への気遣いに満ちているかもしれない。ただしそれは西洋の街のように、全体を見渡すパースペクティブに欠けているということだ。自我意識がなければ公共意識も成立せず、ユングの集合的無意識ばりに何も考えず周囲に同調してしまう。こんな国民性であるから、ただでさえ維持が困難な民主制との相性は最悪である。
それでもなお僕は、日本人の美意識を捨てきれずにいる。そもそも自由意志でどうにかできるものでもない。せわしない時代と、そして過去となった日本と断絶された、根なし草であると知りながら生きていく。
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