黒い月の贈り物
序章
私は、パーティーアイランドとして名高いスペインの地中海に浮かぶ島イビサと東京をベースに、”ミニマリストでノマド”と言えば今っぽいが、行きたい時に行きたい国に行き、時には旅先で暮らすという根なし草なライフスタイルを10数年ほど送った。90年代後半から東京で始めたDJ活動を経てノマド的なトラベラーになったのだが、2011年に本格的にイビサへと移住し音楽制作を始めた。だが性分的に一箇所に留まれず、また放浪しようと旅に出た矢先2020年、コロナが世界中をロックダウンに追い込んでしまい、タイランドのパンガン島でスタック。その年の夏にヨーロッパが再オープンしたのを機にイビサに戻り現在まで落ち着いている。
10代後半から20代後半にかけて、タバコ、酒、ドラッグ、昼夜逆転など、めちゃくちゃな生活を続けた私だが、そういう生活は30歳になる前には終止符を打ち、特にこの15年ほどは、毎朝、瞑想やヨガ、エクササイズなどを自分のペースで行い、健康に気を使った食事をストイックに続け、スピリチャル系やオルタナティブなワークショップやオンラインコースを受けたり、頻繁に海に泳ぎに行くというウェルネスな生活が基本になっている。
60歳にあと数年で手が届こうかという今、自分の人生を振り返ると、いろいろあったにしろ、幸せな人生の後半戦を送っていると素直に思う。幼少期からティーンエイジには、両親の関係性から過度な精神的苦痛を負い、ティーンにも満たない頃に受けた見知らぬ男性からの性的虐待で相当のトラウマも抱えたし、40歳目前で初めての妊娠・中絶も経験した。それらの事は、人間や人生というものをある程度、理解するまで、私のことをとても苦しめたりもしたけれども、自分の人格を形成する上で必要なドラマだったと捉えられるまでに精神的成長を果たしたと思う。
今も尚、感情が揺れる出来事がごく稀にはあるが、それらの感情は誰かの所為ではなく全て自分で選んでいるのだということに気づいたこと、自分の気持ちの見方や捉え方、向き合い方も随分と変化したのと同時に、年齢と経験、プラクティスを重ねた事で、全てをそのままニュートラルに捉える様になったのか、往々にして楽しんでいる。
幸か不幸か、両親共失くしてもう随分になり、伴侶のような存在もいないし子供もいない。家族といえば兄弟や親類はいるけれど、何も私を繫ぎ止めるものはないし、誰にも何にも縛られることない自由でしがらみの全くない人生を謳歌している。
ほとんどの人間は皆、行き着くところ”幸せな人生”を送りたいのだと思う。例えば、”恋人”であることが幸せだったり、”結婚や家庭”を持つことだったり、”子供”を授かること、あるいは”仕事で大きな成功”を納めることだったり、”有名”になったりすることもあるだろうし、”お金持ち”になることだったり、それぞれ思い描いた夢や欲求を叶えることで幸せになるのだという認識が何処かにある。
それは自分を含め、そうだったのであるが”幸せ”とは、自分自身の心の状態であり、それは今述べたようなことを手に入れることではないことを理解した時、”幸せへの道”というのはなく、”ゴール”というものは何処にもなく、今『幸せである自分の気づきを得るための旅路』というものがそこにはあった。幸せは、いつだって自分の中にあるのだ。
この手記は、私の半生を記したものだ。人生とはそれ自体が”壮大な作品”で、それを書き留めたものに過ぎない。基本的にここから何を受け取るかは人それぞれだし自由であると思っている。そうには違いないのだが、この私の人生を形成する様々なエピソードを通して、あなたの人生で直面するいずれかのステージやドラマの中に共通性を見出せたり、あなたの人生のサポートになるような何かをシェアできたら幸いだとも思っている。
あらゆる”感情”は、嫉妬や憎悪、怒りや哀しみ、そういうネガティブなものをも含めて、全て幸せや喜びといったポジティブな感情と等しく、大事でかけがいのないもので、それを”感じること”や”自分を知る体験”とすることが出来ることこそ”生きている”ということだ、ということを、最初にメッセージしておきたい。
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