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14. イビサ初上陸

 8月ももう終わるかという頃、初のイビサに到着。飛行機から乗客はタラップを降りて、バスなどに乗ることもなく、それぞれ歩いて飛行場に入って行く有様だ。この当時、この飛行場は日本の小さな地方の飛行場並みに小さかった。それから2回ほど空港は増築と改築がされ、今ではチェックインカウンターが80ほどあるそこそこ大きな飛行場になっている。

 荷物を待っている間にレニーに公衆電話から電話すると、予想外に私が早く着いたことに驚き「すぐに迎えに行くから!」ということなので、私は荷物を受け取ってとりあえず到着ゲートを出た。すると自動ドアが開いたすぐ目の前に、海をバックにサンセットの太陽を指で摘み両腕を広げたレニーのビルボード。例のワーナーのコンピレーションアルバムのプロモーションらしい。

 最近、聞いた話によると、今でこそDJが主役としてビルボードになってるのは、イビサでは当たり前の光景なのだけれど、この時のレニーのビルボードが初めてのことだったのだそうだ。間も無くして本物のレニーも来てくれた。後でレニーに見せられて知ったけど、そのコンピレーションは100万枚以上を売り上げた’プラチナディスク’だった。

 これが、私がイビサに最初に来た経緯だ。レニーのお家は、敷地全体が’CAN CHILL’と名付けられ、白い’フィンカ’と呼ばれる農家を改装した家は、サボテン、大きなアロエ、カクタスの類、ローズマリーやオリーブや様々なフルーツツリーなどに囲まれていて、今でこそ当たり前に見ているけれど、日本から来ている私には、全てがとてもロマンチックに見えた。ちょうど東京のマンションを改装中だった私は、それにとても影響を受けて、帰った時、ベランダのプランターをそれらの植物で埋めたほどだ。

 島は、東西で30km、南北で60kmほどの大きさで、内陸はいくつかの山があって、淡い緑色の女性的なフォルムのパインツリーで埋め尽くされている。日本の濃い緑でどこか男性的な松とは大分違う。一番高い山でも4百メートルちょっとほど、その山々の間はオリーブ、オレンジ、アボカドやなんかの畑が広がっていたり、羊が放牧されていたりする。その畑道を車で走り、パーティーに繰り出す。そんな世界。

 というわけで、その1週間、ギグで忙しかったレニーに、’パチャ’や’カフェデルマー’、あちこちのパーティーに連れて行かれた。プライベートヴィラのパーティーではDJもさせてもらったり、忙しい身であるにも関わらず、イビサタウンで一番賑やかなゲイストリートなどにも散策に連れて行ってくれたけれど、私のイビサの印象というのは、実はさほどインパクトがあるものではなかった。私が、大陸の壮大な景色や大型のフェスティバル、大都市のエキサイティングな場所に慣れていたからかもしれない。なんとなく物足りなく感じたのだ。ただ、島全体に流れているエネルギー『全てを包み込んでくれる感』だけは、今でもはっきり覚えている。なんでも許してくれる感じ。『そうか、これがイビサのイビサたる所以か、、』

 レニーとの恋の行方だが、長年付き合ったエバと別れて1年目の彼は、まだまだ色んな女性と遊んでいたいようだった。実際、滞在半ばを過ぎて、しばらく恋人関係だった別の女性がイビサに戻って来たとかで、その彼女を目の前にした時「もうあなたのこと愛しちゃってるから、それもアリだし、いいよ」と素直に言ってあげられる自分がいた。彼はものすごく感激してたし、自分でもそんな感情にあっさりなれてしまうことに驚いたのだけど、それは先に述べたイビサのなんでも許せる感に通ずるものがあって、自分の意識もそうなった感じだった。

 恋愛は『本来、誰かに所有されたり、所有するものじゃない』と、どこかで思って来たことが、実際、目の前に現れて、自分の中のそういう考えが出現したというか。そして、私のそういう部分は、一度、封印されるのだが、何年か経って、イビサに戻ってから、また顔を覗かせ、ほんのしばらくの期間、自分のことを”何人か同時に愛せる人種”かもしれないとも思っていた。

  結局イビサから東京に戻って1ヶ月ほど経過した時、別のフランス人男性からアプローチを受けて、レニーにお別れの電話を入れて、その一夏の恋物語は幕を閉じた。だけど、あれから私達はお互いを大切な人、音楽的に頼りになる人として、今もずっと友人関係を続けている。

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