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39. ダンス・メディテーション

 テクノミュージック、クラブやパーティーで使用されるようなDJブースに最高のサウンドシステムとPA常駐、酒やタバコや人のおしゃべりで邪魔される事なく健康的に踊れる「こんなダンスフロアがあったらいいな」を実現させたダンスメディテーション。音が良ければもっと音楽に入り込めるし、いろんなダンスセラピーを受けて、そのどれもで物足りなかったサウンドのクオリティーを上げた。もちろん、日本でそんなことをしている人達はいなかったと思うし、パーティーシーンとウェルネスのシーンのいいとこ取りのダンスイベントはカリフォルニアやハワイなどのウェルネス最先端な地域を除いては、世界でもその時点で非常に少なかったか、もしくはなかったと思う。

 当時、ウェルネスやコンシャスから程遠かったイビサで、誰かやらないか声をかけてみたものの、お酒タバコなし、おしゃべりなしなイベントなんて誰もやりたがらなかったし、そもそもそんな需要がまだなかった。東京でも若い世代は、「そんなのパーティーじゃない」という認識だったかと思う。

 東京ではベニュー探しには苦労した。”クラブ”であればすぐに昼間に借りることもできたけれど、パーティー並みの良音が十分に出せて、夜のお酒やタバコによるエネルギーを感じさせないクリーンな場所なんて、そうそうない。それが可能になったのは、当時のお寺の住職さんのお陰だ。半地下の100平米はありそうなホールをご提供くださった。

 私は”ファンキー住職”さんと呼んでいたのだが、彼はしばらくしてお寺を離れておしまいになり、何やら5年間カレーばかり食べていたかと思うと、ミャンマーにまでカレーを食べ歩きに行き、3年半越しに納得のいくまでレトルトのミャンマーカレー”チェッターヒン”を開発し、とうとう発売にこぎつけたかと思った途端、日本中で大ヒットさせているという面白い方だ。

 今ミャンマーでは軍のクーデターが起き、民主化されていたはずのミャンマーの国そして大統領が、軍による独裁政権に押さえられ、それに反対する民衆が次々に弾圧され、逮捕され、殺されるという痛ましい事件と状況が続いていて、これを書いている時点で既に2年以上が過ぎている。この元住職の保芦宏亮さんは、来る日も来る日も支援活動と募金活動や講演を行っておられる。

 話が逸れてしまったが、「おしゃべり禁止、タバコ禁止、お酒禁止のパーティー」という謳い文句は逆に強いキャッチフレーズとなり、完全予約、時間厳守という2〜3部構成のそのイベントは大成功を収めた。参加者達は、一心不乱に1時間踊り、「1時間じゃ短いよ」と始まる前に言っていたダンス強者達すら、1時間休む事なくフルオンで踊ると、精神的にも感情的にも変容をもたらすことを体感し感動していた。

 私もそこを狙っていたけれど、実際DJをしてみて、全員が音楽に一斉に集中して最初から最後まで踊るフロアのそのピュアなパワーがあまりにも強烈で、しばらく自分のそのイベント以外でのプレイに入り込めなくなるほどだった。

 その後、最初のメンバーが抜け、新しいメンバーが入ったりしながら、DJはその都度これぞという人をブッキングし、ベニューによって形を臨機応変に変え、2011年の初めまで、帰国の度にあちらこちらでやらせていただく機会を得た。

 その中には、広尾のSUWARUという瞑想スタジオの指導者ニーマル氏が、以前、白金でやっていたヨガスタジオや、サイキックヒーラーのグッドニー·グドナソン率いる世界40カ国以上にあるモダンンミステリースクールの東京のスタジオ、30年の経験値を積むベテランのクンダリーニヨガ指導者レベッカ·フラムとのコラボレーション、作家で地球環境活動家でもある谷崎テトラさんのイベント、奄美大島の皆既日食フェスティバル·ヒーリングエリアでのプログラムなどが含まれる。

 最長部が1メートルはあろうかという”クリスタル”をメインにしたデコ、タオさんを筆頭にディクシャギバーの数人がフロア全体にも個人の希望者にも”悟りエネルギー”を流す。オープニング·リチュアルには、シャーマニックなヒーラーが参加者それぞれ個人に必要な言葉を卸し伝える。このダンスメディテーション開催のパートナーでもあり、DJでもありローチョコレートの先駆者でもある’カカオマジック’の松田スミレちゃんが、今でいう”カカオセレモニー”的にカカオドリンクやローチョコレートをダンス前に配り参加者のハートをオープンにし、やはり当時としてはまだ珍しかった”クリスタルボウル”の演奏が入ったり、ワークショップを挟んだり、最後はクロージングサークルを組み思ったことや体験をシェアする。概要はこんな感じだった。すでに今のウェルネス系ワークショップとコンシャスパーティーを全部ひっくるめたようなイベントに仕上がっていた。

 時同じくして、カリフォルニアのベイエリアでは、”エクスタティックダンス”が人気を呼んでいて、2009年アメリカを訪れた際に参加した。あの時点でかなり大きなシーンになっていて毎週2回、大きな会場で行われていて、私達のそれとは違って、おしゃべりは禁止ではあるのだが、好きな時に会場内に入っていって踊り、好きな時に出て来れるという、より緩くパーティー寄りで、コンシャスパーティーというようなものだったし、使われる音はエスニックやトライバル、時にはポップスやブレイクビーツなども入り、様々なビートとジャンルレスなエレクトロニカだった。この傾向はずっと変わらず、現在ではエクスタティックダンスらしい”ジャンル”が出来ている感がある。

 カルフォルニアやアリゾナは、コンシャス系の人々が多く、ウェルネスシーンが最速で進んでいたので、需要もたくさんあったのだと思う。その時出向いたアリゾナのリトリートでは、温泉の沸くサバンナな会場で、各種ダンスセラピーやセミナーがあり、ローフードで全部の食事が提供された。ジョン·デュマスのプライベートのサウンドヒーリングを受けたり、ニューヨークタイムスのベストセラー作家でエドガー·ケーシーの生まれ変わりと称されるデイビッド·ウィルコックやローフードのデイビット·ウルフらもレクチャーに来ていて、彼らと個人的に交流も出来た。虹が出たり、結婚式があったり、この場所と人々はマジカルで、最終日の早朝、一人で散歩した帰りには、珍しい現象の”白い虹”にも遭遇した。

 ダンスメディテーションはとても東京的だった。あれは大都市に住む人達のためのダンスセラピーだったと思う。音楽がハードでディープなクラブ寄りで、淡々と一定のリズムを刻む。それには私なりの理由があった。都会のエネルギーを受けブロックのかかったものを、同じくらい激しい動きでリリースする必要がある。現代人の生活に合わせて1時間とか1時間半の短時間で、という思惑もあったし、淡々とした一定のリズムは脳を即座に瞑想的にする。大都会でそのエネルギーを解放するためにはハードでモノトーンなテクノミュージックがぴったりだと思ったのだ。「つまらないことで悩んでいたのが嘘みたいだ」終わってシェアリングタイムでよく出た感想だ。少しだけだけど、その後マドリードやオランダのフェスティバルでも機会をいただいた。

 今は世界中でエクスタティックダンスやアレンジされたダンスセラピーが大流行し、ここイビサも例外ではなく、大流行して多くの人々やDJが参加し一般化してきている為、自己変容ワークというよりスピリチャル&コンシャス”パーティー”と化している。”本当の”パーティーも6~7年前から、そういうテイストが盛り込まれ、夕方から夜中まで野外ステージの方で踊らせるのがトレンドになっている。需要があって、音が存分に出せる場所とクオリティーの良いサウンドシステムさえ確保できれば、エッジの効いたダンスセラピーとしてまたやりたいとは思っている。

 2008年年末、恋人を訪ねてデンマークへ。ポルトガルでギグ。その足で3ヶ月のブラジルツアー、各地でのエピソードをここでは割愛し、話は2009年奄美大島の皆既日食フェスティバルの話へ。

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