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47. 父の決断

 2017年2月下旬、施設が利用出来ることになったお陰があって、少しだけ余裕ができた私は、投資する友人の会社の書類の件があって東京に3日ほど出向くことになった。何故だか予定していた翌週になる前に出向いた方が良い気がして、日程を変更して速攻で弁護士事務所で要件を済ませた。ついでに数人の友人に会って息抜きもし、泊めてくれた元彼家族宅から出てちょうど電車に乗るという時、お手伝いさんから連絡が来た。「昨夜から少し熱が出て治らないので、朝ごはん食べさせたら病院に連れていきます」

 その後、肺炎を起こしているのでそのまま緊急入院となったことを聞き、駅から直接、病院に向かった。「早く退院して、お寿司でも食べに行きましょうねぇ」お手伝いさんが呑気に構えてる間、私はドクターから詳しい話を聞かされて愕然としていた。

 今回のこの入院に関して「呼吸困難になった場合、延命処置を取るかどうか。また、今後、食事が出来なくなるが、胃ろうにするか、点滴にするか」

 詳しく聞くと「呼吸困難になってその延命処置をとると、ものすごい痛みを生じるため意識がなくなるように麻酔をかけ続けることになる」そうで、それはやめて貰った。幸い呼吸困難に陥ることはなかったので、急に死に至ることはなかった。

 ただ近日中に次の選択をしなければならなかった。身体に穴を開けてそこからチューブで胃に栄養を直接流し与える’胃ろう’にして生き延びるか、それはやめて点滴にするか、、。点滴になった場合はそれはゆっくりとした死を選ぶという事だった。胃ろうを選んだ場合、体力のある今のうちにその手術をしなければならない。

 どちらを選んだとて、もう父との家族的な生活は戻らない。一緒にご飯も食べられない。他の病気であれば胃ろうしてある程度身体が回復したら、もしかしたらまた食事ができるようにもなるかもしれないが、父の病気ではそれはもう無理だった。その上、年老いた人間というのは、一度、何かが出来なくなれば、そのまま出来なくなる一途だ。美味しいものを食べるのが大好きな父が、誰かの食事を横目に、食事を出来ないまま余生を送るのは逆に残酷だろう。

 住み込みだったお手伝いさんは息子夫婦のいる自宅に戻り、その突然の出来事で、私はがらんとした広い家に一人残され、シーンと静まり返る中ただただ泣いた。人間はこんなにも涙が出るものなのかと思うほど泣いた。ここで母が亡くなってから彼は15年もずっとこの家を、私達子供達がいつでも帰ってこれるように守って待っていてくれたんだなと思うと涙が止まらなかった。時計の針が部屋中にヤケに響いて、その音が1秒ごとに私を孤独へと追いやるかの様だった。いよいよその時が来てしまう。父はいなくなってしまう。

 どちらの選択が良いのか。ドクターからの「ここだけの話、自分の親だったら、胃ろうはしないです」の言葉があった。色々調べまくった。弟もお手伝いさんも胃ろうするに賛成派だったが、結局、私は反対の意に落ち着いた。合併症が40%の確率で起きるとかリスクが多すぎたし、父の性格で胃ろうして生活することは多分、難しいだろうと考えた。しかも、もうこの時点で二人がかり24時間のケアが必要だった。

「お父さん、、もう覚悟決めない?私は胃ろうしない方がいいと思う、、ある意味、完璧な最後だと思う」

 ほとんど声にならない声で、それでもしっかりと私を見つめて「胃に 穴、、けて、、生き、、思わん」父は言葉を絞り出した。胃に穴を開けてまで生きようとは思わない。それはとても父らしい選択だった。

「立派。それがカッコいいと思うよ、、!お父さん」

心の中で号泣だった。

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