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32. ヒーリング・アート

 モロッコからバルセロナ、パリ、ロンドン、それぞれの都市にいる友人達と過ごし、11月末に東京に戻った。シャンティクランティに数回会う機会があったのだが、私の様子がこれまでと違うことを感じ取った彼女に、この1年にあったことを全部話した。メールで連絡があまりとれない彼女には、私の事情を話す機会がなかったのだ。

 「瞑想やヒーリングに充分時間を割きなさい。あなたはいっぱい傷ついてるから。今のままのあなたじゃ、周りの人を傷つけるからね」傷ついている人間というのは、周りを傷つけてしまう。心に余裕がないため、ちょっとした他人の言動に敏感になったり、ネガティブな反応をしてしまったりするのだそうだ。そして、まさに今、私がそういう状態だと言うのだった。

 振り返ってみれば分かるけれど、そういう状態というのは渦中にいるとなかなか自分では気づきにくいものだ。当時の私は、ちょっと厳しいシャンティクランティに反発してしまうような気持ちもあったが『なんとかした方がいいことだけは確かだ』と思い、一度受けると”瞑想100回分”ほどの効果があるという’ディクシャ’というものを、たまたま見つけて行ってみることにした。シャンティクランティのアドバイス通りに十日もの瞑想に行っている時間もないからだった。

 ”ディクシャ”は、’カルキ‧バガバン’という聖者が人類を悟らせるために「宇宙のエネルギーとの中継地点になって人々に伝授する」というもので、2003年ごろから各地に広めているらしかった。もちろん、本人ではなく養成コースを受けた人々が施している。もともとは、聖者が弟子の一人に悟りのエネルギーを伝授するものだったらしい。

 ”悟り”とは、思い込みから解かれて、物事の見方、捉え方が変わることで、例えば、苦しいと思い込んだ事柄は、自分の”こうであるべきという思い込み”が生んだもので、そこから外れて、解放されることらしい。また”悟り”というのは、前頭葉が活性化し、頭頂葉が非活性化することで起きるらしく、そういう脳の状態にするのがディクシャということらしかった。

 なにやら怪しい感じはするものの、3人ほど違う人たちのものを受けてみた。私はこういう類のものは、よっぽどはっきりと分かるものでない限り信用もしないし、レイキなども一度を除いて、ほぼ効いたことが無いクチなのであるが、2回目に受けたセッションがあまりにも衝撃的で、はっきりと効果も感じられた。

 80年代後半から”オショー”の弟子”サニヤシン”であるタオさんという方のそのセッションは、自分のエネルギーが自分の身体から抜け出て登っていくように感じられ、身体に残っているエネルギーと登っているエネルギーとで、身体と天を結んでいるような感覚だった。正に瞑想100回分。タオさんとはその後も親しくさせていただき、2010年には、彼が行なったコースで自分もディクシャの”ギバー”になった。

 自分を愛するという概念も、そのコミュニティーの主宰するワンネスセミナーで学んだ。それまでの自分は、”自分を愛する”とは、自分を好きになるということだと思っていた。だから『自分が好きになれる理想の自分になろう』としていたのだ。理想の自分ではない自分を虐げていたし、失敗するような自分やダメな自分は、自分の中に存在することを許されていなかった。見ない様にしていたとも言える。自分を愛するとは、ネガティブだと自分が思う全ての自分をひっくるめて、そんな自分が、自分の中に存在することを認めてあげることなのだと知って、相当、私は楽になったのだった。

 多くの人が自分に厳しい。理想ではない自分を責めたり嫌ったり悔やんだりもする。だが、その悔やむ自分も責める自分も自分で、出来ない自分も理想に向かおうとする自分も自分。その全ての存在を容認する。あるいは自分の中に起こったネガティブな感情、例えば”嫉妬”や”怒り”。感じてはいけない感情として、あたかも自分はそんな気持ちなど持たないかのように演じ、なかったことにする。そんなことが積み重なると、それらの感情は、ひっそりと潜在意識の奥深くに閉じ込められ、何かを”トリガー”として爆発してしまうか、本当の自分らしく生きられない。

 『そのままの自分を認め、その存在を許す』とは、自分の中のあらゆる存在を知り、無視せず、何処か隅の方へ追いやらず、それら全ての存在を認識し受容する。ポジティブな自分もネガティブな自分も、全部が自分だ。嫌いな部分も自分の中にあることを認識し、その存在を許してあげるのが愛だ。それが自分を知ること、自分への愛となる。

 自分以外の誰かに愛されると自信が湧くし、どんな自分であろうとも愛されている時ほど、自己肯定感が高まるものだ。だが、そのように人からの愛を求めるのでなく、自分を知るという自分の愛で自分を満たすのだ。それが出来る人は、誰かのネガティブもポジティブも認めて愛してあげられる。全ての自分を許し全部の自分を認めれば、他の人からもそうしてもらえるものだ。逆に誰かに自分のネガティブさを認めてもらえずとも、自分が自分を認めてあげられれば、誰かの所為で落ち込むこともない。揺るがない。
 

 私は癒せるだけ自分を癒すつもりで、ヒーラーにお願いできるところはお願いすることにして、自分を回復させることに努めた。手に負えないような怪我を負ったときに医者に診てもらうように、心の大怪我はヒーラーに手伝ってもらうのも手だと思う。

 一度、カウンセリングでお世話になったサイキックヒーラーにもヒーリングをお願いした。彼女は物腰や声がとても柔らかで、「うんうん。辛かったね。もう大丈夫だよ~」といった具合に優しかった。人は、傷ついている時や悩んでいる時、自分の話を批判やアドバイスなしで、そのまま聞いてくれる人が必要だ。彼女が心地良かった。よく言われることなのだけど、癒すのは自分自身でしかなく、ヒーラーは手助けをしてくれるだけで、傷ついた原因が分かることや癒しが必要な自分を認識することで”癒し”が始まる。

 デイビッドやペニー達とのことで悲しみや怒りに蝕まれていた自分だけでなく、人生の階段を踏み外したというジャッジで自分を責めていた自分に気がつき、心の奥底の暗い場所にうずくまっていたインナーチャイルドに手を差し伸べ、性的虐待した男に対して殺してやりたいほどの憎しみを持つ幼子の自分に対面し、私はやっと根深く傷ついていた”癒しが必要な自分”に気がつき、そこから少しづつ自分に対しての”癒し”を施す旅が始まったのだと思う。

 あの”失敗”がなければ、そこに気づかず辿り着かなかったかもしれない。人生に失敗などというものはなく、全てがチャンスだというのはそういうことだ。


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