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31. ゼロ・ポイント

 レニーの提案通り、何人かの楽曲に”歌入れ”をしながらイビサ滞在を延長し暫くした頃、私は「40歳の誕生日をサハラ砂漠で迎えたい、、」という気持ちを抱くようになっていた。

 荒涼とした岩石状の砂漠には、これまでアメリカを中心に幾度となく行ったのだが、 砂丘状の砂漠には行ったことがない。私は砂漠というものにすごく魅了されていた。当時、情報は限られていて、砂漠ツアーを現地でアレンジして女性一人で行くというのは危険も多いということを聞いていた。レイプなどもあるようだし、間違ったツアーガイドを選ぼうものなら、最悪の事態を招きかねないので行き当たりばったりで行くのは怖かった。

 フェースブック以前にあったフェースブック日本バージョンともいうべき’ミクシー’の”砂漠コミュニティー”なるものを発見して、情報提供を呼び求めたけれど、1ヶ月ほどなんの返答もなかった。

 ほぼ諦めかけていた11月の初旬、モロッコのサハラ砂漠の入り口の村’ザゴラ’という村でキャンプ場を経営しているという日本人女性’ひかる’さんから「砂漠ツアーをアレンジできますよ」という連絡がこのコミュニティーを通してあった。しかも11月に砂漠へ行くのは気候的に最適ということだった。

 今からアレンジするには日程が迫りすぎてる感があったので、断ろうかと思ったが『本当に行けないのか?行けるんではないのか?』という”心の声”が聞こえた。逆算すると急げばギリギリ間に合うようだ。しかも日本人女性がアレンジしてくれるのなら信用できる。砂漠で誕生日を迎えたら、すぐにロンドンから日本へ帰国する便が控えているので、急いで全ての荷造りをして、2ヶ月以上いたイビサをとうとう後にしてバルセロナに飛んだ。サンフランシスコ時代からの友人カップルが’シチェス’というバルセロナ近郊の街に住んでいたので、そこに大きな荷物を置かせてもらい、翌日にはモロッコのマラケシュへ飛んだ。

 2度目のモロッコである。カラフルで喧騒的なマーケットが乱立するマラケシュの中心地にて、ザゴラまでの夜行バスに乗るため、少し時間を潰した。

 ザゴラ行きバスの車中は、ローカルだらけで皆んな珍しそうに私を見ている。こういう場所へ旅をしたことのある方達は察しがつくだろうけれども、ちょっと苛ついてしまうほどである。体格の良いおばちゃん的乗客が、それらの男性客に対して威嚇して私を守ってくれた。言葉は通じないにしろ感謝の気持ちは伝わるし、その女性と会話になっていない会話を交わしながら、うっつら眠りながら早朝に目的地であるザゴラに到着した。

 バス停にて、ひかるさんのモロッコ人の旦那さんが待機しているはずだったのだが、見つからない。そのうち、だったか、電話を入れたかだったかで、無事、彼らの経営するキャンプ場に到着した。どうやら私は、ローカルバスに乗り込んでしまったようで、本来なら旅行者用のもっと小ぎれいで快適なバスで来られるはずだったようだ。なので到着時刻が違ったらしい。

 キャンプ場はモロッコらしい布やデコレーションをたくさんあしらい、手作り感溢れていて一つ一つ趣きが違う。テントといっても、私たちがキャンプ用品屋で調達するようなものではなく、厚い布地と木材とで建てられていて、半分ちゃんとした部屋で、布で各部屋や入口が仕切られているような感じだ。掘建て小屋を可愛くした感じとでも言えば良いだろうか?ベッドもある。

 私以外に宿泊客はその日はいないようで、確か好みの部屋を選ばせてもらった。そこで、ザクロやフルーツの朝食をいただきながら、元々、日本で女医さんだったひかるさんが旅の途中のモロッコで今の旦那さんと出会って遠距離恋愛を実らせ、結婚を決めてモロッコへ移住するまでの馴れ初め話を聞かせてもらった。遠距離恋愛成就のツールは、当時”文通”だったようである。

 午後には、サハラ砂漠へ同行してくれる原住民’ベルベル人’のガイドに連れられ、必要なものを買い出しに行くことになった。歩きやすいことは必須だけれども、スニーカーでは砂が入り込むし、スポーツ系のマジックテープなどで足に固定させられるサンダルが必要なのだった。その他、砂漠で着心地良さそうな’カフタンドレス’、長い髪をまとめられるようにターバンなども追加で手に入れた。夜はキャンドルで明かりをとったその雰囲気の良いテント部屋で、ワクワクしながら眠りについた。

 翌日、4日分の食料、水、テントや寝具、一通りの救急キッドなどが積まれ、ベルベル人の男性ガイド2名で、まずは車で出発した。数時間ドライブした後、中継点のような場所に来て、ラクダ3頭に荷物を乗せ換え、いよいよ3泊4日の砂漠への旅が始まった。

 初めて砂丘に足を踏み入れた時の感覚は今でも覚えている。さらさらした美しい砂。一足ごとに砂に埋もれて、足がもつれるような感じ。そして無音。今まで生きてきた間にずっと休まずになんらかの音を聞いてきた、その耳の中の残響がずっと鳴り響いているような感覚。それぞれの砂山の遠近の感覚が全くもって掴めない。私の顔は満面の笑みを浮かべている。『砂、、、砂だ、、、』

 日が暮れる前、今夜、野営する場所でガイド達がキャンプをセットアップしている間、高さ1~2メートルほどの砂山が延々と続く中を、一人で離れたところまで歩いて行く。隣の砂山を一つ越えればすぐにキャンプは見えなくなり、大自然の中に放り出される。風のささやきが妖艶にさえ思える。人間があまり足を踏み入れない”超自然”な場所というのは、一瞬怖さもあり、それだけで意識変容だ。なんという偶然か、私の誕生日の夜に満月になる1日前のほぼ丸くなった月がサンセットと共に反対側から登っていった。

 キャンプ場のオーナーひかるさん達には、誕生日だということを伝えてあったため、設営されたキャンプに戻ると、ガイドは何本かのキャンドルを砂に並べて灯し、モロッコの代表料理タジンを用意しておいてくれた。

 翌朝、私はまだ暗い内に起きて、一人で大きめの小高い砂山を目指した。だんだん白んでくる方角に向かって座る。だんだんと空が光を帯びてくる。きた、、、。砂山の合間から一筋の強い光が一直線に射す。それはほんの一瞬のことで、あっという間に太陽が形を成して登ってくる。誕生日の朝日だ。光が砂に当たってキラキラと黄金色に輝く。刻一刻と変化する光。空が濃い青になっていく。砂と空のコントラストに目を奪われる。此処へ来たこと、この朝日の情景、私は生涯忘れない。

 キャンプに戻ってガイド達が用意しておいてくれた朝食を食べ終えて、また次の砂漠へと歩きだした。ラクダに乗るかと聞かれるが、その日、私は自分の足で歩きたかった。これは私なりの巡礼でもあったからだ。特に聖地を巡るわけではないけれど、歩くことに意味があるのだ。無言で歩いていると色んなことが頭をよぎる。それをただひたすら俯瞰しつつ歩いた。

 ダメになってしまったデイビットとの関係、堕ろしてしまったベイビー、ペニー達との完全に壊れてしまった関係性、作品への執着。移動中は、頭が色んなことに注意を向けていたので、そのことについてあまり考えることもなかったのだろうが、歩くという単純な行為になった途端、ずっと頭のどこか片隅の方に渦巻いていたそれらの想念がクリアに突出した様だった。こんなつまらない思いでこの砂漠の体験を台無しにしたくなく、ここへ来れたことの喜びや美しい自然の織りなす情景に目と心を向け、自分をポジティブに持って行こうとしたが、それらはこびりつく様に私の静寂を邪魔した。

 夜、満月が明るく照らす砂丘の中、高さが300メートルもあるという砂山にガイドが案内してくれた。頂上までは結構な距離だった。息を切らしながら上り詰めたそこからは、見渡す限り”砂の波”が続く。はるか向こうには、かすかな村の明かりも見える。今まで見たどの景色より幻想的だ、、。大小の砂山の波が360度続く様は、”東京タワー”から眺める圧倒的なビル群を眼下に誇る景色のインパクトになんとなく似ていないでもなかった。

 見渡す限り砂と空以外何もない世界。静寂。耳に残る今までの自分の人生の残響。砂漠の静寂は、人間の想念を浮き出させる。存在を感じさせる。

『何もないのに、この世の価値あるもの全てがある世界』

 砂漠は今の自分にふさわしい場所だとつくづく思った。来るべきタイミングで、来るべくして私は此処に来た、という感覚が有り余るほどにあった。自分は全てを失ったかの様に見えるかもしれないけれど、それでも五体満足で、何より”命”がある。

『40歳。ゼロポイント、ここから新しくスタートするんだ。また歩くしかない。歩こう。歩くんだ。歩き続けるんだ、、。私は歩く!』

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