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10. ザンビア

 ザンビアの首都’ルサカ’について、まずはゲストハウス的なキャンプ場に赴いた。既にたくさんのトラベラー達がそこを拠点にしていて、私達も早速キャンプ用品や食料品などをマーケットに買い出しに行くと、数人の日本人に出会った。皆、国外に住んだり、旅して歩いているとのことだった。何人かはその後もしばらく付き合いが続いていたけれども、昨今はすっかりご無沙汰している。

 フェスティバルに行くまでに、キャンプ場で働いている現地の女の子に髪を何本もブレーズに編んでもらい、期待は膨らんで行った。皆が会話に花咲かせている中、一人その英語についていけずにいると、黒髪長髪で私と同じように髪をブレーズに編み込んだネイティブアメリカン風な端正な顔立ちの男性が「英語あんまりわかんない?」と私に日本語で話しかけて来た。「!!?」なんでも、京都に住んでいたことがあるらしく流暢な日本語、その王子様を思わせるような風貌で京都弁というギャップがなんとも微笑ましく、すぐに私達は意気投合し始めた。しかも恋に落ちてしまいそうになってドキドキする。

 フェスティバルまで、どういうルートでどう向かったのか、よく覚えていないがルサカは首都とはいえ、さほど大きくはなく、フェスティバルまでもそう遠くなかったと記憶している。ドライな木々、焼けた色の草が生える乾燥した土地で、アフリカといえば眼に浮かぶような’サバンナ’が会場だった。

 アフリカという土地のエネルギー、そして自分も含めてだけど、わざわざこんなアフリカまでフェスティバルのために出向いて来た気合の入った人々が8千人。今のフェスティバルは、もっとオーガナイズされて洗練されているけど、この時はもっと荒削りだった。それでも私にとっては、『こんなサバンナのど真ん中で、どんな人達がどうやってこんな大きくて美しい日よけやステージを作っているんだろう?』と目を見張るばかりだった。

 東京からの仲間達にも現地で出会い、皆でキャンプをセットアップした。シャンティクランティも一緒だった。私と元ボーイフレンドの二人は最低限必要なものだけを持って来ただけで、お互いに一人用のテントを建てて、とてもシンプルなセッティングだった。反して皆は旅慣れていて、エアベッドやらハンモック、快適に過ごせるものをたくさん持ち込んで来ていて、それらをシェアしてくれた。

 サバンナは砂漠のように日中は暑く、夜はとてつもなく冷え込むが、そういう気候にはもう身体が慣れつつあったし十分に準備できていた。

 キャンプを張って、焚き火にあたりに行った時だった。隣に居合わせた男性と何気に話をし始めて、多分私は自分がDJをやってることや、どういう経緯で来たのか何かを聞かれて話したのだと思うが、彼はなんと”ステージマネージャー”で、私がプレイ出来るかどうか取り計らってくれることになった。その後そのステージマネージャーは、他のメインアクトの一人に私のことを聞いたらしく、そのアーティストのお墨付きで、すんなり話は決まったようだった。というわけで、どうしても来たかったフェスティバルでプレイ出来ることになった。

 今では、ラインアップはきっちりと決まってるものだし、こんな風に大きなフェスティバルで突然プレイできるなんて、緩くて良い時代だった。とはいえ、サブフロアで人もまばらで、仲良くなった日本人たちや日本語のできるネイティブアメリカン風な例の王子様、元彼や仲間などが来てくれただけだったけど、私にとっては十分、”晴れ舞台”だった。

 このステージマネージャーとそのアシスタントには、その後もとてもよく面倒を見てもらい、忘れられない言葉も貰った。「君は音楽からたくさん学んだ。これからは音楽に恩返ししていくんだ。」確かに幼少から今まで当たり前の様に側にあり、そして未来を思い描けなく、どうしようもなくなった20代の私を救い出したのは”音楽”だった。音楽の素晴らしさを知れば知るほど、体験すればするほど、こういう経験を多くの人と分かち合いたいと思う様になっていった。

 フェスティバルが深まる中、私は何かと、”かの王子様”と行動することが多くなっていたのだが、ある日、二人でいる時に知り合った女性に「あなたたちはカップルなの?」と聞かれた。私たちは二人とも長い黒髪を細かく編み込んでいて、それはまるでお揃いにしているかのようで、見た目がお似合いだったのだ。しかも彼は日本語が出来るし日本に住んでたし、こんなスペシャルな場所で出会ったのだから、”運命的”とさえ思っていた。彼は「ありえるかも」とニッコリと答えてくれて、内心ドキドキしていたのだが、その直後のその女性からの会話に、それは儚くも散ってしまった。

「あなたはいくつ?」すると彼はなんと19歳だと言うではないか。ご丁寧にも、その彼女は、私にも年齢を聞いて来た。自分の歳を言うのにあんなに躊躇したのは初めてだった。「35歳、、、。」

 とても大人びて見えていたので『7~8歳ぐらい年下なのかな』と思っていたし、それぐらいは全くもって許容範囲だったけれど『さすがに19歳は、、』

 追い討ちをかけるように、彼にもやんわりと「私とのことは考えられない」と伝えられ「そんなこと言われたらどう接していいかわからなくなるじゃない」と受け答えた。私の態度に出ていただろうから彼もそう言ったのだろうけれど、そんな気持ちはまるで無かったかのように振る舞うしかなかった。ささやかな恋心は崩れ去り、その晩は少し泣きながら眠り、翌朝目が少し腫れたが、その事で彼とは緊張せずに自然と接することが出来るようになったのだった。


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