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33. ウェルネスな生き方

 2006年1月、ちょうどベイビーのことがあって1年足らず。オーストラリア‧メルボルン郊外で行われるインターナショナルなフェスティバル、レインボーサーペントの2度目のブッキングとツアー、3月のトルコの皆既日食のフェスティバルにもブッキングが決まっている私は、音楽の準備に余念がなかった。この頃にはラップトップがかなり進化してきていて、とは言え、まだ1センチ近くの厚さがあったかと思うが音楽を作ることを視野に入れてMacBook Proを持った。

 思えば、これは昔からの私の癖で悲しいことがあると、とにかく忙しくしたり、旅に出るとか、意識的にか無意識でか場面を変えてきた。そうやって、その”悲しみ”から目を背け、しばらく経って忘れた頃に『もういいかな、、』と、その悲しみが心の奥から顔を出して泣き出したりするのだ。時には、その悲しみや涙がどこから来るのか認識できないこともあった。

 本来なら非常に辛いことだけれども、それが起きた時に悲しみなどの感情を認識してあげて、それにどっぷり浸り感じ切って治してしまった方が、多分、人生をもっとスムーズにする。分かってはいても、その瞬間に感じ切るのは難しいものだ。人は”痛み”や”哀しみ”からなるべく早く抜け出すか、目を逸らそうとしてしまうものだからだ。

 自分を癒すことに出来るだけ明け暮れた後、私はオーストラリアの1ヶ月間のツアーに出向いた。この年のフェスティバルでは、これまでとは違ったタイプの筋金入りなトラベラーな友人達がたくさん出来た。そのほとんどがドレッドヘアで、その当時に流行りだしたフェスファッションに身を包んだ輩だった。アースカラーがベースのオーガニックなカットラインやアシンメトリーなデザインの重ね着、パスポートを含めた貴重品全部が色々な大きさのポケットに入る皮のウエストポーチベルト、じゃらじゃらと腕にも首回りにもクリスタルをあしらったり’セイクレッドジオメトリー’を形どったジュエリー。そういう類のファッションや小物をフェスティバルで売って、旅をし続けるトラベラー達も数多くいた。

 大半のそれらの友人達は、今ではすっかりアップデートしていて、ブティックを何件も持ったり、それらのファッションスタイルが受け入れられている”ヒッピー”が多く集まるイビサやバリ、コパンガン、ベイエリア、メキシコのトゥルム、そういう場所に散らばっていて、東京でも一時期には大流行したりで、5万円から10万円、時には数十万を超えるようなそれなりの値段がつくファッションブランドに成長していたり、人気セラピストや講師になっていたり様々だ。

 私のダンスとチルの2セットのうち、それらのグループが、私のチルアウトステージのセットに出向いてくれた。今でも目に浮かぶが、彼らはそのダウンビートな音で様々な動きで優雅にダンスして、それはそれは美しく、プレイしていて非常にインスパイアされた。彼らも「こういう音で踊りたかった」と楽しんでくれた。プレイが終わった後、みんなが私を連れ、少しだけフェスティバルから離れ、円陣を組んでメディテーションしセレモニーのようなことを行った。

 フェスティバルが終わってからも、彼らの一部と一緒に過ごしたのだが、行動、意識、ライフスタイル全てに憧れた。その仲間に加えてもらっている自分が誇らしかった。スーパーフード、エッセンシャルオイル、クリスタルなども、まだ一般には広く知られていなかったようなこの頃から使いこなしていて、朝、クリスタルのネックレスを首にかける際まで、リチュアルとして祈りを込めて儀式の如くそれは身に付けられた。

 特にその中で強くコネクションしていた友人は、私が20年経った今でも出来ないようなヨガのポーズの数々を、その時点でいとも簡単にしなやかにやってのけ、瞑想や’リチュアル’を生活に落とし込んでいた。彼女とはバイロンベイやメルボルン各地で過ごし、時には一緒に旅をすることで多くを学んだ。多分相当強いであろうオーストラリアの蚊に刺された箇所が腫れ上がった私に、自然の中に入っていく時にはきちんと敬意を払って、”自然”と”生命達”とコンタクトを取ることを教えてくれた。

 ”ヒッピーの聖地”みたいな箇所は世界各地にあり、オーストラリアのバイロンベイも、その中の代表的な一つで、フェスティバルの後に初めて訪れて、今でいう’オフグリッド’で’サスティナブル’なライフスタイルを送っているヒッピー達の家を渡り歩いた。太陽光発電、雨水を貯めて生活用水にすること、キッチンの食物屑からコンポストにして、トイレもコンポスト、そして家庭菜園。敷地内に池を作り、自然の浄水が出来るようにして使用している家もあった。

 日本でも、”自然と共生”したライフスタイルを送っている人達はいたし、自分も90年代終わり頃から野外フェスティバルに行ってキャンプすることで、水や電気が貴重なこと、ケミカルな洗剤などは使用せず、見つけたゴミを拾い、なるべく自然に寄り添った生活を心がけるようになってはいたが、彼らとの出会いで更に自分のライフスタイルはバージョンアップすることとなった。

 当時、その全てが手作り感満載”ヒッピーレベル”であったけれど、今現在では、ヒッピーという”括り”から、コンシャスあるいはマインドフルにカテゴリーされる人々やシーンが出来上がっていて、エコでサスティナブルで快適な家や建物というのは、とても進んできている。自然の形状を生かしたりローカルのクラフトを使ったりして、自然に調和し溶け込んでいながらハイテクでデザイン性の高い建築物や家を設計する建築家も世界には増えてきている。

 イビサなどでもラグジュアリーでサスティナブルな家やリトリートセンター、ホテルがますます増加しているし、それは、かつての”ヒッピーの聖地”と呼ばれた場所で盛んに起きていることがSNS上からも見てとれる。

 もはやそのウェルネスの流行は、いい意味でも悪い意味でも留まることを知らない。フェスティバルでウェルネス系のプログラムを仕切っていた友人などは、一人のお客が1週間で平均400万円以上も支払うようなサスティナブル高級リゾートにヘッドハンティングされたりしているそんな時代になった。

 マインドフルやウェルネスが一過性の流行ではなく、新しい時代の生き方の一つになっていくだろう。今はコロナを経て、マーケティング上手な”なんちゃって”が爆発的に増えたけれども、世間一般に普及する時はいつだってそうだ。淘汰される頃に、他より力をつけたもの、時代に乗る努力をしたもの、”強いもの”が残る。

 この年、彼らとの出会いによって私の人生は、また大きく変わった。私のエネルギーが変化したとも言える。まだ完全に癒えていた訳ではないが、少しづつ取り組んでいけばよい。毎日の生活の中で、自分のエネルギーを綺麗に保ち、健康な身体作りをし続けていくしかないからだ。日々部屋を整えるように、シャワーを浴びて身体を綺麗にするように、エネルギー体も毎日整え、時々大掃除のように、時には誰かの手を借りて、深いトラウマを手放し癒していく。これで終わりとか、これで良いということはないのだ。

 日々の習慣が、幸せな状態を作る。身体にとっての幸せな状態は”健康”、メンタルにとっての幸せな状態は”平和”で、感情にとっての幸せな状態は”愛”で、魂にとっての幸せな状態は”ハイヤーセルフであること”だと思っている。

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