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50. 黒い月の贈り物

 まるで計画されていたかのように、葬儀と’四十九日法要’のその間に、アメリカ‧オレゴンの皆既日食フェスティバルがあり、私はそのフェスにDJとしてブッキングされていた。行けるかどうかは父の状況次第だったので数ヶ月前に出演をキャンセルした方が良いかも知れない旨を伝えたのだが、オーガナイザーはそうせずにギリギリまで待ってくれていた。なので、まだ出演者としていくことが出来た。

 亡くなった人の魂は四十九日間、まだ家族の側にいるという仏教の教えを信じ、私は葬儀から数日してフェスティバルに行くことに決めた。父の遺骨のかけらを小分けにして持ち、”父の魂”と一緒に出向いた。

 このフェスティバルは、私の人生を通して行ったフェスティバルの中で、現在に至る今振り返っても、”最高峰”のものだった。まるで私の三大お気に入りのフェスティバルであるバーニングマン、ブーム、日食フェスティバルの全てがミックスされているような仕上がりで、もちろん世界中からの友人達が一堂に介していたから、私にとってはパーティーシーンの友人達との同窓会の様でもあった。

 カリフォルニアのコンシャス系フェスティバルのオーガナイザー達が中心になって、日本含めた世界各国の大型フェスティバルのオーガナイザー達が協力しあって作っているだけあって、音楽系の大きなステージが7つ、小さめのステージが他にもいくつか、400名以上のDJやミュージシャンがプレイした。ヒーリングエリア、ワークショップエリアにも音楽系と同等の面積が取られ、メインとなるステージやテントが10個以上はあり、ヨガは勿論のこと様々なワークショップが行われており、ブームのヒーリングエリアよりも数倍も大きかった。

 ベニューは湖を囲み、相当の面積だったが一体何平米あったのかよくは分からないし、全部を回り切れたのかさえ不明だ。キャンピングエリアからフェスティバルサイトの何処かのゲートまで2~30分かかるようなサイズ感。美しいステージデザインも良音なサウンドシステムも、そこここにあるインスタレーション、ギャラリーの完成度含め、レベル違いだった。勿論、アグリカルチャーやサスティナブルにも傾倒していて、新技術を使った野菜を育てている温室やら、グリーンエネルギー、会場全体のゴミの分別も徹底していた。

 ヒーリングエリアなどで出されているドリンクは、もはやスムージーやコールドプレスジュースなんぞはとうの昔に通り越して、フラワーエッセンスや鉱物などをブレンドしたような、もはや一体どうやって作られているのかは飲むだけでは予測のつけられないナチュラルに意識を変えるような飲み物の数々が置いてあり、10年ぐらい先を見せられた。多くの人にとって”ライフチェンジング”な体験になるフェスティバルだったと思う。

  毎日、早朝には幾つもの”気球”が会場上空を飛んで、湖面に降りてまた舞い上がり飛行していた。それを眺めていた私は、結構な値段はしたけれども日食当日の朝『一生に一度乗るかどうかだ』ということで思い切って気球に乗り、その巨大な会場を空から見下ろした。カラフルなステージの数々が湖の片側に散りばめられ、その先にはテントやオートキャンプのある巨大ベッドタウンが遠くの方まで続いていた。現実の世界なのに、まるで作り物のように見えて、映画の中に入り込んでしまったかのようだった。

 日食現象が起きる小一時間ほど前、フェスティバルによって日食を見るエリアが湖の向こう岸にセッティングされていたので、来場者の多くの人々がラッシュ時のようにそこへ向かっていた。あまりの人の多さに、そこのエリアに友人達を残し、私はそこから少し離れた原っぱの方へと一人で歩いていった。まばらにあちらこちらに数人のグループはいるけれど、全く気にならないところまで離れたところで場所を確保し、父の遺骨のかけらが入った小さなケースを開けて太陽に向けて、その時を待った。並べて母の遺骨のケースも同様にした。

 スマホカメラを三脚に立てたが、急に電源が落ちブラックアウトしてしまった。充電はたっぷりされているはずなのにおかしいなと思いつつ、撮影は諦めた。後から、同じ様なことになったカメラマンや友人達の話を聞いた。

 8月の暑い最中だったが、月が太陽を覆っていくにつれて、だんだんと肌寒くなっていき同時にあたりも薄暗くなってきた。日食眼鏡で確認を繰り返すうちに、太陽が月に覆い隠されてゆき、とうとう太陽が消えたので、私はその眼鏡を顔から外し、いざ裸眼でその方向を眺めた。

「、、、あああ、、、」


 途端に大粒の涙がとめどなく流れた、、、。父がこれを見ている、、。感激屋さんの父は、美しいものや感動的なものを見ると子供のようにすぐ泣く癖があった。その父のいつもの泣き顔が目に浮かぶ、というより、私が”父”になっていた。

 私にとって7回目のトータルエクリプスにして、初めて嗚咽するように泣いた。泣きじゃくった。その美しさは完璧だった。「綺麗でしょう?お父さん」

 神の如く、、宙に浮かぶその”黒い月”は、黄金のオーラを携えて、厳かに佇んでいた。

 ”ディバイン”と呼ぶに相応しいそれは、2001年ザンビアで拝んだ男性的な力強い真っ黒な3D球体のような皆既日食と、2012年ケアンズで拝んだ女性的で柔らかい薄い紫がかった絵画のような皆既日食の、その極限にまで男性性と女性性がミックスされたような、そんな2017年の皆既日食だった。

 程なくしてダイヤモンドリングの光が”私達二人”を貫いた。そして父はその光に召されていった。

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