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終章

 私の物語はまだまだ続くし、出会った素晴らしいメソッドの数々も紹介したいけれど、ここで一旦幕を閉じておく。 

 ブルガリア人の彼と別れた半年後の2019年10月、イビサの全ての荷物を処分したり預けたりして一旦引き払い、その年の暮れまでには父と母の遺品も全て処分し、晴れて無期限の放浪の旅を試みたところでパンデミックが世界を覆い、序章で書いた通りヒーリングメソッド天国なタイランドにてスタック。パイやチェンマイ、コパンガンを中心に数々の”施術”やリトリートを受け、身体やメンタルに良さそうなことは一通り行った。

 このままタイに移住してもいいかなぁと思っていたにも関わらず、その年2020年夏、2か月ほどヨーロッパがロックダウンを解いたその隙間に、コパンガンからイビサに戻ってきてしまった。イビサに戻って1年ほどした時、旅を再開しようかと、国境を開けたままにしていた唯一の国、メキシコへのリサーチを始めた頃、現在の住まいと巡り合い、結局そのままイビサに居続けている。音楽制作活動に入り込める環境に安住している感じだ。

 アフターコロナで様々なテクノロジーが発達し、その速度が一気に増した2023年現在。シンギュラリティも来年に起きるかもしれない。テクノロジーが進化する一方で、古くからのメソッドや瞑想が注目され、多くの人々の自己啓発と学びも加速している。誰しもがそれぞれのやり方で自分の魂の成長を探求している。それには早いも遅いも無く、良いも悪いも無く、それぞれの路をそれぞれのペースで探求している。”師”は、自分の用意ができた時に、色んな事象で現れる。

 今思う私にとっての成長とは、思い込みや人や時代の作った常識や”今の自分ではない考え”を極限まで削ぎ落とし、自分を変容させ意識を拡大させることだ。真の自分の神性に繋がり、自分が作った幻想から解き放たれることだ。真の自分と繋がり続け、それを人生のあらゆる局面で繰り返し学んでいくこと、それが経験となり智慧となり螺旋状に登っていくかのように成長を促すのだと思っている。そして個人の成長だけでなく全体が成長することを望み、誰かと密に関わることで得られるような成長の機会を、お互いに与え合いたいと願う。個は全体で、全体は個だから、、。

 誰とも恋愛しないで3年以上が過ぎた。こんなことは人生で始めてだけど、”恋多き女”と人から呼ばれるほど多くの人と恋愛できた自分は、それはそれで良いと思っている。その時々で、それぞれがお互いに必要なことを学べたと思っているからだ。誰一人として自分と同じ人間はおらず、成長の速度が合っている一定期間、自分達のネガティブな部分やポジティブな部分を鏡として見せ合う役割、あるいは自分の器を広げる為の身近な練習相手という役割を果たし、彼らはお互いの人生の隣合わせから去っていったのだろう。

 先頃、”生まれる前に約束をしてきた魂”かもしれないと感じるほどの男性に出会ったのだが、男女として何も進展していないし、そうなるかどうかも分からない。かなり年下であるし連絡もあまりとっていない。イビサに住んでる人でもない。ただ、この広い世界の中で”彼”という存在を見つけただけでもスペシャルな事だと思えるし、物理的な距離は遠いのかもしれないが、彼が彼の人生のミッションを遂行していく様を心を寄せて見ていられる自分がいて、自分も彼のように志高くそして強く自分のミッションを遂行していこうと思える。もしも私の感覚が当たっているのなら、運命が二人を結び付けるだろうし、もしも当たってなければそれまでだと思っている。

 いずれにせよ、誰かを愛するというのはいいものだ。誰かを愛し、愛されると、人はフルパワーになり、ベストバージョンの自分になろうとするものだ。万人を分け隔てなく愛していたとしても、自分から愛の波動を世界に向けて発信出来ていたとしても、自分を一番に愛していたとしても、誰かと個人的な愛の関係を持つというのは特別だ。一緒に頑張れるというのはいいものだ。誰かと深く関わるということは加速度的に魂を進化させる。自分が進化すれば、周りも進化していくのだから、恋愛しない手はないんじゃないか。人間の存在の根源でもあり、”2人で”でしか味わえない人間を人間たらしめる”厄介かつ美しい”感情の数々を得て、自分を手懐ける術を学べる最強のツールでもある。行き着いた先の二人の愛は一人の時よりもさらに強く、真実の愛を放つことは世界の為でもあると思うからだ。何より”人生のアトラクション”を酸いも甘いも二人で、あるいは家族で楽しんだ方がいいじゃないか。

 だから勇気を持って、自分を許し癒し信じ、自分を愛し、誰かを愛し、誰かを許し癒し信じて、その自分の生きている証である”ありとあらゆる感情”を味わって、生きているその喜びと幸せを認識し感謝し生きていきたい。「悔いのないように生きる」なんて理想であって、後悔だってあったっていい。所詮、人間だから。いくらテクノロジーや科学を進化させようが、基本、人間なんて馬鹿なんである。間違えるんである。

 ここまで読んでくれた方々に感謝する。どうもありがとう。この手記は、私の体験に基づいた考え方だったり生き方だから万人には当てはまらないし、自分の生き方への答えはそれぞれが自分で導き出すしかなく、早かれ遅かれ膨大な情報量の中に紛れて記憶の彼方へと葬られるか、消えてゆくのだろうが、ここに込められた”愛”はきっと残っていくのだと信じている。だからそれは受け取ってほしい。そしてどうか「幸せである」ことを知っているあなたの心に気づいて欲しい。胸に手を当てて、深く呼吸し、目を閉じてじっと耳をすませ、あなたの中の心の愛を感じてみて欲しい。それは全ての人の中にあり、気づこうが気づくまいが放たれている。私達は愛そのものなのだ。そして全てと”ひとつ”になる日まで、この世の肉体を持つという儚い喜びを享受していこうではないか。

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