好意的な記事は 謹んでありがとう 勘違いが多くても それはお互いさまで 見えるものが全てじゃなく 公共の場ではね、説明も難しい 私信は書きません 一番、心に近いのは 「五里霧中」の熟語 否を論じません 大火傷を負うでしょ フォロワーさん大切だし
「『なんか良い』の『なんか』が大切」 例えば美しさ どう美しいかを言語化するのって難しい 説明できた時点で その言葉に価値が閉じ込められてしまう 気がする 移り変わる夕焼け空は その素晴らしさを説明し尽くせない 言語化できない空白の余地がある と思った方が人生は豊かになる
僕の歩く道が決まっていれば彼女は一緒に歩いてくれるのか?不思議なんだけどやっぱりやめますという話になり彼女にも考えがありますと相談されたりする。なんか中途半端な感じになるのは僕に自信がないからか?彼女から信頼されていなくて適当に扱われているのか?僕の言動がきっと許せないのだろう。