自分達で全部決めるというのは、 本当に責任が伴うものだなぁと感じる。 自由とはそういうもの。 人生に完全なる正解はないから、その時その時の自分の精一杯の答えしか出せないから、 それで良いんだよね。 何か不正解かなんて、後で自分がどう捉えるかによって違ってくるし」。
「ヒーローとは、自分の自由に伴う責任を理解している人のことだ (ボブ•ディラン) 大きな力を手に入れると それだけ大きな責任を伴う 映画スパイダーマンで描かれているのも このテーマ 自由は「自らに由る」と書く ブレない確固たる自分を確立して そこに責任が宿って初めて一人前
見たい人は見ればいい、見たくない人は見なければいい、推したい人は推せばいい、離れたい人、休みたい人は離れたり休んだらいい。見たい人に見るな、見たくない人に見ろと言ったりするのは違う。それは各人の自由であり判断であり、自分の「正義感」を押しつけたり、非難するのは如何なものかと憂う。
映画『正欲』を観て、「普通」とか最大公約数的な「しあわせ」とか今の時代だからこその「生きづらさ」とかいろいろ考えているうちに、先日観た舞台「1789-バスティーユの恋人たち」のテーマ「自由」「人間らしく生きる」がわたしの中でシナプス結合して書きたいことが徐々に固まってきた!(喜)
雑誌はもう2月号。 「家事に育児に仕事に副業」という同い年の母たち、アラフォーフレンドリー、都会的人生(少し主観)は読んでて心から楽しく、いつも落ち着くのは『VERY』。 都会を闊歩しておしゃれしている自分が半分。本業副業が半分半分。 それが私の今の「自由」なのかもしれません。