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政治と宗教の話はタブーなのか(タブーを超えて)

思想、信教は自由であり、憲法で保障されている。長い歴史の中で、わたしたちの先人たちが獲得してきた権利が「自由」である。

権利あるところに義務あり。

義務あるところに権利あり。

権利 + 義務 = 自由

義務 + 権利 = 自由

義務を果たすことが権利の前提であり、両者はセットである。権利と義務の中で「自由」が担保され、わたしたちは「自由」を享受(きょうじゅ)することができている。

言い換えると、あなたとわたしはイコール(平等)であり、「自由」とは、他者を侵害してはならないものである。他者を傷つけるとしたらそれは「自由」とは言えない。

あなたとわたし、わたしとあなたはイコール(平等)であるということが、すべての人間関係の基本であると考える。

政治や宗教の話はタブーとされているかもしれないが、タブーとすることは悪(あ)しき慣習ではないか。

タブーとすることで現実から目を背けてしまうことはないだろうか。

タブー、あるいは、シークレットにしてしまうことが、この問題の闇(やみ)を深くしていないだろうか。

オープンではなく、クローズドな(閉じられた)世界にいたら、考えも偏(かたよ)る危険性をはらんでいて、はたまた奇跡?神通力(じんつうりき)?という「まやかし」や霊感商法に惑(まど)わされて信じてしまうことが誰しもあるだろう。

この問題が難しいのは、奇跡や神通力というものが現実世界にあり、なかには本物、本当の奇跡、神がかった体験などという真実もある。リアルが存在するということだ。

証明はできないが見えない世界はあり、見えない御加護というものがあるというのは、わたしの現実体験としてある。

見えない世界があるならば、同じく悪しきもの魔(ま)?闇(やみ)?という誘惑もあり、それらも同じくこの世に存在するというのは間違いないだろう。

光(ひかり)と影(かげ)

光と闇

陽(よう)と陰(いん)

プラスとマイナス

北と南(N極とS極)

東と西

上と下

左と右

などなど

自然、宇宙の摂理(せつり)から類推(るいすい)すると、ものごとは表裏一体(ひょうりいったい)ではないか。

何が言いたいのかをまとめると、タブーを超えてオープンにすること。そうすることで、まずは他者の意見(考え)を知ることができるようになる。他者の意見(考え)がわかれば、自分の意見(考え)を検証できるのではないか。

本物(ほんもの)は本物であるから、もし偽物(にせもの)であったら複数の方(人)を騙(だま)すことはできない。また、偽物は一時(いっとき)は騙すことができたとしても、複数人を騙し続けることは絶対にできない。

歴史をみると、そのことがよくわかる。騙し続けることは絶対にできないのだ。

わたしたちはさまざまな情報にアクセスでき、インターネットのおかげで正しいことは正しい、悪いことは悪いと誰でも「声に出す」ことができるようになった。

その反面、誤(あやま)った情報、偽物(フェイク)もたくさんあり、世の中にはいろいろな情報があふれている。ではどうすれば良いのか。

何が正しいのか?本当に正しい情報か?この情報は事実か?などなど、一つの情報を鵜呑(うの)みにせず、少し冷静に情報と向き合うことをおすすめしたい。

注意すべきは、必ずしも大多数の意見(考え)や多数決が絶対ではないということだ。他者を傷つけてしまう選択をしてしまう可能性は大(おお)いにあるからだ。逆に、少数の意見(考え)であっても本当の正しさや真理(しんり)があることも大いにあるだろう。

また、権威、権力があったとしても、時には間違いをおかしてしまうことがあるのが人間である。大切なことは、

1 過去を反省し、同じ過(あやま)ちを繰り返さない。

2 勇気を持って、より良いものに変えて行く。

3 今、今日を大切に生き、毎日を積み重ねて 行く。

こういう考えもあるんだなあと、もし少しでも共感いただけたら大変に有りがたいことです。

わたしたち一人ひとりはいったい何ができるだろうか。

タブーを超えて、すべてオープンな世界になることがすべての始まりではないか。政治や宗教が他人事(ひとごと)から自分の話しとしてリアリティを感じることができてはじめて、それは現実の問題となる。問題の本質が見えてはじめて自分ごとの新しい世界(景色)が見えてくるのではないか。

自分のこととして、政治や宗教を考える人が増えることが、今、世の中で起きているさまざまな問題を解決する一助になるのではないか。

選挙の投票率が上がれば、政治は変わります。

自分ごとの意見(考え)を持ち、声に出して行くことが、まわりまわって伝播(でんぱ)して行く。思い、想い、言葉(ことば)にはチカラ(力)があり、時空を超える。

あなたは何のために生きていますか?

もし明日死んでしまうとしたら、何がしたいですか?伝えたいことはありますか?

ありがとう、ごめんね、好き、大好き、愛してるなどを伝えていますか?

わたしは「今」生きている、生かされているから、伝えられるときには「今、この瞬間」を大切に恥ずかしいときもあるけど素直に伝えるように努力しています。

死んでから後悔したくない。翔べると思って飛び降りてしまったけど、運?良く奇跡的に助かり生かされた。誠に幸いなことに人生のやり直しをさせていただいております。

ということで後悔するなら、今、言葉にして、あなたにわたしは伝えたい。

ご縁に心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

はじめての方も、いつもありがとうございますの方も、最後までお読みいただきありがとうございます。ご自愛くださいませ🍀

必要な方に届きますように。ありったけの愛を込めて


↑ YouTubeだと途中までですが、とっても素敵な歌です。よかったら聴いてください。なかなか深遠な歌詞ですよー。

しあわせはなるものでなく、気づくもの。

わたしが関わった、関わっている方にしあわせが訪れますように。グッドラック🍀





もしよろしければお気持ちを賜わりたく、何とぞお願い申し上げます🙏 御厚意に恥じぬように、これからも日夜、精進を続けてまいります。 ご縁に感謝申し上げます。ありがとうございます🙏 今後とも末永く、どうぞよろしくお願いいたします🙏 ご自愛くださいませ。グッドラック🍀