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雑多なものを置くことが出来る収納スペースを日常生活の場に計画しておくだけで片付けや整理収納が簡単になり綺麗をキープしやすくなるという事、間取り計画時から考える日常生活。

お疲れ様です。 ただいま休憩中です。 本日、前に受けた昇給試験の結果がでて、無事に合格しました。 長かった…。 これがどう活かせるか、自分次第だなと思います。 先がまだまだわからず、ぼんやり、ちょっとワクワクしています。 明日も、よき日でありますように。 それでは、また。

7か月前

静かな夜に、可愛い寝顔とアップルルイボスティー

7か月前

生活に必要なもの

【540/1096】暮らしを考える

暮らしが始まってからの事をどれくらいきちんと考えているのか?という事によって生活の状態は良くも悪くも変化します。間取りや仕上げ、機能性を考える際に暮らしやすさと同時に生活のシーンを念頭に。

働けなくなった今と、療養する覚悟。|23年の「働く」を振り返る。

NAS結論、ルーターを買う。/ASUS RT-AX59U/Canvio Desktop HD-TDA6U3-B/N

【イベントレポ】BESSのまちで交流!つながりが生まれる「梺ぐらし体験会」

やっぱ普通のNAS買おうかな。

家造りの打ち合わせ、新築の場合もリフォームの場合も暮らしの根底にある人生観をどのように間取りや暮らしに取り入れた設計としてデザインするべきか?オーダーメートの家造り、勿論それ以外の暮らしの価値観も。

日記:「やってみる」ができていた頃の私を思い出して。

何をしても無意味なんじゃないか。/思ったことを書いていく。

今年は“やってみる”年にする。

家電さえも自由に暮らす2023年

生きることは、息をすること。|22年の「働く」を振り返る。

もう少ししたら、また書けるようになりそう。そんな気配がする。 考えると言う事が、少しわかった気がする。 プロポ的なことを、していけそう。 ただ、毎日はできないと感じた。 そこが本質じゃない。 私の今の生活速度は、毎日書くような速さじゃない。 もっと、もっと、ゆっくりだと知った。

書くと決めたら書けなくなる。 息をするようにできることから始めるのが、ちょうどいい気がする。 毎日ツイートはできるのに、記事は書けない。呟くことと、語ることの差だろうか。 何かしたい、何者かになりたいなんて、焦って考えるものでもない。 明日の朝、クロックムッシュを作ってみたい。

公開するほどでもないものってどんなモノだろう。

服は作りたいけど、服屋になりたいわけじゃない。 飯は作りたいけど、飯屋になりたいわけじゃない。 珈琲だってそう。 珈琲は淹れていたいけど、珈琲屋になりたいわけじゃない。 喫茶の場は開きたいけど、喫茶店がやりたい、とは少し違う。カフェとも少し違う。 説明できない難しさがある。

書くことが、考えること。

公開は、応答を期待している。

小屋の中で空中散歩?栖ログM40実物レポートをお届けします!

作品ってなんだろう、作家ってなんだろう、そんな事も考えつつ、何かしら技術を身に着けたい、とも思いつつ。 社会の波に飲まれて溺れて、ようやく落ち着きを取り戻しつつある今日この頃。 「興味」というものが徐々に帰ってきて、少しづつ動けるようになってきて、書いたり、描いたりしたい気分に。

『家の見学』だけじゃない。もっと地域に根ざした場所へ。全国のBESSで、チャレンジ中!

若者に開く住宅展示場!?≪LOGWAY デジタルデトックスDAY≫

【イベントレポ】暮らしも生き方ももっと自由に。『クラシガエトーク』(後編)

洗い終わった器たち。|器から暮らしを考える_1|

+4

空と電信 /夕方の空は心地よいけれど、悩みは消してくれない。

【イベントレポ】移住とこれからの暮らしについて考える『クラシガエトーク』を開催しました!(前編)

BESSのまちを散策!「クラシガエ体験会」レポート

BESSユーザーAさんに聞く、二度目だからこその家づくりの極意と本音。

BESSユーザーにインタビュー!“自分軸”で生きるIさんに聞く「家と暮らしの楽しみ方」

カフェと生きる身体 bathronになるまで。(卒制記録・22.12/17追記)

世界の手料理とお味噌汁の話

手抜き料理こそ愛情たっぷり?こころのゆとりと食の関係

【1コマ】今の環境で。

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理想の暮らしとはなんぞや 【2021. 1.19 時点】

『#おうち時間』で変わったこと

イベント「おいしい珈琲、おいしいうつわ」について

美術とデザイン

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家を建てる際、家をリフォームする際に考えておきたいこれからの「モノゴト」の価値観、表面的な分かりやすさとは別物の暮らしの根底から考える大切な過ごす場所での意識。

今は、服も家も食べ物も完成品を買えばよくなった。 身の回りの、生活の基本品を作らないのが普通になっている。 それを、高度な文化・文明の賜物だと賞賛していいのか。 手を加えることができなくなると、作られた枠の中でしか身動きがとれなくなる。 私は、枠の崩し方を、学んでいきたい。

日々無心で書き続けて行く試み、のはじまり。

‪辞書を買おうか、などと考え始めた。 インターネットから引きこもる準備かも知れない。‬ ‪落ち着くには、流れて行かない有限の情報が必要なのだと思う。‬ ‪知るはネット。‬ ‪調べるはネットから紙。‬ ‪考えるは紙。‬ ‪深くなると近くなる。‬ ‪そうしたことがあるのかも。‬

投稿したらリアクションが気になってしまう、それがとっても嫌だ。 不快で仕方がない。 気になるという感情をどうやったら消せるのかがわからない。 けれど、伝えたい気持ちがあれば、嫌だという思いのほうが消える気がしている。 今の私に、伝えたいものがない、という事実が嫌なのかもしれない。

市場価値とか、モチベーションとか、そうしたどっかの社会からの圧力を受けないような生活を組み立てていきたい。 『暮らしのアナキズム』に書かれていた「国家がなくなっても暮らしはやめられない」の一行が頭から離れない。私は、あなたは今、誰のために、何をしているのだろうか。