セントマーチン

#一度は行きたいあの場所 ~その2~ カリブ海

#一度は行きたいあの場所 ~その2~ カリブ海

幼少期、ディズニーランドで必ず乗るアトラクションの1つに『カリブの海賊』があった。 時を経て、『カリブの海賊』は『パイレーツ・オブ・カリビアン』として爆発的人気映画となる。 #一度は行きたいあの場所 ~その2~ それは、【カリブ海】である。 中でも絶対行きたい! 飛行機好きで知らない人は居ない! 【セント・マーチン島】✈️ 離発着する飛行機が頭上間近を通過する風景は、映像で見ても圧巻!! これは何としても肉眼で拝み、五感フル動員で体感してみたい!!

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日本で飲めるラム・リキュールたち

日本で飲めるラム・リキュールたち

前回の記事(ラム酒とカシャッサの漬け込み酒)で触れた2ブランドのラムリキュールシリーズ。日本でも楽しむことができます。まず一つ目がこちら。 ラオスのラム「LAODI ラオディ」 東南アジア、インドシナ半島の内陸にある小国「ラオス」ニューヨーク・タイムズでは「世界で最も行きたい国」第1位に選ばれたことがあるそう。その地で日本人が「LAODI ラオディ」というラムを生産しています。 こちらがLAODI のラムリキュール(右の5本) それぞれ素材にこだわりがあり飲みごたえがあ

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サンマルタンの夕日を見つめながら、思いつくままの寓話#1

サンマルタンの夕日を見つめながら、思いつくままの寓話#1

ムカシムカシ、南海に土人たちが平和に暮らしている島がありました。 その島に、鷲鼻の男がやってきました。男は自分のことをボクシと言いました。 ボクシは土人たちの村の外れに住むと、とても美しい歌をオルガンを弾きながら唄いました。 そんな美しい歌を聞いたことのなかった土人たちは、皆がボクシの所を訪ねるようになりました。 ボクシは歌の前に、必ずお話をします。 それは、死後の世界の話です。これも土人たちは聞いたことのない話でした。 土人たちは、その話を村に帰ると知り合いにしました。

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カリブ海/象徴としてのサンマルタン島09-おわりに

カリブ海/象徴としてのサンマルタン島09-おわりに

1902年のペレ火山の大爆発で、サンマルタンのプランテーションは何れも致命的な被害を受けました。フランス政府からの援助を受けながら、何とか復興を果たしますが、これ以降大規模産業は、島から姿を消してしまいます。 その本国からの救済の経緯を見ていると、ハイチ・ドミニカ・キューバなどの独立国が、1950年代まで茨の道を歩んだことに比べ、無理やり独立するという道を選ばす、旧宗主国に留まったサンマルタンの判断は正しかったのかもしれないなと考えてしまいます。。 サンマルタンは1939年

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カリブ海/象徴としてのサンマルタン島08-カリブを揺るがしたフランス革命

カリブ海/象徴としてのサンマルタン島08-カリブを揺るがしたフランス革命

今回のサンマルタン島行きの目的は三つ。 ひとつは、結婚記念日のため。 ひとつは、旅客機マニアの家内のために、有名な超ニア離着陸の見物 そして僕の楽しみ、島の歴史博物館を訪ねることだった。 ホテルもレストランも平均点以上で満足、お願いしていた地元のドライバーも、そこそこ英語が話せて、毎朝ピックアップに来てくれると、行きたいと頼んだところへ適切に案内してくれる。ガイドはいらない。いつものように僕がする。 旅客機の離着陸はたしかに圧巻だった。近くにホテル経営のレストランが有って、此

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カリブ海/象徴としてのサンマルタン島07-奴隷自活用畑「Jardín a la Negro」

カリブ海/象徴としてのサンマルタン島07-奴隷自活用畑「Jardín a la Negro」

」フランス・ルイ14世は、先ずサトウキビ・プランテーションの労働者として、ノルマンディ・ガスコーニュ・ブルターニュなどの貧しい農民を集めて使用しました。しかしサトウキビの栽培・刈入れが炎天下での重労働ななことが知れ渡ると、本土からは誰も働きに行く者がいなくなってしまいました。こうしてフランスもまた、なし崩し的に黒人奴隷を使うようになってしまいます。 ここに「コード・ノアール」が登場します。「奴隷法」です。 奴隷法は、奴隷の取り扱いについて、最も最初に政令化された法律です。この

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カリブ海/象徴としてのサンマルタン島06-島を散策しながら温故する

カリブ海/象徴としてのサンマルタン島06-島を散策しながら温故する

セントマーチン島には、JFKからDELTAで入った。僕らの結婚記念日に充たるということで、娘二人も一緒に行くことになった。 ホテルはフレンチサイドに娘が予約した。 セントマーチン島はオランダ側とフランス側に別れている。JFKからの飛行機はオランダ側に着く。飛行場からはチャーターしてあったクルマで向かった。車上40分くらいだろうか。セントマーチンは意外に山深い。フレンチ・サイドに行くには山並みを抜けていくことになる。 道は細い。運転手に聞くと、ルートは限られていて道の数は少ない

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カリブ海/象徴としてのサンマルタン島05-1512年12月27日・ブルゴス法(奴隷禁止法)発令

カリブ海/象徴としてのサンマルタン島05-1512年12月27日・ブルゴス法(奴隷禁止法)発令

コロンブスの残虐性は同行した修道士たちも慄然とするものでした。彼らは黄金を手に入れるためには、なんでもした。黄金を持ってくるように命令されたアラワク族が少ししか持って帰らないと、見せしめに両手を切り落としたりした。あまりの非道ぶりです。修道士たちはこれを本土の教会に報告しました。 新大陸発見は、スペイン国にとって新領土の獲得で有って、そこに住む住人は当然キリスト教化されるべき人々です。レコンキスタの一環です。しかし、コロンブス・ピサロたちコンキスタドールたちは黄金を得ることが

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カリブ海/象徴としてのサンマルタン島04-奉ろわぬ者だけが生き残った

カリブ海/象徴としてのサンマルタン島04-奉ろわぬ者だけが生き残った

コロンブスは大西洋の西の奥に島嶼を発見した。しかしそこは予想していた黄金の島ではなかった。彼は、彼のスポンサーにまともな釈明できなかった。なので二回目の航海は、黄金を手に入れるため、大量の人間を連れて出帆している。サンマルタン島(セントマーチン島)は、そのときに発見した島だ。 ところが最初に発見したサンセバスチャン島に到着してみると(サンマルタン島ではない)前回の時に作っておいた城塞は焼き落ちて、残った部下たちは全員殺されていた。インディアンは従順なはずなのに? 「お前の家

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カリブ海/象徴としてのサンマルタン島03-"神の見えざる手"について

カリブ海/象徴としてのサンマルタン島03-"神の見えざる手"について

セントキッツ島のホテルで。ディナーをしながらした話の続きです。 僕は続けた。 「カリブの先住民が何故カリブの島々に渡ってきたはよくわかってない・・とさっき言ったろ?} 「ああ。」 「実はこんな説が有る。かなり有力な説だ。実は、アラワク族・タイノ族・ルカヤン族はカリブ族に追われて海に出たという説だ。 彼らが島に辿り着いたのは1200年頃だろうと云われてる。彼らはタロイモを育て、島の木の実を食べ、島の動物を食べていた。もちろんカリブの島々には、本土にいるような大型の動物はいない。

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