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カリブ海/象徴としてのサンマルタン島02-絶滅させられた先住民

セントマーチン島へ行ってみようと思ったのは、家内が旅客機マニアだかです。セントマーチン空港はジャンボが低空離着陸するのて有名な島です。何かの折にその話が出て、では行ってみようと云うことになったのです。
セントマーチンはJFKから直行便が有ります。DELTAです。これを利用することにしました。その話をNYCに暮らしている娘2人にすると「私たちも行く!」とのことで、時ならず家族旅行となってしまいました。
・・カリブを訪ねるのは暫くぶりでした。
前職をリタイアする直前にセントキッツ島を訪ねて以来です。10年近く経っている。
セントキッツ島は、ハイチ/ドミニカ共和国の東方セントクリストファー ネービス連邦にある島です。相変わらずサトウキビが主産業の島です。その時、島にあった歴史博物館を訪ねた。コロンブス侵略前の遺跡発掘物が見たからでした。しかし・・がっかりした。その歴史博物館は僕が望む切り口でカリブの歴史を見ていなかった。
それでも見て歩いたのですが、しまいに段々と不愉快になりました。「いかに我々が正しかったか。すべての原住民を強制労働と病で殺し尽くし、それても足りずに象牙海岸で買ってきた奴隷によって作り上げた富と栄華
が如何に素晴らしいものだったか!」そんな話の羅列だったからです。
案内してくれたガイド役の人間が良くなかったのかもしれない。僕が「ようするに、原住民と黒人奴隷の血と汗と涙で作り上げられて栄華だったんですね」というと・・彼は、はぁ?という顔をした。僕は、その時点で黙ってしまった。

なるほど。典型的なアメリカ人の意識の中には、欧州から渡って来た自分たちの祖先が、命がけで行った開拓精神について強い誇りがある。その地には既に先住民が暮らしていて、その地を奪うことが「開拓する」ことだったとは思っていない。んんん。同じなんですね。カリブはコロンブスが「発見」したものであって、そこに住んでいた先住民はヒトのウチに入っていないですね。
とても哀しい気持ちになりました。
余談ですが・・日本列島でも2000年ほど前に似たような外地からの侵略が有りました。しかしそれは先住民の殲滅までには至るっていません。

その夜、ディナーの時に歴史博物館を案内してくれた人が「マイクさんは先住民の歴史に興味があるのかい?」と聞いてきたので、少しだけこんな話をしました。
「カリブ海の島々にいた先住民は、主に4族、アラワク族・タイノ族・ルカヤン族とカリブ族だったんだよ。。いずれも海洋民族で漁労によって生活していた人々だ。
彼らがカリブの島々に渡ってきた経緯は、残念ながら詳細は分かっていないんだけどね。それでも出自が、ブラジル・アマゾン川流域であることは間違いないようなんだ。それはアラワク族・ルカヤン族・タイノ族は、島に住み着くとマンジョーカ(キャッサバ)の栽培を始めてるかにだ。マンジョーカはブラジル南西部の原生種だ。今でもブラジルで広範囲に栽培されている芋だよ。知ってるね?栽培は簡単で、茎を地中に挿すだけで発根、そのまま生育する。アラワク族・タイノ族は航海に出るときは、これをカヌーに乗せたんだ。
だから彼らの集落があった島には、必ず野生化したマンジョーカの群れがあるんだよ。先住民が゜いなくなった後もマンジョーカは残ったんだ」
僕が一気にそこまでしゃべると、彼は暫く口をポカンと開けたままにした。
「石器等出土物から見ると、アラワク族がカリブの島々に渡ったのは紀元一世紀ころと云われている。使用していた土器の形状から、彼らがオリノコ川(ベネズエラ)周辺から来たことは間違いないようだ。
オリノコ川の分流であるカシキアレ川はアマゾン川に繋がっている。アラワク族は、ここを下ってきたんだろうね。そして海へ出た。」
「そんな資料、博物館に有ったんですか?」
「あったよ。今度一人で行ったら、もう一度見てごらん。コロンブスたちは、その長い歴史と文化を持っていた先住民を殲滅してサトウキビ畑を作ったんだ。」
「でも・・そのことで島は栄えた。」
「先住民が人っ子一人いなくなった後で栄えた?誰が?誰のために?」
僕は微笑みながら言うと、彼は黙ってしまいました。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました