勝鬨美樹

1951年生まれです。ついに70の声をきく年になってしまいました。このnoteではワイ…

勝鬨美樹

1951年生まれです。ついに70の声をきく年になってしまいました。このnoteではワインを巡る歴史話。僕が子供の頃の東京下町のこと。青春時代に歩いた米軍キャンプとNYCの話。そして日々徒然に書き散らしたものなどを並べています。

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    60になって、今まで放置してきた嫁さんに感謝を込めて、旅歩きをするようになりました。でも結局は亭主の蘊蓄話に嫁さんを連れまわしたばかりの旅日記です。

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ポムローヌ03/サンテミリオン村歩き#33

葡萄畑の前に立つ「POMEROL GRAND VIN DE FRANCE」という看板の前で、M氏はクルマを停めた。 看板の下に小さくSAINT JACQUES de CONPOSTELLEとあった。僕は看板を指さした。 「ポムロールの前にマークが有るだろ?あれはマルタ騎士団のマークだ」 「ダヴィンチコードに出てきたアレ?」 「あれはテンプル騎士団。まあ似たようなもンだけど。テンプル騎士団/ドイツ騎士団/マルタ騎士団が有名だ。十字軍時代の護衛から始まったのが騎士団なんだが、マル

    • ポムローヌ02/サンテミリオン村歩き#32

      ポムローヌとリブリヌに有る主たるワイナリーを紹介したい。 ★★★Château Beauregard(73 Rue de Catusseau, 33500 Pomerol) http://www.chateau-beauregard.com/ Château Bel-Air(5 Chem. de la Cabanne, 33500 Pomerol) http://www.belair-beausejour.com/ ★Château Bellegrave(1 lieu-dit

      • ポムローヌ01/サンテミリオン村歩き#31

        リブリヌの町からポムローヌへ向かう国道はD244/モンタニュー通りという。D1089を越えたあたりから町の外になる。周囲は全て葡萄畑になった。 「ポムロームも葡萄畑を開墾したのはローマの退役軍人だった。開墾は紀元後すぐには始まっている。しかしそれも、西ローマ帝国の崩壊に重なって西ゴート人がこの地を占領したため次第に凋落し、荒廃していったんだ。再興したのはアキテーヌの時代になってからだ。聖ヨハネ修道院が、此処に治療院を興してからだ」 「治療院?」 「サンチャゴ巡礼パリルートを利

        • リブリヌ06/サンテミリオン村歩き#30

          町を離れてポムローヌ辺りまで出かけるのでVTCを予約した。ボルドーにあるchauffeur VTCのリブリヌ支局である。Chic Chauffeur La meilleure alternative taxi Chauffeur VTC Bordeaux/Libourne(125 Av. Gallieni, 33500 Libourne)+33626566649という。 https://chicchauffeur.com/ ボルドーでも何回か利用している会社の支局なので、ne

        ポムローヌ03/サンテミリオン村歩き#33

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        記事

          リブリヌ05/サンテミリオン村歩き#29

          ホテルで朝食を終えた後、町へ出た。ジャン・ジャック・ルソー通りからエティエンヌ・サヴァティニ通りRue Etienne Sabatiéを通って聖ヨハネ教会Église Saint-Jean-Baptiste de Libourneを訪ねた。 「ここはリブリヌでも最古の教会でね、5世紀ころにはもう有ったと言われてる。史料としてSaint-Jehan de Fozeraという名前が出てくるのは1134年だ。サンテミリオンに有った教会の分院だったようだ。まだ英国がリブリヌを交易港と

          リブリヌ05/サンテミリオン村歩き#29

          リブリヌ04/サンテミリオン村歩き#28

          夕食はホテルの近くにあるRestaurant Cosy Tourny(12 Cr Tourny, 33500 Libourne)に入った。 https://www.facebook.com/cosytournylibourne/?locale=tl_PH ワインは白でアントル・ド・メールEntre-Deux-Mersにした。 「Entre-Deux-Mersというのは、ふたつの潮の間という意味だ。二つの潮というのはガロンヌ川とドルドーニュ川に挟まれた楔形の部分な」 「Mers

          リブリヌ04/サンテミリオン村歩き#28

          リブリヌ03/サンテミリオン村歩き#27

          アベル=シュルシャン広場に面したLa Mie Câline(25 Pl. Abel Surchamp, 33500 Libourne)というファストフードの横を抜けてクレマン・トマ通りRue Clément Thomasへ出た。 「この道を真っ直ぐ進むとイエル川にぶつかる」 「内陸部から持ち出されるのに利用された川ね」 「ん。ペリグーPérigueuxまで繋がるロジスティックルートだ。リブリヌが貿易港として大きく育ったのは、このイエール川がドルドーニュ川とぶつかるところだった

          リブリヌ03/サンテミリオン村歩き#27

          リブリヌ02/サンテミリオン村歩き#26

          リブリヌのホテルはLa Maison Mulatô(42 Cr Tourny, 33500 Libourne)にした。 http://www.lamaisonmulato.com/ リブリヌ駅Gare de Libouneはボルドー駅から約40分程度、サンテミリオン駅の一つ手前だ。駅は大きい。ホテルまでは約600mくらい。D670まで出て、あとは直進だから迷わずに辿り着ける。La Maison Mulatôは19世紀に建てられた邸宅を改装し所で、いくつかの部屋を提供している。

          リブリヌ02/サンテミリオン村歩き#26

          リブリヌ01/サンテミリオン村歩き#25

          https://www.youtube.com/watch?v=UGuLRCcIsWY&t=1065s サンテミリオン村郊外西側のワイナリーを歩くのにChâteau Hôtel Grand Barrail(ROUTE DE LIBOURNE, D243, 33330 Saint-Émilion)を起点にしたとき、もう一歩先のポムローヌまでを散策地として考えたが、徒歩で歩くにはシンどいので流石に諦めた。 http://www.grand-barrail.com/ ポムロールは

          リブリヌ01/サンテミリオン村歩き#25

          聖地サンチャゴ/サンテミリオン村歩き#24

          「サン=ジャン=ピエ=ド=ポーSaint-Jean-Pied-de-Portって、バイヨンヌへ行ったときに列車で訪ねた村よね」 「ん。あそこがサンチャゴ巡礼パリルート・フランス側のフランス最後の宿場だ。あそこからピレーネ山脈を越える」 「韓国人の巡礼者がいっぱいたわよね」 「ん。険しい道だから若い人じゃないと難しい」 「なるほどね、列車から見えた川に沿って細い山道が有ったわよね。巡礼者の姿が幾つも見えたわ。村の中にも途中の道にもホタテ貝を象ったプレートが色々なところにあったわ

          聖地サンチャゴ/サンテミリオン村歩き#24

          城壁の外を散策する03/サンテミリオン村歩き#23

          Av. de Verdunを行くと円形の五差路にぶつかる。D122とD243が通っている交差点だ。北側に33-Gironde 304lineのバス停Bourgが有る。 「ここのバス停で一度だけ降りたこと有るわね」 「ん。いつものボルドーバス乗り場からだ。リブリヌの抜けて1時間20分くらいかかった」 「普通の市バスだったから、村の間を抜けて葡萄畑を抜けて。楽しかったわ」 「そうだな。サンテミリオン行のバスは駅前と此処と二つある。村を抜けていくバス小旅行は良いもんだ」 「でも、一

          城壁の外を散策する03/サンテミリオン村歩き#23

          城壁の外を散策する02/サンテミリオン村歩き#22

          急坂の小道を1945年5月8日通りへ抜けた。 「ここがサンテミリオン村の外周を走る道だ。左へ行くよ。ペジュ通りを歩く、戻る感じになるんだがな、ウルスリン修道院跡Couvent des Ursulines(Unnamed Road, 33330, 33330 Saint-Émilion)へ寄りたいんだ。ウルスリン修道院も同じくサンテミリオン村を囲む城壁の外にあったんだ。左側だ。今は崩れかけけ廃墟になってるが」 「今日は中世の廃墟歩きね。教会も修道院も、アキテーヌの人たちは大事に

          城壁の外を散策する02/サンテミリオン村歩き#22

          城壁の外を散策する/サンテミリオン村歩き#21

          https://www.youtube.com/watch?v=ipokFxqQbg4 アントル・ドゥー・ヴェールAntre Deux Verres(Rue de la Prte Sainte-Marie, 33330 Saint-Émilion)を出た後に王の塔La Tour du Royを左に見ながら歩いた。 「なるほどねぇ、王の塔ではなかったのね」 「ん、城壁に取り付けられた監視塔というのが事実だったようだ」 僕らはLa Tour du Royの横にある幾つも曲がった

          城壁の外を散策する/サンテミリオン村歩き#21

          古名アスカンバス/サンテミリオン村歩き#20

          「西暦300年ころからローマでキリスト教が国教化すると、当時属州最大級になっていたボルドーへ、キリスト教徒たちは精力的に布教活動を行った。幾つもの教会/修道院がこの時期に出来上がっている」 「ああそういえばボルドー博物館にたくさん当時のものが飾られていたわね。でも教会はシャンパニュー地方みたいに多くなかったような気がするけど」 「ローマは西ゴート王国にボルドーを奪われているからな。その時代に壊されたものが多い。それもあるが、当時建立された教会/修道院はジロンド川左岸に多かった

          古名アスカンバス/サンテミリオン村歩き#20

          王の天守閣/サンテミリオン村歩き#19

          https://www.youtube.com/watch?v=tiPM_ZO8nFs 「聖エミリオが暮らした洞窟を、大幅に改装改築拡張したのがオーブテール子爵ピエール・ド・カスティヨンPierre de Castillonだ」 「ふうん。・・でも、なぜカスティヨンはサンテミリオンをサンチャゴへの中継点にしたいと思ったの」 「自領の中に聖地を持つというのは、とても大きなステータスだったんだよ。聖エミリオが死んで300年、既に地元では聖地として取り扱われていたが、彼はこれをグ

          王の天守閣/サンテミリオン村歩き#19

          聖エミリオの奇跡/サンテミリオン村歩き#18

          https://www.youtube.com/watch?v=h15uFdZmTZo&t=34s ブルネ門から村へ向かってポルトブルネ通りを歩いた。雨は続いたまま。人通りはない。大きな雨粒がブルネ門の石壁を叩いていた。 「車の通行も、ほとんどないのね」嫁さんが言った。 「よほどのことがない限り、車は村の外環道を使うんだろうな」 ポルト門の向うは五差路なっていて、村の交通手段として機能している・・という感じだった。 僕らは撮影をした後、そのままランチをしたMaison de

          聖エミリオの奇跡/サンテミリオン村歩き#18