マガジンのカバー画像

僕の青春/僕のベトナム戦争/マンハッタン

66
運営しているクリエイター

記事一覧

LAST FRIGHT OF SAIGON追加分/取り上げられた資産はどこへ消えたか?

LAST FRIGHT OF SAIGON追加分/取り上げられた資産はどこへ消えたか?

LAST FRIGHT OF SAIGONのなかで、南ベトナム政府が保持していた16tの金塊を手土産にして中央銀行総裁に納まった「南側の数少ないベトナム戦争勝ち組」の男。グエン・バン・ハオNguyen Van Haoの話を書いた。あの戦争ではコンサンの残虐性を恐れた殆どの指導者が敗戦直前に雪崩れるように海外逃亡を図ったが(しなかった者できなかった者は全て思想教育という名の強制収容所へ送られた)ハオ

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#20/長いクロージングテロップ#02

LAST FRIGHT OF SAIGON#20/長いクロージングテロップ#02

はじめはおずおずと。少しずつ羽を広げて。しまいには大胆に。僕は街を彷徨った。そして僕はニューヨークが大好きになった。
ニューヨークを「人種の坩堝」だという人がいる。嘘だ。坩堝ではない。絶対に溶け合ったりはししない。ニューヨークは「人種のサラダボール」だ。
人参は人参のまま。胡瓜は胡瓜のまま。パセリはパセリのまま。ある。決して溶け合うことはない。常に自己を持ち、その自己の超過多構造がニューヨークとい

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#19/長いクロージングテロップ

LAST FRIGHT OF SAIGON#19/長いクロージングテロップ

バーガーインは、六本木を飯倉の方へ歩くと、細いT字路の角にある。そのT字路は少し坂で、すぐに崖になってしまう。バーガーインは朝までやってる。だから遅い時間はバンドマンの溜まり場になっていた。仕事帰りに此処によって食事をして、だんだん集まってくる仲間たちと仕事の情報を交換して、一日を終える。
僕も殆んど毎夜、此処にタムロしていた。別に仕事が欲しかったわけじゃない。還る場所が・・帰りたい場所がなかった

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#18/オペレーション・フリークエント・ウィンド#02~サイゴン、恐怖のおわりに

LAST FRIGHT OF SAIGON#18/オペレーション・フリークエント・ウィンド#02~サイゴン、恐怖のおわりに

オペレーション・フリークエント・ウィンドは4月30日で終わったが、オペレーション・ニューライフは、ベトナムの外でその日から再開した。タイへフィリピンへグアムへ避難した人々の難民化をどう防ぐか?彼らをどう何処へ運ぶか?これが大きなテーマになった。

最終的な受け入れ先の主幹はもちろんアメリカ国内だが、ほかの国にも可能な限りの負担をフォードは要請した。しかし事態は思わしくなかった。5万人の避難者をどう

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#17/オペレーション・フリークエント・ウィンド

LAST FRIGHT OF SAIGON#17/オペレーション・フリークエント・ウィンド

4月27日からサイゴン市内へのロケット弾攻撃が本格化した。無差別攻撃だった。この攻撃で5000人の無辜の人々が死んでいる。人々は逃げまどった。しかし四方は共産党軍に囲まれていたので陸路での避難は不可能だった。パニックに襲われた人々は、アメリカ大使館の周囲へ。タンソンニャット空軍基地へ集まった。また港は小さなゴムボートやカヤックで海へ逃げる者で溢れかえった。"解放者"を標榜し"民の味方"である共産党

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#16/オぺーレション・ベビーリフト#02

LAST FRIGHT OF SAIGON#16/オぺーレション・ベビーリフト#02

4月3日、オベーレション・ベビーリフトの話をEMクラブのカウンターで聞いた。ベトナムの孤児を救うという話だ。僕は何とも舌触りの悪いものを感じた。アメリカ人らしい善意だ。この"らしさ”がどんな結果を生み出すのか?なんとも言えない印象を得た。

そして翌日の夕方、4時すぎだったろうか、第一便の空中爆発である。そのことはすぐさま基地中に知れ渡った。全員がラジオの前に釘付けになった。管制局からもすぐに詳細

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#15/U-TAPAO

LAST FRIGHT OF SAIGON#15/U-TAPAO

U-TAPAOの東に、充分徒歩圏内にWat Khlong Saiがあった。清楚な寺院だ。土地の以外は訪ねることはないところだった。特に上から下まで米軍管制の服を着た男が訪ねることは稀有だったと思う。言葉も通じない。しかし何回か近在を散策するときに寄っていたら、若い僧侶たちが僕のことを見知ってくれた。そして微笑みで迎えてくれるようになった。彼らは僕が注意される前に靴を脱いだことに驚いたようだ。きっと

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#14/オペレーションニューライフ

LAST FRIGHT OF SAIGON#14/オペレーションニューライフ

オペレーション・ベビーリフトと共に実行されたのがオペレーションニューライフOperation NewLifeである。これは南ベトナムから避難を望む人々のための作戦だった。この作戦は大っぴらには言えなかった。南ベトナム政府は海外への避難を禁じていたからだ。

https://drive.google.com/file/d/101Qde8xsmxrSQdP3JYMIx9H6fCjXSwOa/view?

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#13/オペレーション・ベイビーリフト

LAST FRIGHT OF SAIGON#13/オペレーション・ベイビーリフト

フォードは機を見るに敏な男だ。彼が1975年4月3日、カリフォルニア州サンディエゴでの記者会見でオペレーション・ベイビーリフトOperation Babyliftの名前を出した。

73年より始まったアメリカ軍の撤収を受けて、ベトナムは共産軍によって急速に蚕食されていた。南ベトナム政府はそれを防げることができなかった。人々は難民化し、何万人も国外へ逃亡、無数の悲劇が起きていた。南ベトナム政府は、国

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#12/サイゴン陥落

LAST FRIGHT OF SAIGON#12/サイゴン陥落

1974年8月9日、リチャード・ニクソンの大統領辞任を受けて、副大統領だったジェラルドRフォードが大統領に昇格した。ちなみにフォード大統領は76年の大統領選では敗れた。アメリカ史上ただ一人の選挙で選ばれないで大統領を務めた男だ。そのフォードが、ニクソンの後を継いでベトナム戦争を背負った。つまり前述の北の(ソ連の)ベトナムにおける覇権戦略を漫然と為すがままに黙認したのはニクソンではなくフォードだった

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#11/迫りくる共産軍

LAST FRIGHT OF SAIGON#11/迫りくる共産軍

"防共"という綺麗事と、武器の"在庫整理"という我欲が絡まってのベトナム内乱への参与は、結果としてドルの兌換性を揺るがすまでの戦費の濫費へ、アメリカを追い込んでしまった。ニクソンはドルの金への交換を拒否。アメリカの経済を守った。だからと云って樽の底に開いた穴(ベトナム)を塞がなければ、早晩破綻に陥るのは目に見えていた。
そのオイエの事情をソ連/共産党側は正鵠に把握していた。
ベトナムからアメリカ軍

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#10/逃げる者・うまく立ち回る者・翻弄される者

LAST FRIGHT OF SAIGON#10/逃げる者・うまく立ち回る者・翻弄される者

いま振り返って考えてみると・・やはり1972年3月30日の「イースター攻勢」が大きな曲がり角だったように思う。このときからベンハイBen Hai川は非武装ラインDMZとして機能しなくなったからだ。
省廣治クアンチは南シナ海沿岸ハンジャン川右岸に位置する古都だ。南へ降りると古都フエがある。アイラオ峠を通ってハノイとサイゴンをつなぐ街道だったため古くから宿として栄えた町だった。越南・阮王朝所縁の地でも

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#09/銃後のソウル梨泰院

LAST FRIGHT OF SAIGON#09/銃後のソウル梨泰院

1974年8月9日未明。僕は韓国・龍山にある米軍基地にいた。
龍山基地は元々日本軍の駐屯地だった。ソウルに隣接する広大な米軍基地である。その朝、僕はその下士官クラブEMにあるピアノの前に座っていた。仕事ではない。時間つぶしにピアノを弾いていたんだ。
このEMは、龍山基地に幾つかあったクラブの中でも一番広い施設だった。カウンターの上に、当時はまだ珍しかった大きなテレビが設置されている。まだ夜明け前だ

もっとみる
LAST FRIGHT OF SAIGON#08/ニクソンドクトリン

LAST FRIGHT OF SAIGON#08/ニクソンドクトリン

和平交渉は続けても、戦争は終わらなかった。
明らかにアメリカ内部に戦争が終わらないことを望む勢力があったのだ。
戦争で儲ける人々は厳然として存在する。そしてそんな人々は政府決定機関に隠然としたチカラを持っているのも事実だ。いまウクライナ戦争を煽っている輩(TV新聞を含め)も、それで膨大な利益を得ていることを忘れてはならない。

1969年1月20日、僅差でリチャード・ニクソンが大統領に就任した。同

もっとみる