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象徴としてのサンマルタン島/カリブを揺るがしたフランス革命

今回のサンマルタン島行きの目的は三つ。
ひとつは、結婚記念日のため。
ひとつは、旅客機マニアの家内のために、有名な超ニア離着陸の見物
そして僕の楽しみ、島の歴史博物館を訪ねることだった。
ホテルもレストランも平均点以上で満足、お願いしていた地元のドライバーも、そこそこ英語が話せて、毎朝ピックアップに来てくれると、行きたいと頼んだところへ適切に案内してくれる。ガイドはいらない。いつものように僕がする。
旅客機の離着陸はたしかに圧巻だった。近くにホテル経営のレストランが有って、此処を拠点にした。僕的には30分で飽きたけど家内は一日中喜んでいた。
そして、博物館。期待していたより小さかった。でも内容は充実している。充分楽しめた。そこの展示物を見ながらしゃべった。
「カリブ、小アンティル諸島の島々は、何れもヨーロッパ側の抗争の趨勢によって、支配者がクルクルと変わったんだ。やってるのは全てサトウキビ・プランテーションだったけどな。持ち主は、フランスだったりオランダだったりイギリスだったりスペインだったりした。
でも、このサンマルタン島は例外でね、長くフランス領のままだったんだわ。それなので周辺の島の人々は、サンマルタンの人々を「フレンチ」と呼んでいたそうだ。実は今でもそうなんだ。この島は、カリブじゃ一番フランスの香りがする島だ。」
「だから、朝食はバケットなの!?」嫁さんが言った。

今朝、早い時間にみんなで散歩に出たら、前から真っ黒なおじさんがバケットを抱えて歩いて来た。びっくりした嫁さんが「それどこで買ったの?」と声かけたら。もちろん言葉は判らなったけど、手まねきしてくれてパン屋さんに連れて行ってくれたのだ。
其処はホントに普通にフランスの田舎に有りそうなパン屋さんで、ちゃんと人揃えフレンチなパンが売っていて、そのうえイートインが出来たのである。びっくりした。

「昨日話した二グロ法、憶えているだろ?フランスは奴隷を使用することにあまり乗り気じゃなかった。バチカンは、公式に”黒人は牛馬と同じである。神が人に与えてくれた人に奉仕する生き物である。あれは人間ではない"と宣言してたけどね。プロテスタントは、そんなバチカンのキナ臭い言い分をホントかよ?と思っていたんだ。どう見たって四肢は自分たちと同じだしね、言葉も教えれば普通に話す。牛馬に仕事仕込んだって言葉は話さないからな。しかしサトウキビ・プランテーションは重要な産業だしね。安価な労働力は必須だった。だからこの島のプランテーションは、オランダ人が関与していたんだ。良心にヤマシイことは、オランダ人にやってもらってたわけ。」
「ずいぶん、都合のいい話ね。」
「ははは。ホントだ。しかし、そんなオランダ人たちが力をつけててくると、島は分断されてしまうんだ。プランテーションが幾つも有った西側はオランダ・サイド。東はフランス・サイドってね。いまでもそのままだよ。」

ところが・・フランス本土に大激震が走る。フランス革命である。1789年です。
この本土で起きた革命に呼応して、10月に植民地協議会・教区市議会がサンマルタン島でも結成された。白人たちは、この島でも利権によって王党派と共和党側に分かれてしまう。
前者はプランテーションの所有者を中心とする「グラン・ブラン」と呼ばれていた上層階級の人々。後者はプランテーションで働くプティ・ブランと呼ばれる労働者たちである。同時にこれは、前者が奴隷制度擁護派。後者が奴隷制度反対派に分かれることでもあり、プランテーション存続にまで関わる重大な対立に発展してしまう。
本土で「ロベスピエール効果」と云われる制度改革が起きていることは両派とも知っていたからだ。

「ロベスピエール効果ってぇのは、要するに貴族・教会が所有している土地を彼らから取り上げ(ギロチンにかけて)それを小作人へ均等に分配するという制度改革だよ。しかし革命政府はあまり長持ちはなかったからね。それほどフランス全土に吹き荒れた嵐でもなかった。ブルゴーニュは酷かったけどね、ボルドーはそうでもなかった。
サンマルタンでは「グラン・ブラン」と「プティ・ブラン」は対立した。」
「戦争になったの?」
「抗争は有ったが、全面戦争にはならなかった。ところが「プティ・ブラン」の主張がクレオールたちに感染したんだ。」
「クレオールって、ニューオルリンズにいた人たち?」
「クレオールは白人と黒人が混血した人たちのことだ。カリブの島々にもいっぱいいる。彼らとの間が一触即発の対立関係になってしまったんだ。サトウキビは革命政府にとっても重要な財源だったからな。対立を納めるために1792年、フランス立法協議会がクレオールにも白人と同じ市民権を与えると決定。これが却って火に油を注いだ。島内の緊張を一気に爆発させてしまった。革命!の火の手が全島で上がったんだ。
多勢に無勢だったグラン・ブラン(王党派)は、すぐさまイギリス側に内通した。」
「フランス政府じゃなくて?王党派でしょ?」
「ははは。王党派だから・・だよ。この内通を利用してイギリス軍が侵攻したのは1794年。あっという間に共和党側を叩き潰してしまったんだよ。だから1802年からは、サンマルタン島はイギリス領になった。」
「なんかドロドロした話ね。」
「ん・たしかにな・・勢いを取り返したグラン・ブラン(王党派)は再度大量な奴隷をアフリカ西海岸/象牙海岸で買って、意気揚々とイギリスの庇護下でプランテーションを再開した。・・でもね。プランテーション・ビジネスそのものが、実は既に慢性的な経営不振に陥ってきてたんだ。プランテーション・ビジネスは幾つかの要素が絶妙に絡み合って動的な平衡の上に成り立っているビジネスだからね、どこかに機能不全が出はじめると次第に全体の調和が狂い始める。人間の身体と一緒さ。
イギリスはね、勢いで分捕ってはみた。そしてそのまま王党派にやらせてみた。しかし、なんてこった!まったく儲からないビジネスじゃねぇか・・ということだ。呆れかえったイギリスは、急速にサンマルタン島(プランテーション・ビジネス)に興味を失って・・1802年。グラン・ブラン王党派と協議して、自分たちは全面撤収。再度、サンマルタン島をフランスへ返却してるんだ。」
「ずいぶんいい加減ね。」
「儲からないって分かったことは、見栄張っていつまでもやらない。いい判断だよ。
当時、フランスはナポレオンが台頭し、一部アンシャン・レジームが再機能し始めてた時だ。だからサンマルタンのグラン・ペケにも、お金を出そうという連中がフランス国内から出たんだ。イギリスに見限られたけど、ナポレオンとナポレオンにくっ付いていた金持ちたちに助けられたという感じだな。」
「クレオールたちは?」
「クレオールたちと、白人プティ・ペケたちは、生活圏も仕事も殆ど変わらなくなっていた。もう奴隷じゃなかったからね。彼らは共存し、次第に交ざり合わさっていったんだ。グラン・ペケも彼らを奴隷ではなく、労務者として雇用するようになった。100年と言う時間をかけて、事態は穏やかに収斂するように見えた・・」
「見えた?? しなかったの??」
「1902年。サンマルタン島最大の火山ペレが大爆発するんだ。
島は全て壊滅してしまう。なにもかも・・」
「あらら」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました