10月26日。16回目の抗がん剤投与日。頭痛に加え、異常なまでの混雑。
10月8日。頭頚部MRIと放射線科へ6か月フォロー検診。放射線は問診だけだが大きな後遺症も見られず概ね順調に回復しているとのこと。投与終了後について質問したところ、イミフィンジは+α的な役割なので終了して再発はないとのこと。5年再発なければ完治といえるらしい。
10月12日。15回目の抗がん剤投与。前半が終わり、折り返し地点に立った。先日のMRIの結果、血管に異常は見られないとのこと。引き続き服薬で調整するしかないとのこと。主治医に先日のフォロー診断で聞いた5年完治の話をすると「5年は長いですよ」と。
9月14日。13回目の抗がん剤投与。ネガティブな発想を払拭したい。体に悪影響を与えていることは、自分が一番わかる。
5月5日。右背筋から肩甲骨の痛みが治まらず整骨院へ。痛みは常に移動し続け、現在は右脇の下にピンポイントで打撲痛。合わせてみぞおちの表面にヒリヒリと服が触れるだけで痛みが走る。整体師曰く、猫背と運動不足からくる肋間神経痛らしい。
この年末年始は5日間実家で過ごした。母親とゆっくり会話をすることができたと思う。世界三大珍味を食べたことないらしい。😊今度フランス料理を食べに行こう。心臓、肺が突っ張る。鈍い痛みも気になる。できれば、母より先に逝きたい。
11月9日。17回目は午後からの抗がん剤投与。すでに病院が心の拠り所になってしまった。あと半年、このルーティンが終わったとき、自分の存在理由は何になるのだろう。
14回目の抗がん剤投与。今回は激しい頭痛が続く。抗がん剤を入れてるからなのか、いろいろなことを考える。
8月31日。12回目の抗がん剤投与。今日は生体検査から。頭痛は相変わらず治まる気配ない。
8月17日。11回目の抗がん剤投与。今回は診察から。気持ちが楽になる。とは言え、ここ一週間くらいの頭痛と耳の奥の痛み、軟便が気になる。
6月22日。7回目の抗がん剤投与。抗がん剤を投与されている時間だけが自分の存在を感じられる。
6月8日。6回目の抗がん剤投与。いつものように診察室に向かうと中から談笑している気配。T 先生がドアを開けて迎え入れてくれると看護師さんと2人で爆笑。先日の入院らしい。酔っ払って?自爆?元気でよかったと声をかけてくれ大笑いが続いた。ところで血液検査はまったく問題なしとのこと。
5月11日。抗がん剤投与4回目。GW後で採血は2時間待ち。診察は16時を回ってしまった。早速体の表面に激痛が走ることを伝えると、放射線の影響だと思うが原因不明とのこと。以前整形外科で処方された痛み止めで様子を見ることになった。
5月9日。みぞおちの痛みは今や風が吹くだけで皮膚に激痛が走る。帯状疱疹の症状に似ているらしいが発疹がなく、原因がつかめない。11日の投与時に伝えなければ。
最後に、3月19日が放射線化学療法の治癒度MAXとした場合、今はどういう状態なのか。→当時よりも放射線の効果が進んでいるはずなのでさらに抑制できているらしい。但し必ずイミフィンジが効き続ける保証はないので、7月くらいにPET-CTで再確認が必要。その後も半年程度で検査は必要。
遺伝子検査とゲノム医療について。気管支鏡検査の時にがん遺伝子検査には出しているとのこと。つまりその時点では自分に合った治療薬がなかったということか。今後は良くも悪くも未定とのこと。現時点で言えることは、イミフィンジが自分にベターな薬ということ。
足のムズムズ感は副作用と言えなくもないが、あまり深刻にならず様子見。まったく眠れないなどの場合は処方あり。手術については、放射線照射が臓器の耐えられるギリギリまで強いものなのでリスク高い。また、手術は一見キレイだが転移した場合に対処できないから抗がん剤の方が効率良く一般的。
4月27日。3回目の抗がん剤投与。白血球の数値は順調に回復し正常値を記録。怪しい影もなし。一週間前からの風邪の症状と足のムズムズ感を伝え、手術の可能性、遺伝子検査とゲノム医療について質問。まずは風邪について。特に気にする必要はなく、市販の風邪薬でも問題ないが今回処方してもらう。
4月19日。急に温かくなった。昼間からビールを飲み、Tシャツで出歩いていたので風邪をひいてしまったようだ。市販の風邪薬は飲んでいいのだろうか。そもそもビールでかなり酔っぱらってしまう。
4月18日。癌先進国であるアメリカでは癌ゲノム治療、免疫療法が盛んで生存率も顕著に上昇している。日本はまだ認可されていないらしい。次回の通院時にゲノム治療について質問してみよう。あわせて、癌が小さくなった場合に手術という選択肢はないのか聞いてみたい。
4月14日。改めて肺癌であることに恐怖を感じる日々。無意識に肺癌について調べてしまう習慣。ふと、今までは素通りしていたゲノム治療に目が止まった。順天堂病院はゲノム治療ができる数少ない病院らしく、入院中もポスターを見た記憶はあるが、遺伝的な治療だと思い気にも留めていなかった。
昔味わった感覚を思い出すことはこれだけでない。元来自分の中にあった都会へのコンプレックス、恥ずかしい発言や行動などを延々と後悔する思考と、時代を先取っていたような、カルチャーの中心にいると思っていたころを美化して比較してネガティブになる。
4月13日。2回目のイミフィンジ投与は初めての通院によるもの。前回投与後に足のムズムズ、イライラ感があったが今回は投与中から嫌悪感があり、ちょっとでも気を抜くと精神的に落ちそうになった。この時に決まってムズムズ感が現れる。この感覚、小学生のころ寝てるときに味わったものと一緒だ。
あるブログでは、ご主人が告知を受けてからおよそ2年弱、イミフィンジ投与が終わって数か月後に息を引き取った様子がつづられていた。またある薬剤師のブログではイミフィンジについて詳細に説明がされており、5年以上長期生存率は5~6割との論文発表があった。
3月28日。昨日はあまり気にも留めなかったが、ふと副作用について知りたくなった。Google検索すると色々出てきたがどれも信ぴょう性に欠ける。ただひとつだけ気になったのは、イミフィンジ投与中は劇的に症状が緩和するが、1年が限度のためそれ以降に転移や再発することがあるようだ。
何事もなく1時間ほどで点滴は終了。主治医もこのまま何もなければ火曜日に退院と軽く告げられた。そういえば朝、研修医2人と担当医とも3月でいなくなるらしい。「異動ですか?」「いえ、わたしたち(研修医)は別の病院へ、担当医はがん専門病院へ」とのこと。こんな重要なことが初耳だった。