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One scene of my youth 恋とか愛とかまだ分からないけど

思えば、彼はよく気がつく人だった。

また、彼は大雑把に見えて、実は真に細やかな人でもあった。

そして、そばにいる人に安心感を与え、欲しいときに欲しい言葉をくれる人でもあった。

そのくせ、私のためにならない優しさは、決して与えなかった。

溶けるほどの愛情を注ぎながらも時には、苦しい表情で突き放す。

時折見せるそんな大人びた表情が嫌いで、そして何よりも尊く感じた。

馴れ合いに走らない彼の心は、洗練され、澄みきっていたと思う。

それが、彼を人として信頼した理由だった。

付き合っていくうちに気づいたことであるが、彼の気取らない性格や底抜けの明るさ、そして笑顔までもが、生来彼に備わった繊細な思慮深さから生みだされるものであった気がした。

相手が気を遣わないように、気を遣う人。

どこまでいっても裏表がないように思われ、その割に自分の話はあまりしない。

あの時一体、何を思っていたの?

彼がただ1度、私の前で弱みを見せてくれたことの価値を、意味を、どうにもならなくなってしまった今になって、私は問い直したりするのだった。

逆立ちしたって彼に敵わないような気がしていたはずなのに、それを隠して強がっていた空虚な自分を時折思い出す。

そして、そんな私の虚栄心に付き合ってくれた彼の寛大さも、また同時に思い出すのである。


かつて私は、彼が好意を持ってくれた私と本来の私の間に横たわるギャップを恐れていた。

友人相手に見せていた気楽な顔は、ある意味で私の一面でしかなかった。

そして、私が友達としてみなしていた彼もまた、そんな私を好きになってくれたようだった。

しかし、心を許した相手には、自分のことをなんでも聞いて欲しいと思ってしまうようなネガティブな暗さもまた、私の一面だった。

相手を特別に思うほど、今まで通りには接することができなくなる。

離れられるのが恐くなり、優しさを搾取するように甘えてしまう。

けれど、いつ離れられても傷つかないように、どこか距離をとり続ける。

大切な存在になるほど、うまくいかなくなってしまう。

そんなことが、性別問わず私の人間関係では度々あった気がする。

なんとも思っていない相手の方が、うまく関わっていける。

そんな残念なこともまた、真理ではないだろうか。



少し切った前髪も、爪に纏った薄桃色のネイルも、何気なく呟いた一言でさえも、彼は当たり前のように見つけては大げさに表情を変え、私のよこしまな承認欲求を満たしてくれたのだった。

あれだけ躊躇なくまっすぐな目で褒めてくれる異性を、私はそれまで知らなかった。

彼のなかの純粋さが時に眩しく、自分にないものをもっている彼といることが時に苦しくもあった。

彼の前ではどうも私は子どもであった。試すような言葉も時に放った。

傷つけてしまったか確かめるような、どこまでなら許されるか、そんな幼稚な態度だった。

そして、許される度に安堵していた。気がする。

依存してしまうことへの躊躇、自分の中でのアラートだったのかもしれない。

笑ってくれた彼が、どんな思いでいたのか、今なら想像することができる。

不誠実。

その一言が、自分にふさわしい言葉だった。

かえって嫌われてしまったほうが楽だとどこかで感じ、またどこかで、この優しさをずっと向けられることも欲した。

どんな風に接するのが正しいのか分からず、手を掴む勇気もなく離す勇気もなく、彼の小指だけを堅く握りしめているような日々だった。





彼と友人だったときの、居心地のよさは驚くべきものであった。


むろん、その心地よさは彼の好意やそれに基づく優しさによって成り立っていたので、純粋な友人関係であったかは断定しがたい。

しかし、彼といたときに私は自分を好きでいられた。

何も気にせずに、その時間を大切に過ごすことができたのだった。

それは、とても私にとって重要なことだった。

誰かにその人自身の価値を感じさせることは、すごく難しいことだと思う。

彼が私に自信を与え、明るさを与えてくれた。

だから、私は彼を今でも尊敬している。

彼がいなくなってしまっても、自分を好きでいられるようにすること。

自分の価値を自分で作り出すことの大切さ。

人が恋愛から卒業するときの、1つの大きな学びかも知れない。




思い出は美化されるものなので、このように過去の記憶を優しく語れることは時間の経過のおかげであろう。

上述したようなことを、当時の私が気づいていたかは、今となってはどうでもよい話である。

また、いろいろな経験を積んでいるだろう将来の私がどう捉え直すかも同様である。



結局、私には恋というものが分からない。

遺伝子レベルの小難しい話は、いうまでもなく。

一緒にいて楽しければ恋なのか。胸が痛くなったり、ときめく要素があれば恋なのだろうか。それともそばにいて安心できたならば恋なのだろうか。

分からない。

ここまでの話は、フィクションのようで、ノンフィクションのようでもある。

なぜなら、過去を正確に記述することなんてできないし、そのことにそんなに価値があるとは思わないからだ。

書きたいように書いて、読みたいように読んでもらう。

自分が過去の経験にどう意味づけをするか、どんな色の思い出にするか、どう今に活かしていくか。

それがきっと大切だと信じる。

自分勝手にならないこと。

周りにいてくれる人を大切にすること。

自分にも他者にも誠実でいること。

そして何より、自分そのものを好きになること。

好きになれる自分でいること。

恋愛はその次である。

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