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ホンキの笑顔が嫌いだった

【ホンキの笑顔の写真】について

わたしは、舞台役者のほかに、フォトグラファーやポートレートモデルもしています☺️

だから、今日は写真のハナシと、わたしに深く根ざすコンプレックスのハナシを。


「写真を撮られるのがニガテ🥲」

「写真に写った自分を見るのが苦痛😭」

そんな経験ある方、多いと思います。

わたしもそうでした😭

そして。

自分は、良い写真を撮ったと思っているのに、お客様の写真を見た時の反応が何故か良くない🥲

という経験をしたカメラマンさんもいませんか??

これ、どちらも同じことが原因のことが多いです。

それは、

《外見もしくは自分自身へのコンプレックス》

わたしのコンプレックスは、もはやその根っこが地球の中心に届いてしまうんじゃないかと思うほど、根が深いモノでした😨

外見もしかり、性格も然り。

自己否定の塊です。

長くなりすぎちゃうから、今日は外見について触れます。



とぉーっても幼い頃。

他人と自分の外見を比べる能力もなく、他者から外見について評価される言葉を理解もできない頃は、コンプレックスなんてありません。

でも、成長するにつれ、他者と比べて他己評価を理解するようになると、褒められた時に幸福感や高揚感を味わう反面、貶されたりすると傷つきます。

わたしの外見コンプレックスの始まりがいつなのかは覚えてないけど、深まって加速したのは、妹が生まれてからのように思います。

《妹さん可愛いね》

生まれたての赤ちゃんは可愛いから、大人たちがそう言って可愛がるのは当たり前だし、実際、わたしも可愛いと思ってました☺️

が。

が。

何故なのか。

時折、

《妹さんあんなに可愛いのに、お姉ちゃんは、可愛くないね》

とか

《妹さんイジメちゃダメよ》

と、大人たちが言って来るようになりました。

今思えば、大人は深く考えてなかったんでしょうね。

《お姉ちゃん、可愛くない》は、自分で言うのもナンですが、理発で生意気な子供だったので、愛らしく泣き虫キャラの妹に比べて、《可愛げがない》という意味であったのでしょう(いや、それでも十分酷いコトバだけどサ)。

そして、《イジメちゃダメよ》も、そんなに自分が意地悪な外見に見えるのかと、いたく傷付いたけど、ただの社交辞令的に大人がそうやって声を掛けて来ただけの可能性だってある。

だけど、子供は何でも間に受けてしまうから、とにかく額面通りに受け取って、

わたしは《可愛くない》んだって傷付いて苦しんでた。


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そして。

これは、今でも100%解消されているとは言い難いけど、かなり受け入れる事ができるようになったコトで。

わたし、全力で笑うと、歯茎が出てしまう🥲というのが、

子供の頃からの大きなコンプレックス😫

子供の頃、男の子からも女の子からも、からかわれたり、指摘されたり。

しかも、大人になっても時折コレについてバカにしたニュアンスで言ってくる超絶無神経な方も😤

芸能人、有名人で言えば、

沢口晴子さん
菅野美穂さん
安藤美姫さん
戸田恵梨香さん

がそのタイプだと思うのだけど、もう、彼女たちはわたしにとっては、希望の光✨✨✨

もはや、女神🥰✨✨✨

が、この辺の方々を取り上げて、「でも笑うとさ〜」ってディスってる人が何故かいる😤

それを見ると、女神たちを心の支えにしているわたしとしては、もはや殺意が芽生えてしまうレベルです🔥🔥😂



で。

ようやく写真のハナシに戻りますが。

そもそも《可愛くないと思っている自己否定全開の外見》に

《笑い顔が超絶コンプレックス》

ともなると。

写真撮る時に、笑えるワケないじゃないですか😤??

笑い上戸だったから、日常生活ではこれでもかって笑うコトたくさんあったけど。

鏡の前で笑顔を作るのも苦痛。

もはや、鏡を見るコトすら苦痛。

そんな感じでした。



わたしは、舞台を役者としてずっとやって来たので、その途中で役作りも兼ねて、写真に写る練習をものすごくしなくちゃいけない時があって。

それこそ、千本ノックしたから😂

《写る》用の《笑顔》は、もうある意味条件反射みたいに作る事は出来るけど。

気を抜いて爆笑している姿とか、やっぱり全然好きになれなかった🥲

これは、自分がカメラマンを始める前のことだけど。
面白いコトひとつ言ってくれないのに、「笑ってー」ばかり連呼してくるカメラマンさんとか、ホントあり得ないと思って、後ろからハンマーで🔨殴りたくなったり😡

気を抜いて笑ってるオフショット(歯茎全開で見えてる笑顔ね)を見せてきて、

「素敵なの撮れたよー」と言ってくるカメラマンさんにブッコロース🔥💀と、これまた美しくないコトバを心の中で叫んだり🤣

今思えば、コレなんて、すっごい分かりやすい事象で。

カメラマンさんから見たら、きっと、自然体で笑ってる姿がとても素敵に見えたんですよね😊✨✨

でも、わたしには、最もコンプレックスに思っている部分が強調されて写し出されてて、それを突きつけられてプラスの感想を期待されてる拷問みたいな状況だったワケで😅

大きなボタンの掛け違いですよね😵


で。

なかなかの長文になって来ましたが。

そのコンプレックスを全力で刺激する笑顔写真を最近、なんだか愛おしく思えるようになって来ました😅😅

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え??

ううむ。

何でだろう🤔

と考えた時に。

一つは、撮られている絶対数が多い、という《慣れ》もあるとは思うのですが。

《カメラマンやコミュニティの中での人間関係、信頼関係、距離感》

もあるんじゃないかなぁって思いました☺️

そもそも、信頼関係が築けてない人に、ニコニコとコンプレックス突きつけられても「はぁ😳??」ってなっちゃうのがオチだと思うのだけど、

コミュニティやカメラマンに、「受け入れられている」実感がキチンと持てた状態、

かつ、コンプレックスと対面することの無い素敵な写真も別でちゃんと撮れてる、
(↑ココ重要😂)

ならば。

受け入れ状態が全然変わって来るんだろうなぁ、と自分自身の体感として感じる。



そして。

カメラを習ったプロフェッショナルな恩師の、

「いい作品を撮りたいならば。

人物写真は、長い期間何度でも同じ人物を撮って人間関係を深めていくにつれて、他では撮れないものが撮れるようになっていくから、何人いてもいいからとにかく同じ人を続けてみなさい。」

という言葉を思い出す☺

自分自身を受け入れる許容量が広がるってことは、それだけ表現の幅も広がるってことだから。

こうやって付き合いのなかで、受け入れられるものが増えていくと、また新たなものが生まれていくのかもしれない。


幸いにも。
何人か継続的に撮ってくれているカメラマン📸さんはいてくださるので。

これから、どうなっていくのかなぁって、また自分自身を使って検証していきたいと思います😄


落とし込む方法や掛け合わせることのできる他ジャンルのメソッドはいろいろあると思うけど、

《自分を受け入れる》とか

《自分の気づいていなかった魅力に気づく》とか

写真には、いわゆる【セラピー】的な効果も、やはりふんだんにあるよね📸📸📸


そんな大きな気づきを実感として得ながら、

【撮る】【撮られる】の両刀づかい、邁進して行きます☺️✨✨✨


ALL PHOTO 松本瞬

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