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音楽史8『バロック音楽の発展』


リュリ
モリエール

 今までルネサンス音楽などクラシックの影響は受けずに宮廷バレエやリュート伴奏のエール・ド・クールが人気だったフランスだが、17世紀後期になるとジュール・マザランのイタリア音楽の紹介を発端に文化が流入、ルネサンス文化の中心だったフィレンツェの庶民出身の作曲家ジャン=バティスト・リュリがルイ14世の宮廷で多くのバレエ音楽を作成し、特にコメディ・バレエにおいてはあの著名な喜劇作家モリエールとタッグを組んだ。

シャンパルティエ

(↑シャンパルティエ作)

(↑リュリの叙情悲劇)

 また、フランスでもマルカントワーヌ・シャンパルティエなどによりイタリア風のレチタティーヴォやアリアといったジャンルが一時流行するが、リュリはイタリア風の独唱のようなものはフランス語には合わないとして、独自にオペラのジャンルとして歌と舞踏の曲(舞曲)を合わせ、話すようなレチタティーヴォとメロディックなアリアの違いを消した「叙情悲劇」を確立、リュリはここでは劇作家フィリップ・キノーとタッグを組んだ。

マレー
クープラン
ドラランド

 この叙情悲劇はそのままフランスに広まりフランスのバロック音楽における独特の形式となり、また、この時期のフランスでは「ヴィオラ・ダ・ガンバ」という大きいバイオリンのようにも見える弦楽器や、ピアノの原型のような「チェンバロ」が流行っており、パリの貧民出身のマラン・マレーなどが多くの作品をヴィオラで作り、他にも音楽一家の出身の著名な作曲家フランソワ・クープランは「クラヴサン」という鍵盤楽器を使用した曲を多く作曲、ミシェル=リシャール・ドラランドはオルガンで作曲を行った。

(↑パッヘルベルのカノン)

ビーバー
カルダーラ

 また、ドイツではイタリアのバロック音楽の輸入が前にも増して増加、ハプスブルク家のドイツ(神聖ローマ)皇帝の住むウィーン宮廷ではアントニオ・カルダーラに代表されるヴェネツィアの音楽家達が活動しており、ヨハン・ヤーコプ・フローベルガーやヨハン・カスパール・ケルル、ヴァイオリン奏者のハインリヒ・ビーバー、そして世界で最も著名な音楽の一つ『パッヘルベルのカノン』でお馴染みヨハン・パッヘルベルなどドイツ人音楽家の活躍も本格的に開始した。

 また、パッヘルベルらによってオラトリオなどのイタリアの新しい音楽様式がカトリックから分裂したプロテスタントのルター派にも持ち込まれドイツ音楽は独自の発展を遂げていった。

ブクステフーデ

 また、前の記事で触れた北ドイツ・オルガン楽派でもハンザ同盟に属したドイツ文化圏内にあるデンマークの町の出身の巨匠ディートリヒ・ブクステフーデが現れ非常に高度なテクニック、特にペダル鍵盤の操作が発達し、ブクステフーデはオルガンで作られたコラール前奏曲やドイツ語で歌われるカンタータを作曲し、北ドイツ・オルガン楽派の技法に加えてシャコンヌやパッサカリナといった3拍子の舞曲の形式もよく使った。

ダウランド

(↑流れよ、わが涙)

ギボンズ

 17世紀初期のイギリスではリュートを使った独唱「リュートエア」やヴィオラ・ダ・ガンバ属と呼ばれるバイオリンに似た楽器達を使った合奏「ヴァイオル・コンソート」が当時のヨーロッパで爆発的ヒットとなった『流れよ、わが涙』などの作者でデンマークやイングランドの宮廷に仕えたジョン・ダウランドやウィリアム・ローズややトマス・キャンピオンなどにより作られており、他にもオルガニストのオーランド・ギボンズも活躍した。

ヘンリー・パーセル

 リュートエアなどのジャンルは当初、イギリスのルネサンス音楽をとどめていたが、次第にレチタティーヴォやアリアなどイタリアの新しい独唱の形式に影響を受けていき、また、17世紀後期になるとジャン=バティスト・リュリの確立したフランス・バロック音楽がイギリスに流入、巨匠ヘンリー・パーセルはイタリアの技法とフランスの技法を組み合わせた独特の作風でオペラから器楽、鍵盤作品、合唱まであらゆるジャンルを作曲した。

オキャロラン

 また、イギリス領アイルランドではまだ伝統音楽の盲目の吟遊ハープ奏者ターロック・オキャロランが大きな活躍を見せた。

コレッリ

 また、イタリアでも教皇領出身のアルカンジェロ・コレッリが活躍し、和音の機能の観点からそれぞれの構成部分を精密に作成するという17世紀初期のバロック音楽よりも整った作曲を開始、コレッリの作ったトリオソナタやヴァイオリンソナタといったジャンルはヨーロッパで大きな人気を得るとともにコレッリの様式様式が先述のクープランなどにより普及した。

 コレッリの複数の音の組み合わせ和音がまとまってひとつの機能をもつという作曲法は、ルネサンスから続く何個かの独立した別々の旋律を同時に弾くという作曲法を壊し、音楽史において大きな影響を残した。

ストラデッラ

 また、この頃には他にもコンチェルト・グロッソという小さなトリオ・ソナタを演奏するグループと大きなオーケストラを演奏するグループに分かれて交互に演奏するという方法がアレッサンドロ・ストラデッラにより広まっている。


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