マガジンのカバー画像

キリスト教あれこれ

48
キリスト教に関する色んな私の考えをまとめたものです。
運営しているクリエイター

#クリスチャン

唯一絶対的な救霊の働き

唯一絶対的な救霊の働き

諸宗教とキリスト教の根本的な違いは、死後の望みや、過去・現在・未来における人間の霊の救いであると私は考えている。

ある宗派によると、「人間は死後、蝋燭の灯火のように消えていくものだ」という理解を持っている。

私はまだ若いながらも、死別の経験は多かった。
いつの間にか知っている人たちがいなくなり、死の間際の立ち合いはしたことがないが、亡骸は何度も見てきた。

私が明確な死別の喪失を味わったのは、

もっとみる
「健忘」が生む信仰、「信仰」から生まれる「信頼関係」

「健忘」が生む信仰、「信仰」から生まれる「信頼関係」

私は今、「健忘」という症状に悩まされています。
それが、統合失調症の症状から出たものか、お薬の副作用かは不明です。
とにかく、物忘れがひどいです。

このことに気付いたのは、今年に入ってからでした。
まず、会話中に単語をド忘れすることが急に増えたような気がしました。かなり長い時間考えても、話の内容に適切な単語が思い浮かばず、単語を思い出すことを諦めることが多くなりました。

次に、家族との記憶にす

もっとみる
主は「沈黙」を通して語られる

主は「沈黙」を通して語られる

私はこれまで何度も主の言葉に反発してきた。
「あなたは神の言葉を聴くと、反抗してくる」と指摘されたこともあるほどだ。
そんな日々を過ごしていても、私は背教者とはなれなかった。世に戻るということは出来なかったのである。

ある日、私はキリスト像を見つめて、心の中で主に語りかけた。
「どうして、私がこんなにもあなたから離れることがあるのに、あなたは私を見捨てられないのですか?あなたが見捨ててくだされば

もっとみる
献金の言説に対する疑問

献金の言説に対する疑問

色んな人が時々語られていますが、

「献金をすればお金は返ってくるが、献金しないと貧しくなる」

という言説に常々疑問を持っています。

地上で祝福されるのは良いことだと思います。

ですが、私たちキリスト者が献金した時に、求めるべきはキリストの愛に満ちた恵みではないでしょうか?

それは決して、お金で返ってくるものだけではないと思います。

これは私の体験談に過ぎませんが、私は献金をする度に、教

もっとみる
私の昔の礼拝ルーティン

私の昔の礼拝ルーティン

私が地元にいた頃は、LINEのビデオ通話で遠距離でリアルタイム礼拝に与っていました。
もちろん礼拝なので、その日は聖別して予定を組んでいました。
ちょっとした小話ですが、思い出して懐かしく思ったので、書いていこうと思います。

🕰️前日は11時までに寝る
↓十分な睡眠をとる
礼拝日は8時までに起きて、牧師に「おはよう」メッセージを送る

きちんと睡眠をとらないと礼拝の時に、眠くなってしまうことを

もっとみる
悲しむものは幸いです

悲しむものは幸いです

今回は、マタイの福音書5章4節の山上の説教の箇所の私のディボーション内容を書いていきます。
このディボーションが出来たのは、いつも礼拝で福音を語り続けてくださっている牧師と牧師を通して働かれる聖霊様のおかげです。

+ 神に感謝。

まず、当該箇所の引用から始めます。

この箇所は英語訳のNIVでは「悲しむ者」は「嘆く者」と訳されています。
また、「幸い」とは「happy=幸せ」ではなく、「ble

もっとみる
神の家族と礼拝

神の家族と礼拝

神の家族とは

まず、礼拝を共にすること。
その中での説教と説教の実践である司牧を受け、腹を割って話せる関係を司牧者と築くこと。

特に礼拝では、リアルタイムで顔を合わせて礼拝を捧げる。

そうすると、礼拝者たちは個々の霊が結び合わされ、神の愛の下で一致する。

これによって、人間の好き嫌いを超越した愛の関係も作り上げられる。

それが、神の家族の関係である。

人に躓く

対して、人に躓く(この

もっとみる
信仰小話

信仰小話

私たちの教会はどこの教団や教派にも所属していないので、定義をするなら単立教会となりますが、各教派の良いところを取っています。
だから、プロテスタント的でありながら、カトリック的な教会でありますし、東方正教会や聖公会の信仰も牧師は学んでいます。
ロザリオの祈りもします(プロテスタントでもルター派の教会や聖公会もしますね)。

ロザリオは祈りの道具です。

私も以前は祈りの道具として見ていました。

もっとみる
ユディト記のユディトと賜物

ユディト記のユディトと賜物

少し興味深いお話を拝読したので、私がユディト記を読んで、理解したことを書きたいと思います。

ユディトという女性

ユディトとはイスラエルの民(イスラエルの十二部族の一人、シメオンの子孫)の信仰深い未亡人です。
美しく、魅力的な女性だと、聖書の中では描写されています。

ユディト記ではユディトが登場する前に、イスラエルの民を襲う敵国アッシリアの将軍ホロフェルネスという人がベトリアという町を襲撃しよ

もっとみる
一人の牧者から学ぶ

一人の牧者から学ぶ

今回は少し変わった視点からの話です。
私自身、私に福音を伝える人は一人でいいという確信を内に秘めておりました。
それは、自分にとって当たり前のことだったので、今まで記事に書いたことはありませんでした。

ですが、十数年以上続いている私たちの教会、受洗者を出して、教会員がこの教会は神の召しを受けていると証することの出来る私たちの教会を、神に仕えるために何も捨てていない人が、しかも、数回しか私たちの教

もっとみる
今後の方針とSNSのキリスト教界隈の現状②

今後の方針とSNSのキリスト教界隈の現状②

私は情報収集とnote活動を活発にするためにX(旧Twitter)を見ていました。

しかしながら、Xを見ていると昨年とは違う変化に気付きました。
ここから書くことは、オフィシャルなXのアカウントとは違って、個人のアカウントを見ての感想です。

それは3つあります。

①聖霊重視、カリスマ的な信仰者の増加

これに関しては、聖霊のバプテスマ(聖霊の満たしや、賜物を受けること)にこだわったり、癒しの

もっとみる
家族を捨てるとは

家族を捨てるとは

家族を捨てるとは何だろう?とふと、考えました。
そのまま読み取ったら、家族の縁を切って、家族なんて私の知ったこっちゃないというような、とんでもない言葉のように思えます。

福音書では家族を捨てることについてこのようにイエス様が仰せられています。

家族や職、地位、富を捨ててキリストに従うということは、同時に狭義的な意味で献身をするという意味でもあります。
神学校に入らないと献身にならないという考え

もっとみる
神学校を卒業しないと牧師じゃないのか

神学校を卒業しないと牧師じゃないのか

最近、神学校を卒業していない牧師は牧師じゃないといったような論調で話をしている方が増えていることに気付きました。

私自身は伝道者の傍で、伝道者を支える奉仕をさせていただいている身分として、このような神学校史上主義は排除されるべきものだと考えています。

なぜかというと、神学校は人間が作り上げたものであり、神学校の卒業証書も人間が作り上げたものだからです。
つまり、神の介入がないということです。

もっとみる
旧約聖書はイスラエルの民のものなのか?

旧約聖書はイスラエルの民のものなのか?

突然ですが、イザヤ書の御言葉を引用させていただきます。

これを今読んでいる方々、この御言葉をどのように捉えているでしょうか?

自分が愛されているんだと捉えていますか?

私は自分のこととして捉えています。

しかし、そう思わない方もいるようです。
イザヤ書43章4節は「イスラエルの民に向けたもの」で、私たち「異邦人でさらに未信者(不信者)」の人はイザヤ書43章3節が当てはまるのだと考えている方

もっとみる