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北九州市にラグビー専用グラウンドをつくろう!(署名ご協力のお願い)
ラグビー専用グラウンドが無いんです!
★ 現状と運動趣旨
北九州市内にはラグビー専用グラウンドが無く、幼稚園、小学生をはじめ、中学生、社会人、クラブチームの練習や試合の会場の確保が大変難しい状況です。
北九州市にあるグラウンドは他競技との共用で安定した使用確保ができず、公式戦の誘致など競技普及における大きな課題となっています。
2019年ラグビーワールドカップ、ウエールズ代表のキャンプ地として
北方領土を訪問したときのおはなし①
2011年7月。
私は日本政府とロシア政府の間で合意した「ビザなし交流事業」の訪問団の一員として北方領土の国後島と択捉島を訪れた。
当時、私は公益社団法人日本青年会議所(日本JC)の主権国家確立委員会の委員長を拝命しており、日本の領土領海問題や外交問題、主権意識の向上のための運動に取り組んでいた。
2010年9月に起きた、尖閣諸島海域における中国漁船と海上保安庁の衝突事故が起きたばかりであり
絆。Welcome back your Hometown!
ウエールズ代表誘致のおはなし⑨
そういうわけで、無事にウエールズが北九州市でキャンプをすることになった。
小倉北区で自動車整備会社を営む海原六郎さん(小倉高校→日本体育大学ラグビー部)は、自分のミニクーパーをウエールズ仕様にしてしまった。もちろん自腹。ウエールズ関係者は大変驚き、喜び、SNSで発信し即座に本国で話題に。
北九州では試合は無いけれども、ウエールズのキャンプがある。九州内の試合会場
誘致成功の鍵は「芝」と「歌」と「アルゼンチンワイン」
ウエールズ代表誘致のおはなし⑧
いろんなツテをたどって(複雑なので割愛w)やっと!ウエールズラグビー協会のキーマンにたどり着いた。とにかく一度北九州市に来てくださいとラブコールを送り続けた結果、チームマネージャーのアラン・フィリップスと、S&Cコーチのヒュー・ベネットが北九州市に来てくれることになった。(ふたりとも現役時代はフッカー。元ウエールズ代表選手。腕の太さハンパねぇ。写真見てください。)
ミクスタにサクラサク。あの夕焼けは一生忘れない。
ウエールズ代表誘致のおはなし⑦
ミクスタこけら落とし試合の交渉に、私と三浦室長で日本ラグビー協会へ。
「とにかく何か大きな試合を、ぜひうちでやらせてください」
この打ち合わせでサンウルブズのチャリティマッチの話をいただいて突き進むようになるのだが、この打ち合わせの1週間後、日本ラグビー協会国際部から1通のメール。
「2017年春に女子7人制ワールドシリーズの試合を日本で開催することになり、試合
中学3年生ラガーに花道を。
新型コロナウイルスの影響で、中学生ラグビー(ラグビー業界ではジュニアと呼ぶ)も3年生最後の大会が中止になってしまいました。
何かできないかと考え、最高の舞台で花道を準備することに決め、見切り発車でスタートしましたが、多くの賛同者を得てこの度実現することができるようになりました。
【開催概要】
開催日時:2020年7月19日(日)15:00~18:00(14:00受付開始)
場 所:ミクニワー
河川敷のグランドで泣いた日々も意味があったんだ。
ウエールズ代表誘致のおはなし⑥
今から35年ほど前。
私が小学4年生で、中間市の河川敷グランドで毎週ダメ出しされて泣きながら情けないラグビーをやっていた頃、一際オーラをまとった2つ年上の先輩がいた。
中竹竜二さん。
中鶴少年ラグビークラブ→東筑高校→早稲田大学ラグビー部キャプテン。卒業後は英国レスター大学に留学。留学に際して頼ったのは、あの奥克彦さん(早稲田ラグビー部→外務省。森喜朗総理に日本
消防音楽隊が「燃えろみんなの北九州」を演奏して盛り上がる不思議な我がまち。
ウエールズ代表誘致のおはなし⑤
北九州市の消防車、救急車にウエールズの国旗が貼ってあるのを見たことありますか?
なんで!?と。
この仕掛人は、北九州市役所の三浦隆宏さん。
役職は市民文化スポーツ局国際スポーツ大会推進室室長。
この人無しに北九州の今の姿は無いと断言できる。三浦さんは八幡中央高校→福岡大学のご出身。
ラグビーは高校時代の授業でプレー。(当時の八幡中央高校はクラスマッチがラグビー
突き刺さる恩師の言葉。お前はラグビーから何を学んだのか?
ウエールズ代表誘致のおはなし④
2015年ラグビーワールドカップイングランド大会。
日本大会の組織委員会から「公認キャンプ地を目指す自治体向けの視察ツアー」の案内が届く。
公認キャンプ地を目指すところはしっかり現地を見といてくださいよ。ということらしい。北九州市からは新たにラグビーワールドカップ担当になられた武藤義博さん(小倉高校→九州大学ラグビー部)と、不肖私が参加させていただくこととなった
もがき苦しむ日々。前例の無い戦い。
ウエールズ代表誘致のおはなし③
よしやるぞ!と言っても何から手をつけていいか全く分からない。
何しろ相手は世界。しかも国。日本の田舎の政令指定都市がどうやって戦う?
コネクション、無し。
予算、無し。
盛り上がり、皆無。
言い出しっぺとして日々悩む。
強豪国の首都と姉妹都市結ぶ?今更?
絶対に先行都市に負ける。
行き詰まり。
2002年サッカーワールドカップの中津江村カメルーンみたいな広告効果
直談判。受けてめてくれた北九州市。楕縁。
ウエールズ代表誘致のおはなし②
東日本大震災の翌年。2012年。
私が北九州青年会議所で理事長を務めたこの年、日本青年会議所の全国会員大会が北九州市で開催された。
大会が終わった2日後。
大会の御礼に副市長を訪ねた際、やんわりと直談判。こんなチャンスないので。
「副市長、7年後に日本でラグビーワールドカップがあります。北九州市でぜひ強豪国のキャンプ地を誘致したい。ターゲットは南アフリカで
え、試合じゃないんですか?ワールドカップキャンプ地をやるぞ!と不思議な大号令。
RWC2019日本大会において、ウエールズ代表のキャンプ地として一躍有名になった北九州市。
その誘致に至るお話をFBに掲載していましたが、より多くの方に知っていただきたくnoteに転載いたします。
ウエールズ代表誘致のおはなし①
今から10年前。
北九州ラグビー協会の2代前の平木会長が私に言った一言。
「小田くん、ラグビーワールドカップ日本開催が決まった。北九州市は強豪国のキャンプ地を目指