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河川敷のグランドで泣いた日々も意味があったんだ。

ウエールズ代表誘致のおはなし⑥

今から35年ほど前。
私が小学4年生で、中間市の河川敷グランドで毎週ダメ出しされて泣きながら情けないラグビーをやっていた頃、一際オーラをまとった2つ年上の先輩がいた。

中竹竜二さん。
中鶴少年ラグビークラブ→東筑高校→早稲田大学ラグビー部キャプテン。卒業後は英国レスター大学に留学。留学に際して頼ったのは、あの奥克彦さん(早稲田ラグビー部→外務省。森喜朗総理に日本でのワールドカップ開催を直訴。イラクにて凶弾に倒れ殉職)だった。

ワールドカップ誘致にあたり、まず中竹竜二先輩に会いに行った。組織委員会の仕組みやキャンプ地として必要な要素、世界を知る中竹さんから見た故郷の北九州スタジアムはどう映るのか。(当時はまだ建設中)いろんな話を聞きたかった。
日本ラグビー協会近くのイタ飯屋。持ってきた資料で汗だくになって説明する私に

「大丈夫だよ。これならきっとうまくいく。どんどんやれよ。」

北九州ラグビー協会の吉田通生会長(当時)もまた早稲田ラグビー部出身。
日本ラグビー協会の坂本専務理事(当時)と吉田会長は、同じ時期に東伏見のグランドで共に戦った仲間だった。

そんな血縁よりも濃い縁、言い換えると「楕縁」に支えられた。

2017年2月のサンウルブズのチャリティマッチも、この楕縁がなければ実現しなかったと思う。

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