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正義のカタチ

最近、精神疾患から復活して思うことなんですけど、自分の中の正義を持つことは生きていく上でかなり大切だなーと思っています。

そもそも正義って何?

っていうところなんですけど。

自分の中の美しいと思うことと許さないことのラインを明確にすることだと思っています。

例えば、動物のことが大好きで動物病院で働いている医者の方がいたとします。
その医者は動物を好きで愛しているからこそ動物の体調を良くしたり、動物の健康のために懸命に働いています。
もしその医者が動物を傷付ける人を見かけたり、そういう人をネットなどから知ったりすると怒ると思うし、ふざけんな、という気持ちになると思います。
というより、そんな人を許したらいけないと思います。
その人は動物が好きで、日頃から動物の治療のために懸命に働いているからこそ許しちゃいけないと思います。
もしその時に怒ったり、許せないという気持ちにならないのであれば、動物が傷付いても良いと思っている医者という見方もできると思います。

また、私の体験談でもあるのですが、日頃から多く税金を払っている経営者や所得の高い人は、給料が税金で賄われている公務員の人には嫌悪感を抱いているし、公務員の人は所得の高い営業をガンガンかけてくる職業の人には嫌悪感を抱いています。勿論、全員ではありませんが。

こんな風に自分が人生で大事にしているものとか、人生の大半を占める仕事など、もしくは身内などの尊厳を傷付けられたり、不快に感じることがあったとしたら、ちゃんとこっちも怒りの感情をに態度を示したり、関わらないようにすることも大事だなと思うようになりました。

そして本気で生きていると、正義を持たなければいけない瞬間も出てくるし、
自分の中の正義を決めることは敵を決めることと表裏一体だと思ってます。

もっと極端な例を挙げると単純に戦争

自分の中が正義を持っているもの同士が戦うこと。

自らの利益や国、家族を守るためには戦わないといけません。

もし戦争が起きているときに一方的に戦わないという選択肢を取ったとしても、一方的にやられるだけです。

大人になればなるほど、至る所でプチ戦争が勃発しています。
夫婦関係の揉め事だったり、上司と部下同士、同僚同士の揉め事や会社同士の揉め事かもしれません。もしくは子供同士のいじめや喧嘩かもしれません。

今日もどこかで裁判が行われているし、どこかで誰かが喧嘩しています。

私の中でも過去に自分のことを傷付けてきた人とは関わらないことを決めたし、ラインもブロック削除しました。
そんな私もまた誰かのことを自分では気づかないうちに傷付けてきたかもしれません。

自分の人生を本気で生きるからこそ、許さないことを決める。

これからはそんな風に生きることに決めました。

終わり。



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