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自分の機嫌は自分が決める。

私は自分に誇りがあるので、それにそぐうものをチョイスして人生に取りいれることにしている。

「自分の機嫌は自分が決める」というのも、私が選びとったもののひとつだ。

さて。

人生最悪に不幸を感じたときというのが、「なんにも感じなくなったとき」だった。

ちなみにこれは、嫌なことにたくさん遭遇すると、誰でも罹患する病気のようなものだ。

嫌なことをいちいち感じているとショックで人は死ぬので、防衛のために感じることをシャットアウトしてしまう。

とはいえ、私の場合、どうやってもご飯は美味しかったため(元気だな……)そこから挽回していけたのだが。

美味しいものをゆっくり食べること。それがまず第一。そしてとにかく自分がいいなと感じるものを摂取して、悪いと思うものはゴリゴリ捨てていった。

その中のひとつに自分の機嫌を自分でとる、というのがある。これを提唱している人を何人も見たことがあるので、わりと一般的なことなのだろう。しかし、自分が追い詰められるまで、「自分で自分の機嫌をとること」なんてものを目にしたことはなかった。

しかしこれがかなりいい。

機嫌と言って真っ先に思いつくことと言えば「機嫌取り」「ご機嫌伺い」だが、それは他人にやってもらう機嫌とりだ。

自分の機嫌が他人に左右される。要は自分の調子の良さが周りに決定されるということ。

それって嫌じゃないですか?

まるで生殺与奪の権利を、他人に握られているみたいじゃないですか。

自分が生きるか死ぬか他人次第。自分が機嫌良いか悪いか他人次第。めっちゃ嫌じゃないですか。

自分のことは自分で決めるのが嬉しいでしょ。

自分の生殺の権を自分を握っていることこそ、自分が人間である最低限の尊厳。

なので、自分の機嫌も自分で決める。

そもそも生きていて、自分で決められることもあり、自分で決めらないこともあります。

でも自分の機嫌は自分の心の問題だから。自分で決められる。

決めて、それを補強するために、上機嫌になるための努力もする。

上機嫌になるための努力は至ってシンプル。楽しいことをする。美味しいものを食べ、好きなことをし、物事から自分にとっていいものを拾う。楽しくないことをやめる。気分悪いものからは離れる。相手にしない。いい方向へいい方向へいく。

そういう努力はしんどくもなんともないので、ずっとやっていけるもの。

私はそれをやっていきたいし、同じようにしている人と過ごしたいなぁと思うのです。

おまけは、「自分で自分の機嫌をとることは、傲慢と卑屈に効く」ということについて。「卑屈は傲慢と同じくらい恥ずかしいことよ」というセリフを見かけたことがあるのですが、ああ、そういうことか、と納得したこと。


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