太陽に焼かれて殺されたダニの香りの芳香剤を売れ 第11話 its very hot outside
浅荷は決して俺のしゃべりを急かそうとはせず、俺のペースで話すことを望むらしかった。
そして、それはそれとして大いに関西で生まれ育ったような差し込みを向けてくるようだった。俺はさして同級生ぐらいの女と話す機会を持っていなかったから、客観的に見れば俺が話している内容を(当然、意図的にそうしているというよりは俺自体のしゃべり方に一定の問題があるとしか思えないが)いちいち遮りつつ、俺の会話の変なところを囃し立てるように見えるのかも知れない。
それに怒る男とかも、もしかしたらいるのかも知れない。でもそんな奴単なるプライドが高いだけの役立たずじゃないか?
特に高校教師のような、蝿に羽が生えたような連中なら激昂しそうだ。いや───蝿にはそもそも羽が生えているか──ともあれ教師のような、その高校に過去に在籍した連中が勝手に叩き出した輝かしい進学等の実績にすがり、適当に大学で出会った異性と交尾しまくり、一晩中引っ付きまくった性器の乾かぬ間に適当に代返を頼みながら板書のコピーをさせてもらい、半ば親の払った金で馬鹿みたいに教員免許を取得しただけのような連中としてハイエナのように集まって来、そいつ自身には何の実績もないのに新しく入学してきた生徒たちにもクソ偉そうなふんぞり返った態度を取り、少しでも逆らえばお前の内申を下げてやるぞと、大学に行けなくしてやるぞと脅すような、やっていることはその辺の反社となんの変わりもないような、人間のごみのような部分を煮詰めたような連中なら気が触れるほど歯向かってくることだろうか?
幸い、うちの高校にはそのような教師はいないようだ。人手不足につき、数年前から市か県か村か都が教員免許所持、もしくは教育学部卒社会人経験ありをターゲットにし、高校教師として募集しはじめたところ地元の転職希望者から圧倒的な応募があり事なきを得たらしい。その恩恵を俺の通う高校は受けているようだ。
最初の頃は、なぜか社会人経験がある教師が多いと思っていた。同時に、さっきのような印象を俺が抱くにいたったような先達たちからの話が幻想なのではないかと思うほど、妙に理解のある教師が多かった。多少の遅刻は見逃し、紙類で忘れ物がありそうな時は事前に自らコピーを持参して担当教室へ来、同じく俺と浅荷が共に帰るきっかけともなったように、余裕で社内恋愛─────学内恋愛?職場恋愛をするような教師がいて大らかだ。
浅荷はどう思うんだろう?と考えたが、なんというかこういう泥ついた俺の考え方をそのままぶつけるわけにはいかない気がしている。俺と一緒に帰るはめになった顧問同士の恋愛をどう思う?とか訊けるだろうか?まして現在教員となった連中が学生時代に交わりまくっていた分際で生徒に威張り散らかしている現状をどう思うとか訊きづらいというか、せめて"まだ"訊くべきではない気がする。
同学年の異性が、俺の死ぬほど聴いた、そして死ぬほどカヴァーした歌を神妙な顔で聴いているというだけでそこには一定の奇跡が起きている気がする。そう思うと今更ながら恥ずかしくなってくる。
好きな歌を開示する行為には功罪相半ばする可能性が十二分にあることだろう。もし否定されたのであれば、それは自分を否定されることにも受け取り方次第ではつながる。特に俺達のような若気が至りしか起こさないような世代であればなおさらであり、歌一つとって信奉、信仰の対象にさえしてしまうことがあるだろう。
実際に俺もそうだった気がする。さっき浅荷に話していた中学の頃、仲間内で自分たちが1番正しいと思う歌群を聴き、それらを自分たちの感性というフィルタを通して自分たちの歌を創り───悲しいかな、多くの場合においてそれは自分たちが信奉した歌たちの模倣、カーボンコピーに成り下がる───、第三者目線を入れずに自分たちの実力を勘違いしたままの世界がすべてであると錯覚していた頃は、そのスキームのどこか一部でも否定されることはこの仲間内で創ったかけがえない努力・絆の結晶たる歌たちの否定であり、それが生み出された自分たちの否定となるのだろう。
そう思うと、もし浅荷に俺が好きな歌を否定されたとて「仕方ない」と自然に思えるだろうということを無意識に想像し、話の種に提示できた自分に対して、お前いつの間にそんなまでなれたんだよ?と思わざるを得なかった。
浅荷といる空間から完全に自分が分離してい、極論的な自問自答をしていたことに薄く気がついた時には浅荷はBasket Caseを満足なほど聴き終えていたようだった。
「おかわりしようか?」
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