就活がうぜえ理由を考えたら企業が悪いとわかった
昨日山極寿一が言うことについて考えてたら、就活がなぜうぜえ存在なのかが見えてきた。ヘッダ画像をお借りしています。
簡単に昨日言ったことを圧縮する。
そしてたまたま読んだ古典ラジオの人の言葉を引用する。
ここまでくればわかりますね。ついでに上記をDIGってた時に見つけたキャリア解放区を運営している納富順一のせりふを引用しよう。
就活で採用する側は、なんと馬鹿らしくも律儀に「その時代でしか意味がない価値観」とやらを忠実に守っている。言うなれば番人である。なんで守ってるのかは以下に。つって保身以外のなんでもないのだが、クソ以下のそれを必死こいて守っているので知能は間違いなくゼロなのだ
そして多様性の時代、つまり価値観とは個人ごとに異なるように設定されていることがようやく自明の理となったにもかかわらず、「うん、たしかに多様性の時代だね!その多様性を、それぞれの価値観を、『その価値観には、こういう時代だから、こう対処するよ』が正確にできる奴だけを我が社は募集するよ!うちはうちのやり方で、時代に合ったやり方でそのそれぞれの価値観から成る多様性を尊重するよ!(=その対処にコンセンサスが得られない奴は真っ先に排除するよ!)」という厚顔無恥を平気でやっている。それが現代企業です。
いや───────────────情けない。自分が決めた生産性=効率性の時間をガチガチに押し付けて、それ以外認めないという。妙な持論ばっか書いてて変な奴に思われてしまうだろうからあまりしたくないけど、この「価値観の固定行為」ってつまり「俺が過去にそうされたから、当然後の時代のガキどもにも同じ責め苦を味あわせてやって当然である」という復讐バイアスの原型ですよね。
今ある価値観がさも最上級、カースト最強、揺るぎないものみたいに脳死で思えている。だからそいつを忠実に守ろうとする。
いわばその価値観という正義の鉄槌に必死にしがみつき、それに反した者をぶん殴り回っている=面接で落とすわけです。
正義の鉄槌とは人を合法的にぶん殴ってストレス発散するためにあるらしい。なるほど、就活で最大の屈辱と思われがちな「落ちる」の原理はこのように働いているのか──────────と考えると、なんてちっぽけな連中にそれをされているのか、と就活してる人(別に就学の立場だけでなく、転職の人だっているだろう)を励ますきっかけとなれば幸いだ。
正義で人をぶっ叩くのは気持ちがいいでしょうからね。多くの場合その正義とは非常に狭義的であり、何なら屁理屈であり、SNSでせっかく同じ言語を母語とした連中が相容れない同じ母語の人々を殺し回っているのはこれが理由だと思うとマジで情けなくて笑える。
つまりそんなもの正義ではないのだ。人に八つ当たりするための大義名分なわけです。
人って殺しちゃいけないじゃないですか。で、知らないけど人を殺さないと気がすまないぐらいストレスを抱えた化け物がこういうSNS上に出てくる。するとこのように「人をぶん殴っていい大義名分」を得ようとする。
得た(当人だけが大義名分だと思っている)それで、とにかく人を攻撃しまくり、時にガチで殺す。合法的に人を殺しててめえのストレスを解消したいだけの化け物です。
そんなもの名分になるわけがない。つまり連中のやっていることとはほぼ犯罪、犯罪じゃなくても侮辱とか名誉毀損に該当する。
企業は人を落として慶びこそしなくても──────────喜んだら大問題だ──────────、やってる原理は同じだ。自社の反映、利益が最優先であり、「上に媚びるためにそれを俺はしてますよ、とアピールしなければ!」という功名心のみ働き、将来反乱分子となりそうな学生を落として落として落としまくる。
例えばLGBTQの人がいたとして、「うん!OKOK!あるよね、そういうの!じゃあ俺たちは君を認めるから、君は君でわきまえてね!」と。
未知のことが怖すぎて、つまり安定を至上に求めて、山極寿一の言葉を借りれば上記のような連中は「価値観を固定」しようとする。文字や言葉や映像なりなんなりで、「今の価値観はこれ!これしかねえんだわ!」とこの時代という時間に固定する。「その時代が求めている価値観(実際、そんなもの存在しない)」を持っている自分は勝者になれると思い込み、時間を我が物にしようとする。
「その時代」と勝手に決めて、時間を固定する。そんなことできるはずもないのに、だ。
あとは方法論をパターン化できればクソ楽できるから、ていうのもあるでしょうね。「この論理にしたがって、これだけやってりゃOK!それだけで勝手に俺の評価も上がる!」という、脳死が一番楽っていう方程式にアヘ顔ダブルピース状態になっているわけです。
願わくば、そのような経営者が一匹でも少なくなることを。
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