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箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない:3つの根拠はいずれも不十分
奈良県桜井市の纏向[まきむく]遺跡にある箸墓[はしはか]古墳は、魏志倭人伝に登場する卑弥呼の墓だと言われることがあります。
※トップ画像:箸墓古墳(2020年10月撮影)
卑弥呼は239年に中国の魏に使いを送り、247年に魏からの使節を受け入れた頃に死んだことが書かれています。箸墓古墳が卑弥呼の墓なのであれば、3世紀中頃の古墳ということになります。
「箸墓古墳は3世紀中頃」にはどのような根拠
埼玉稲荷山古墳鉄剣の辛亥年と榛名山噴火
埼玉稲荷山古墳から出土した金錯銘[きんさくめい]鉄剣の「辛亥[しんがい]年」は「471年」が定説になっています。60年後の「531年」だという説は少数派です。
471年が正しければ、第21代雄略天皇の年代には、ヤマト王権の支配が関東まで及んでいた証拠だとされ、第一級の資料として注目されます。
※ちなみに辛亥というのは十干十二支の「かのと・い」のことで、60年に一度巡ってきます。辛亥革命の191
寺沢薫氏『卑弥呼とヤマト王権』への疑問:纏向には楽浪系土器が皆無
寺沢薫さん(纏向学研究センター)の最新刊『卑弥呼とヤマト王権』(中央公論新社、2023年)にはたくさんの疑問があるのですが、4点に絞って指摘したいと思います。
寺沢さんの説は、一般的な邪馬台国近畿説とは異質です。僕のnote記事で度々掲載している一覧表を修正して、改めて掲載します(図表1)。
図表1
以下では、長くなりますが、寺沢さんの記述を引用しながら、疑問点を検討したいと思います。出典