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考古学の論文・書籍は間違いが多すぎないか?

考古学の論文や書籍には間違いが多いと思います。ここで間違いというのは、以下のようなものを指します。

  • 根拠となる論文やデータを正確に参照していない

  • 本文に整合性がない

  • 誤字脱字

この記事では僕が気づいた間違いを紹介します。


『纏向学の最前線』より

(纏向学研究センター、2022年8月):トップ写真

『纏向学の最前線』は纏向学研究センターが10周年記念で、2022年8月に刊行された論文集で、82論文が収録されています。

纏向遺跡出土の犬骨について

宮崎泰史氏(元大阪府立狭山池博物館)
『纏向学の最前線』分割版2(p261~274)

纏向犬の論文はメディアでも注目されました。論文では以下のように結論づけました。

▶(纏向犬は)古墳時代において最大級の大きさ(中大級)であることが判明した。従来、「中大級」の大きさのイヌは、弥生時代にはみられ(ない)
▶古墳時代になって、一回り大きい「中大級」のイヌが人によって大陸から新たに持ち込まれたことを示す

しかし、僕が元資料を検証したところ、纏向犬が大きいという根拠はないことがわかり、2022/10/28にnote記事を投稿しました。

  • 纏向犬は「体高」では論文でも示されているとおり中大型に区分されるが、他の時代の古代犬は「体高」がわからず比較できない

  • 纏向犬は「最大頭蓋長」「下顎骨長」では中型で、弥生犬と同じである

  • 縄文犬にも「最大頭蓋長」が中大型に匹敵するものがあり、時代とともに大型化したとは断定できない

  • 朝鮮半島南部の勒島[ヌクト]犬は弥生時代から渡来していた可能性が高い

  • 大陸と日本の古代犬のDNA調査をしなければ、大型化の原因が渡来だとは断定できない

査読というのは、論文の結論が根拠と対応しているか、根拠を正しく参照しているかをチェックすることだと思います。纏向学研究センターは元資料までさかのぼってしっかり査読したのか、疑問です。

弥生集落におけるイノシシ属下顎骨穿孔・配列の再検討

宮路淳子氏(奈良女子大学)
『纏向学の最前線』分割版1(p85~94)

p88右
×幼獣をそこに含む下郡桑苗、唐古・鍵(中期)のような事例と
若獣をそこに含む下郡桑苗、唐古・鍵(中期)のような事例と

図2を見るかぎり、2遺跡とも幼獣は含みません。本文は「若獣」の誤記だと思います。

これは論文筆者の誤記だと思いますが、査読でチェックできなかったのでしょうか。元資料を当たるまでもなく、本文とグラフの整合性をチェックすればわかったことです。

魏志倭人伝では「会稽東治/会稽東冶」「邪馬壹国/邪馬臺国」「景初二年/景初三年」のように、誤記(誤写)がいらぬ論争を招いています。僕もこの論文はこの誤記のおかげですんなり読めず苦労しました。論文での誤記には注意してほしいです。

2022年7月に千葉市昭和の森で出会ったウリ坊

近畿地方における黥面の消長

設楽博己氏(東京大学)
『纏向学の最前線』分割版1(p35~42)

この論文には単純な誤記があります。

P37右
×愛知県一宮市亀塚遺跡
○愛知県安城市亀塚遺跡

僕は論文集が刊行されてすぐ(2022/9/10)、纏向学研究センターに連絡しました。そのためか、2023年1月に公開されたPDFでは修正済みです。

愛知県亀塚遺跡出土壺の黥面絵画(歴博展示レプリカ)

P40左
×愛知県一宮市廻間遺跡
○愛知県清須市廻間遺跡

こちらは僕も気づいたのはしばらく経ってからだったので、纏向学研究センターには連絡していません。PDFでも間違ったままです。

数字と固有名詞のチェックは校正の基本です。纏向学研究センターは基本ができていないようです。

そもそも、どうしてこのような誤記が発生したのか不思議です。論文筆者の原稿が間違っていたとは思えません。まさか、纏向学研究センターが原稿を1から打ち直したのでしょうか? 原因が知りたいです。

纒向時代の近江湖南地域

杉本源造(滋賀県野洲市教育員会)
『纏向学の最前線』分割版2(p387~393)

P392右
×下郷遺跡→伊勢遺跡→下長遺跡への中核集落の遷移
下之郷遺跡→伊勢遺跡→下長遺跡への中核集落の遷移

P392右
×③軍事や大規模な土木工事ための人的提供
○③軍事や大規模な土木工事ための人的提供

これも単純な誤記です。この論文は『纏向学の最前線』の中で、最もおもしろい論文の1つだっただけに残念です。これも、どうしてこのような誤記が発生したのでしょうか?

江戸時代の「崇神天皇陵」と「景行天皇陵」

谷山正道氏(橿原考古学研究所)
『纏向学の最前線』分割版3(p705~716)

p705左段
?その体制がゆるぐに伴って
○その体制がゆらぐに伴って

これは纏向学研究センターに連絡したのですが、PDFで修正されていません。関西には「ゆるぐ」という言葉があるのでしょうか?

纒向遺跡はなぜ報じられるか

関口和哉氏(読売新聞)
『纏向学の最前線』分割版3(p777~780)

p779左
?ひょっとしたら銀印でも埋まっているのではないか
○ひょっとしたら金印でも埋まっているのではないか

これも纏向学研究センターに連絡しましたが、PDFで修正されていません。論文筆者の関口さんは「金印」ではなく、あえて銀印と疑心暗鬼になったのかもしれません。

『纏向学の最前線』は纏向学研究センターの10周年記念で、クラウドファンディングで刊行されました。できあがった冊子は上記のように間違いが多いです。収録されている82論文中、僕がざっと15論文を読んだだけでも、4~6論文に間違いが見つかりました。精読すれば、さらに多くの間違いが見つかりそうです。

そもそも、論文集を印刷物にして刊行する必要があったのでしょうか。最初からPDFのみにすれば、費用も抑えられますし、間違いもすぐに修正できたと思います。 

『理系の視点からみた「考古学」の論争点』

新井宏氏(工学博士、元韓国国立慶尚大学)、大和書房、2007年

新井さんによる類似指数の考案

三角縁神獣鏡の製作地について研究する手法の1つに鉛同位体比があります。

専門家の論文では「AとBの鉛同位体比は類似する」「ほぼ同じ」等の表現がよく使われるのですが、どのような基準で判断したかが明記されている論文を見たことがありません。基準が明記されていないのは、論文として問題があります。

ただ1人、独自に「鉛同位体比 類似指数」というものを考案して、明記しているのが新井さんです。僕は現段階では、2試料の鉛同位体比を比較する指標としては、類似指数が最も適切だと思います(他にいい指標があれば開発されることが望ましいです)。

「類似指数」とは以下のようなものです。

  • 鉛同位体比(204Pb・206 Pb・207 Pb・208 Pb)を4つの同位体の組成比(同位体率)に変換する

  • 同位体ごとに2試料の差(絶対値)を出す(A)

  • 同位体ごとに2試料の平均値を出す(B)

  • A(絶対差)をB(平均値)で割る(A/B=2試料の平均値に対する絶対差の比率を表す)

  • 4つの同位体のA/Bの平均を類似指数とする

計算式はややこしいですが、以下になります。

【|(204PbA―204PbB)| /[(204PbA+204PbB)/2
+|(206PbA―206PbB)| /[(206PbA+206PbB)/2
+|(207PbA―207PbB)| /[(207PbA+207PbB)/2
+|(208PbA―208PbB)| /[(208PbA+208PbB)/2]】/4×100

新井さんの書籍・論文で計算式に誤り

ところが、本書でも、新井さんの論文でも、この計算式が間違っています。2試料の平均値で割るはずのところ、2試料の和で割る計算式になっています。つまり、計算式の /2 がすべて抜けているのです。数学的にとか、統計学的に間違っているわけではないのですが、類似指数を計算すると、すべて書籍・論文に掲載されている数値の2倍になってしまいます。

書籍の編集者も、論文の査読者も間違いを見落としています。実際に計算していないからです。

この間違いは、2009年から指摘されています(「三角縁神獣鏡魏鏡説は危機に瀕しているか」(下司和男、古代史の海57、2009年))。僕が2022/12/24に新井さんに問い合わせたところ、既に新井さんも間違いを認識されていました。

にもかかわらず、ごく最近、安本美典さんが主宰する「邪馬台国の会」の講演会(2024/2/24)では、また間違った計算式がHPの講演記録に掲載されています。これはいったいどうしたことでしょうか。

新井さんは、例えば歴博が箸墓古墳の年代を炭素14年代を根拠に240~260年と発表したことについて、論文発表より先んじてメディア発表(学会発表)したことを批判しています。まず論文発表すべきだったというのです。論文であれば査読もあり、信頼性が高まると言いたかったのだと思いますが、ご自身の書籍や論文では、このような間違いを続けています。

本書の『理系の視点からみた』というタイトルも、理系だからと、信頼できるように見せたかったのでしょう。

僕は三角縁神獣鏡の鉛同位体比について、2022/12/28に以下のnote記事を書きました。

タイトルに「文系が」と入れて、新井さんの書籍への対抗の意味を込めました。少なくとも古代史研究においては、理系だから信頼できるものではないし、論文や書籍だから信頼できるものではないと言いたいです。

榛名山で古墳時代に起こった渋川噴火の理学的年代決定

早川由紀夫氏(群馬大学)、2014年https://hayakawayukio.jp/publication/paper/05_HAYAKAWA.pdf

榛名山噴火の年代を特定

早川さんの論文は、榛名山噴火を炭素14年代ウィグルマッチング法を使って491~500年と推定したものです。以下のように結論づけています。

  • 榛名山噴火は500年前後だから、噴出物(FA)下部から出土した須恵器MT15型式は500年より前である

  • 埼玉稲荷山古墳から出土したTK47型式はMT15型式よりも前の型式だから、TK47型式も500年より前ということになる

  • よって埼玉稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣の「辛亥年」は471年である

群馬県黒井峯[くろいみね]遺跡のVR映像の一部(榛名山噴火の復元)
黒井峯遺跡周辺で今も残るFAの堆積(2022年5月撮影)

数値とグラフに齟齬

ところが、論文に掲載されている試料(噴火による倒木)の炭素14年代測定結果(数値)とグラフに齟齬があります。このことは、2023/12/6のnote記事に書きました。 

測定結果(論文の表1)とグラフ(図3)がずれています。表1のとおりに計算すると、適合度が22%になってしまうことから発見しました。

測定を行ったパレオ・ラボ社に問い合わせたところ、一部試料の測定結果が異常値であるため、再測定したとのことでした。論文の表1が間違いでグラフが正しいです。

試料名 BK926A, 90-95y
× PLD-9869, 1572±24
○ PLD-10656, 1638±21

試料名 BK926B, 80-85y
× PLD-9878, 1711±24
○ PLD-10658, 1618±22

論文の利用者にも問題

note記事にいただいたコメントによると、この論文は「MT15型式の実年代観を遡上させた論文として評価されている」そうです。僕もMT15型式に実年代を与えた論文として評価しています。

しかし、間違いが放置されているのは、読者(論文の利用者)にも責任があります。利用者は論文の結論だけを見て、プロセスの正しさを検証していないのです。

研究者は、論文の結論だけでなく、結論を導き出したプロセスも検証しなければなりません。年代較正のための国際標準ソフトOxCal[オクシカル]を知らなくても、この論文の間違いは見つけられます。数値とグラフがずれているのですから。

『卑弥呼とヤマト王権』『弥生国家論』

寺沢薫氏、中央公論新社、2023年
寺沢薫氏、敬文舎、2021年

寺沢さんは邪馬台国近畿説の代表として、メディアにも登場することが多い論客です。この2冊については、2023/10/11に疑問点をnote記事にしました。ここでは2つの間違いを簡単に指摘したいと思います。

大阪に楽浪系土器の根拠は?

1つは楽浪系土器の出土についてです。

▶大阪市加美[かみ]、大阪府八尾市久宝寺[きゅうほうじ]遺跡などに楽浪系・三韓系土器がはじめてもたらされていることは重要である

『弥生国家論』

僕が大阪府文化財センターに問い合わせたところ、加美遺跡・久宝寺遺跡とも楽浪系土器が出土しているという事実は確認できませんでした。もし出土しているのであれば、何を(どの報告書を)参照したのか、出典を記載すべきです。

纏向遺跡の復元図は捏造

もう1つは、僕がいつも指摘していることですが、纏向遺跡の復元図が間違っていることです。箸墓古墳の年代には、掘立柱建物は廃絶しています。箸墓と掘立柱建物がいっしょに描かれている復元は間違いです。捏造といってもいいと思います。

『卑弥呼とヤマト王権』では、本の帯と口絵に復元図が使われています。この復元図は2024年3月のNHKスペシャルでも使われました。Nスペについては2024/3/19にnote記事を書きました。

『卑弥呼とヤマト王権』では、口絵の下部に注釈で「第1次大王宮の存在と箸墓古墳の造営は時間的には先後の関係にあるが、ここでは同一画面に再現」と入りました。このような表示を打ち消し表示といいます。

虚偽・誇大表示を禁止する景品表示法では、打ち消し表示は本来使わないことが望ましいとされています。僕は箸墓と掘立柱建物は復元図でいっしょに掲載すべきではないと思います。

どうしても掲載したくて打ち消し表示を使う場合は、消費者(読者)の見やすい位置に大きな字でわかりやすく入れなければなりません。復元図の打ち消し表示は、帯にはありません。NHKスペシャルでも表示されませんでした。

打ち消し表示の内容も「先後の関係にある」では読者は意味がわかりません。はっきり「箸墓の年代にはなかった」と書くべきです。「第1次王宮」とありますが、第2次王宮が出土しているわけではありません。問題の多い対応です。

『古墳・モニュメントと歴史考古学(何が歴史を動かしたのか3巻)』

雄山閣、2023年12月

本書は25本の論文を収録しています。僕はそのうちの2本について、疑問点を2024/4/17のnote記事で指摘しました。ここでは間違いを2点指摘します。

巨大古墳の被葬者

 下垣仁志氏(京都大学)

古墳編年の図の中で、ニサンザイ(土師ニサンザイ古墳)を古市古墳群に記載していますが、百舌鳥古墳群の誤りです。雄山閣の書籍でもこんな校正ミスがあるのですね。

箸墓古墳築造の意義

春成秀爾氏(歴博)

春成さんは、歴博が箸墓古墳の築造直後の年代を240~260年とした2011年論文「古墳出現期の炭素14年代測定」の筆頭著者ですが、本書での論文には間違いが多いです。

×周濠出土の「築造直後」の「布留0式」土器の付着炭化物の較正年代は、Intcal04によると240~260calAD
○歴博は2011年論文で国際標準のIntcal04を使っていない。歴博独自の日本産樹木データを使った

×周濠出土の「築造直後」の「布留0式」土器の付着炭化物の較正年代は、Intcal04によると240~260calAD
○布留0式土器付着炭化物の較正年代は、Intcal04によると234~322年(年代幅が大きく、年代を特定できない)

×「布留0式」土器の付着炭化物の較正年代は、Intcal04によると240~260calAD、Intcal20によると、「築造前」が230~255calAD、「築造後」が255~280calAD
○布留0式土器付着炭化物の「築造前」「築造後」の年代はIntcal04・09・20のいずれでも「230~255年」「255年~280年」に近い年代でほとんど違いはない

※Intcal[イントカル]というのは国際標準の較正曲線です。

春成さんは2011年論文の筆頭著者でありながら、炭素14年代の較正結果を理解していないようです。

古墳出現期の炭素14年代測定

春成秀爾氏他、歴博、2011年
core.ac.uk/download/pdf/294897787.pdf

最後にこの論文を取り上げたいと思います。間違いがあるというより、不適切な論文の例になります。

中身は理解されないまま結論のみ引用されている不幸

この論文は箸墓古墳が240~260年の根拠になっているはずですが、この論文を読んで、どうして240~260年と結論づけられるのか、理解できる人はおそらくゼロだと思います。

僕は僕なりに、東田[ひがいだ]大塚古墳の築造中と濠埋没後にはさまれた年代で240~260年としているのだろうと推測していますが、自信があるわけではありません。

論文の中身が理解できないにもかかわらず、箸墓古墳が3世紀中頃の根拠として繰り返し引用されていることが問題なのです。

試料の分類・前後関係がわからない

この論文のどこが不適切でわかりにくいのかというと、試料をどのように年代グループに分類し(庄内3式、布留0式古相、布留0式新相など)、どのようにグループ間の前後関係を設定したかがわからないことです。

炭素14年代測定で年代を推定する手法を簡単に説明します。

例えば、箸墓古墳の周濠下層から出土した小枝の炭素14年代を実年代に較正すると、試料単独では、230年前後と300年前後に確率の山ができて、年代を絞り込めません。

このような場合、前後関係がわかっている他の複数試料と組み合わせ、全体を較正することで年代が絞り込めることがあります。このように、事前確率に新たな情報を加えて事後確率へと更新することをベイズ推定と言います。OxCalはコマンドによってベイズ推定もできます。

試料をグループ化し、前後関係を設定したものを、僕は「年代モデル」と呼んでいます。

2011年論文は、炭素14年代の論文でありながら、どのように年代モデルを組んでベイズ推定したのかがわかりません。だから第三者がOxCalで較正することもできませんでした。

2022年論文で根拠の破綻が明らかに

2022年になって『纏向学の最前線』の中で、2011年論文の筆者の1人である坂本稔さんが論文を寄せました。

較正曲線 INTCAL20と日本産樹木年輪
坂本稔氏(歴博)
『纏向学の最前線』分割版2(p301~308)

歴博は2011年論文では国際標準のIntcalを使わず、独自の較正曲線を使ったので、OxCalも利用できませんでした。2022年論文ではIntcal20を使い、OxCalによって適合度も計算されました。

適合度は16%と、合格とされる60%に遠く届かないことがわかりました。僕もOxCalを使ってベイズ推定し、同じ結果になりました。適合度16%の年代モデルを根拠にした年代推定が正しいとは考えられません。

そもそも、「較正曲線 INTCAL20と日本産樹木年輪」という論文が、2011年論文を補足する論文だということは、タイトルからではわかりません。

ちなみに、僕の2023/5/26のnote記事では、歴博とは異なる年代モデルでベイズ推定しました(前後関係が不明確な東田大塚古墳試料を除外、ホケノ山古墳試料を追加)。箸墓古墳の年代は300年前後となりました。記事には、誰でも炭素14年代の較正を試して再現できるように、OxCalの使い方やコマンド例を添付しています。OxCalを使わないと、炭素14年代について語ることはできません。

まとめ

考古学は論文だからといって、信頼できるとは限りません。その実例を紹介しました。最後に僕の言いたいことをまとめます。

  • 考古学の論文は査読や校正が不十分なことがある

  • 結論しか見ない論文利用者にも問題がある

  • 結論だけでなく、プロセスの検証が必要

恥ずかしい話ですが、僕のnote記事にも誤記はあります。今回も「古代犬の大きさ分類」の表の誤記に気づいたので修正しました(微修正は明記しません。重要な修正は明記します)。少なくとも、元資料の正確な参照とか、本文の整合性には注意したいと思います。

論文にはなっていなくても、アマチュア研究家のブログにも優れたものはあります。例えば、荒木稔さんの「花見川流域を歩く」です。花見川というのは千葉市を流れる川です。

僕は2024/4/9にnote記事「千葉市土気地区:縄文の落とし穴のメッカ」を書きました。この時、千葉県北西部の東京湾水系と印旛沼水系の分水界がわからず、ネットで調べていたら、荒木さんのブログに出会いました。

荒木さんは2014年の記事で、江戸時代の絵図と現在の地形段彩図、現地調査によって、花見川の分水界を世の中で初めて確定させています。感動してしまいました。

荒木さんは発掘報告書を詳細に検討し、実物や調査図面も保管先に行って再調査するなど、アマチュアとは思えない研究をしているそうです。

僕の目指す姿です。僕は論文を書こうとは思いませんが(論文にすることに意味を感じませんが)、論文に負けないようなブログ記事を生み出せるよう、これからも丁寧に研究を続けていきたいと思います。

(最終更新:2024/5/28) 

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