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纏向犬は大きかったのか?

纏向学[まきむくがく]研究センター(奈良県桜井市)の論文集『纏向学の最前線』の中から、僕が印象に残った論文を紹介するシリーズ。

第1回のテーマは纏向犬[まきむくけん]です。

※トップ写真は千葉県船橋市の縄文犬「飛丸」(とびまる)です。


論文:纏向遺跡出土の犬骨について

筆者:宮崎泰史氏(元大阪府立狭山池博物館学芸員)

宮崎さんの論文は2022年8月にたくさんのメディアで取り上げられたので、覚えている人も多いかもしれません。

以下は論文からの引用です(順番は入れ替えてあります)。

・纏向遺跡の犬骨(以下、纏向犬と呼称)は…2014年度に実施した…調査によって出土した犬骨である
・共伴土器は庄内2式期で、古墳時代初頭に比定されている
・古墳時代初頭としては初例
・犬骨は…ほぼ一体分の骨がまとまって検出
・雌雄は不明である
・年齢については…1.5歳以上と推定される
・儀礼に供された可能性も想定される

『纏向学の最前線』「纏向遺跡出土の犬骨について」(宮崎泰史、2022年8月)

・大腿骨の全長がわかり、体高推定が可能になるなど古墳時代において最大級の大きさ(中大級)であることが判明した。従来、「中大級」の大きさのイヌは、弥生時代にはみられず、大阪府蔀屋北[しとみやきた]遺跡から5世紀中頃の「中大級」の大きさの犬骨が報告されている
・今回の資料は、「中大級」の大きさのイヌが古墳時代初頭に出現していることを明らかにした

同上

・日本では弥生時代中期以降に、縄文時代のイヌ(縄文犬)よりも大きい「中級」のイヌが見られるようになり、やや大型化することが指摘されている。その原因については中国大陸や韓半島から、人とともにイヌもまた共に渡来し、日本列島に分布するイヌの形質がかなり変化したと考えられている
・纏向犬の大きさは…推定体高は48.1㎝で、長谷部言人氏の区分の「中大級」の小で、古墳時代のイヌでは、蔀屋北遺跡の例とともに最大級の大きさを示している。古墳時代になって、一回り大きい「中大級」のイヌが人によって大陸から新たに持ち込まれたことを示すものと考えられる

同上

要約すると以下のようになると思います。

(1)纏向犬は中大型だった
(2)弥生時代は中型、古墳時代は中大型へと、時代が進むにつれてイヌは大型化した
(3)弥生・古墳時代にヒトとともに大陸からイヌが持ち込まれ形質が変化した

纏向犬は中大型か?

論文では、纏向犬の形質を明らかにするために、骨の計測値を、他の古代犬と比較しています。

弥生中期:亀井1号犬・2号犬(大阪府)
弥生中期:勒島[ノクト]1号犬・2号犬・5号犬(韓国慶尚南道)
古墳初期:纏向犬(奈良県)
古墳中期:蔀屋[シトミヤ]犬(大阪府)

僕は論文に掲載された計測値を見ていて、あれっと思いました。下表を見てください。

①宮崎さんは、纏向犬は「体高」の分類で中大型としています(48.1㎝)。しかし、他の古代犬の体高が掲載されていません。僕の想像ですが、体高が推定できるような骨が出土していないからだと思います。

②そのためか、「最大頭蓋長」の分類で亀井1号犬を中型、亀井2号犬を中小型としています(表のベージュ)。ところが、「最大頭蓋長」の分類では纏向犬も中型なのです(表のオレンジ)。

③ちなみに「下顎骨長」の分類でも纏向犬は中型です。

纏向犬だけ異なる分類で中大型とするのは適切でしょうか。

時代とともに大型化したのか?

古代犬の大きさについて他の資料をネットで探してみました。するとNPO法人縄文柴犬研究センター10周年記念集(2020年)の茂原信生さん(京都大学名誉教授)の記事がありました。茂原さんは「日本のイヌの歴史」で下記のような図を紹介しています。これは各時代のイヌの大きさを「最大頭蓋長」で分類し、比較したものです。

これを見ると、縄文犬にも中大型とほとんど変わらない大きさのものがあることがわかります。宮城県田柄[たがら]貝塚から出土した8体のイヌの骨の中に、最大頭蓋長18.34㎝の雄の骨があるのです。纏向犬よりも大きいです(茂原さんも「大きなものはまれ」だと言っていますが)。

纏向犬は1体しか出土していませんが、複数が出土した遺跡では、当然ながら大きさにばらつきがあります。

宮城県田柄貝塚8体:雄15.76~18.34㎝、雌14.54~16.11㎝
鳥取県青谷上寺地[あおやかみじち]遺跡11体:14.3~16.976cm(雌雄区別なし)

※田柄貝塚:茂原信生・小野寺覚「田柄貝塚出土の犬骨について」(1984年)
※青谷上寺地遺跡:門脇隆志「青谷上寺地遺跡の弥生犬」(2021年)

時代とともに大型化したという見方に違和感はありませんが、本当にそうかどうかは、年代とともに、雌雄・年齢も含めて、詳細に調べる必要があります。分類の基準も明確にしなければなりません。

大型化は大陸からの渡来によるものか?

宮崎さんは「古墳時代になって、一回り大きい「中大級」のイヌが人によって大陸から新たに持ち込まれたことを示す」としています。ここでは2点コメントします。

1つは、弥生中期の勒島犬[のくとけん]は中型であることです。勒島は弥生時代中期に中国の朝鮮半島の拠点であった楽浪[らくろう]郡・帯方郡と北部九州を結ぶ交易拠点だったことが知られています。弥生中期の勒島犬は当然ながら日本につれてこられたのではないでしょうか。大陸のイヌがつれてこられたのが、古墳時代になってからということはないと思います。

もう1つは、時代とともにイヌが大型化する原因が、大陸からの渡来かどうかはわからないということです。これはまだ宮崎さんの想像だと思います。大陸犬は中大型だったのでしょうか。論文では勒島犬しか紹介されておらず、情報が少なすぎます。中国・朝鮮半島と日本の古代犬の形質をDNA等も含めて詳しく調べる必要があります。

ひょっとしたら、縄文時代のイヌは狩猟犬として大きいほうが好まれ、大きいイヌを交配させて品種改良が行われたかもしれません。そうだとすると、大型化は日本国内で自律的に進んだことになります。可能性はあると思います。

疑問点まとめ

以上、見てきたとおり、論文の結論はいずれも疑問があります。

(1)纏向犬は「体高」では中大型だが、「体高」は他の古代犬と比較できず、判断できない。纏向犬は「最大頭蓋長」「下顎骨長」では中型で、弥生犬と同じである。

(2)縄文犬にも中大型に匹敵するものが出土していて、時代とともに大型化したとは断定できない。個体差・品種差も考えられる。時代とともに大型化したかもしれないが、年代・雌雄・年齢を詳細に調べる必要がある。

(3)勒島犬は弥生時代から渡来していた可能性が高い。大陸と日本の古代犬のDNA調査をしなければ、大型化の原因が渡来だとは断定できない。

※最終更新2024/5/26

※年代区分について
宮崎さんが土器の庄内2式を古墳時代初頭とするのは、纏向学研究センター所長の寺澤薫さんの説に準じているのでしょうか? 古墳時代は箸墓古墳の布留0式からとする考古学者が多く、そうであれば庄内2式は弥生時代末期となります。寺澤さんは箸墓古墳の前の纏向型前方後円墳からとしていて、その説では庄内2式は古墳時代初頭と言っていいかもしれません。

トップ写真の飛丸は、千葉県船橋市の藤原観音堂貝塚で出土した全身骨格を基にしています。額から鼻がまっすぐでキツネ顔なのが特徴です。船橋市の飛ノ台(とびのだい)史跡公園博物館で展示されています。

飛丸は体高40㎝とされていますが、脚はがっしりしています。

2022年8月に纏向学研究センター(奈良県桜井市)が論文集『纏向学の最前線』を刊行しました。纏向遺跡に限らず、古代史をテーマにした最新の85論文が掲載されていて、古代史を研究する人には必読の論文集となっています。残念ながら非売品で、僕は千葉県立中央図書館で借りました。東京国立博物館資料館などでも閲覧できます。これまでの纏向学研究センターの研究紀要と同様にネット公開されてほしいです。

#纏向学の最前線 #犬 #イヌ #纏向犬 #弥生犬 #縄文犬 #纏向遺跡 #青谷上寺地遺跡 #最大頭蓋長 #飛ノ台史跡公園博物館 #飛丸

(追記2023/3/3)

僕が入院中の2023/1/20に『纏向学の最前線』がPDFで公開されました。編集部に感謝します。

宮崎さんの論文は分割版2(p261-274)となっています。

https://www.city.sakurai.lg.jp/material/files/group/54/10thcontents_2.pdf


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