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事務局メンバー

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フィッシャーマン・ジャパンで働く、さまざまなスキルをもったメンバーを紹介します。
運営しているクリエイター

#水産業

両親を亡くしたからこそ大切にしたい「毎日家族で食卓を囲む幸せ」地方からの挑戦!海外の仕事と家庭の両立

両親を亡くしたからこそ大切にしたい「毎日家族で食卓を囲む幸せ」地方からの挑戦!海外の仕事と家庭の両立

「16歳で両親を失いました」
人はいつ死ぬかわからない、という現実を突きつけられた幼い少年。
その後の人生は、どうなったのだろうか。祈るような気持ちで、彼に聞いた。

両親を失った少年、向き合う現実

吉岡は10歳の時に病気で母親を亡くし、16歳の時に父を亡くした。父は、”ヨットで世界一周”という夢に向かう最中で事故にあった。
「人はいつ死ぬかわからない」という現実は受け入れがたいものだったが、祖

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Breaking Barrier――、わたしは、ピンチをチャンスに変える!
フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング 海外事業部 村上日奈子

Breaking Barrier――、わたしは、ピンチをチャンスに変える! フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング 海外事業部 村上日奈子

東日本大震災当時、多くの国や地域の人々が救いの手を差しのベてくれた。
その温かい思いに触れて、自分の言葉で気持ちを伝えることができなかった少女は今、地元の美味しい食材を世界に向けて発信しようとしている。

SeaOO(Sea・Overseas・Officer)。地元イチ推しの海産物『金華サバ』も海外で初めて食べたという、フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング海外事業部の村上日奈子(23)は、日

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魚屋に漁師、飲食店まで。大好きな海の世界で生きてきた人生。電柱の上で死を覚悟した震災から、再び魚の仕事に戻るまで。

魚屋に漁師、飲食店まで。大好きな海の世界で生きてきた人生。電柱の上で死を覚悟した震災から、再び魚の仕事に戻るまで。

今回は、『ふぃっしゃーまん亭』
海鮮丼の常識をくつがえし、最新の冷凍技術を使って、あえて店頭で捌かない海鮮丼の店を作った。水産業の常識を打ち破る、FJの挑戦の場である。

そんな異色の店舗を支えてきた、店長北野。
魚屋から漁師までどっぷり海の世界に入りつつ、時には回線工事からダンプの運転手まで。東日本大震災の激動の流れに揉まれつつ、やりたいことに真っすぐに、ここまでやってきた。

好きなことを仕事

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フィッシャーマン・ジャパン担い手担当・高橋由季

フィッシャーマン・ジャパン担い手担当・高橋由季

フィッシャーマン・ジャパン(以下FJ)事務局の中では数少ない生まれも育ちも石巻の高橋由季さん。東京の大学に進学するために一旦石巻を離れましたが、転職で石巻に帰ってきました。
彼女はなぜ東京から石巻へUターンをし、FJに就職するという決断をしたのでしょうか。

■Uターンの選択とフィッシャーマン・ジャパン

FJに就職する前は東京の出版社で日々を過ごしていた彼女。しかしその時もいつかは家族が暮らす石

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フィッシャーマン・ジャパン担い手担当・渡部更夢

フィッシャーマン・ジャパン担い手担当・渡部更夢

2021年にフィッシャーマン・ジャパン(以下FJ)へ新入社員として入社した渡部更夢さん。大学生時代に石巻と出会い、漁師と出会い、どっぷり水産業に浸かりながら働いています。

■自分の志とフィッシャーマン・ジャパン

秋田県湯沢市で生まれ育った渡部さん。大学に進学するために地元を出た後、「生まれ育った地元のような田舎を元気にしたり、その地域の中で生きていける人を増やすことをやってみたい」、とふと思っ

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フィッシャーマン・ジャパン担い手担当・島本幸奈

フィッシャーマン・ジャパン担い手担当・島本幸奈

フィッシャーマン・ジャパン(以下FJ)立ち上げメンバー唯一の女性として、漁師と向き合い、支え続けてきた島本幸奈さん。今や彼女がいないこの団体など想像もつかないほどその活躍は全国に広がっています。しかし彼女はもともと漁師でも、社会貢献を軸にして活動していたわけでもなく、千葉県の有名ホテルでウエディングの仕事をしていました。

■フィッシャーマン・ジャパンとの出会い
島本さんと石巻との出会いは東日本大

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