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言い訳をさせてくれ
2023年9月23日(土)朝の6:00になりました。
まさか地球時間だとは思わなかった。
どうも、高倉大希です。
テスト勉強は、やればやるほど不安になります。
なぜなら、がんばったという事実がそこにのこってしまうからです。
勉強さえしていなければ、「そりゃそうだよな」という言い訳ができます。
しかし、勉強をしてしまったら言い逃れができません。
多くの学生が、テスト前に「勉強していない」と言う理由もここにあります。
いざというときのために、言い訳の余地をのこしておきたいのです。
「能力」の有る無しは、結果論と比較論によって生まれた「フィクション(つくりごと)」でしかないにもかかわらず、多くの人々はそのフィクションを実体として存在するものだと信じてしまっているのです。
なにかの準備をするということは、言い訳の余地を自分で潰すということです。
そこには、ある種の勇気がいります。
自分で自分の退路を断つという勇気です。
退路を経たねば、大きな変化はありません。
なんとかするしかない。
こう思わざるをえない状況に、自分を追い込めるかが勝負です。
自立心だ。自分自身を頼りにする気持ちだ。自分以外の物事に必要以上に影響されないことだ。お前が自分自身を成長させるしかないのだ。
思い切りやって結果が出なければ、やり方を変えればよいだけです。
「そのやり方はちがった」という、データを得られたに過ぎません。
そもそも思い切りやっていなければ、検証することすらできません。
せっかくの機会を、ただ右から左へと受け流してしまうことになるのです。
いまの自分がどこにいるのか。
現在地を把握するためにも、思い切りやってみるしかありません。
ぼくがもっと大事だなと思うのは「うまくいくかどうかまったくわからない。むしろたぶん失敗するという中でも、とりあえず無理やり足を踏み出してしまう意味不明な勇気というものをどうもつか」ということじゃないかと思うんです。
結局のところは、勇気です。
能力でも才能でもありません。
言い訳をしたくなる気持ちを抱くことは当然です。
だれだって、「がんばったのに」という未来を迎えることは不安です。
あとは、その言い訳にどこまでの価値があるかです。
大人になっても、言い訳をしつづけるかどうかです。
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— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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